新世界
第7章 邂逅、そして
ヴァンから兵を送り込み、その間に支部を制圧して将官を人質とし、此方に有利な条件で最終的には終戦に持ち込む――、それは私が考えた策だった。
相手の眼を出し抜く卑劣な策だと思っていたが、上手くいけば一番被害が少なくて済む、そう考えてのことだった。
言い逃れはしない。この策を考えたのは指揮官である私だ――。
「此方は我が国の宰相、フェルディナント・ルディ・ロートリンゲン閣下だ」
ヴァロワ卿は、私のことをそう紹介した。レオンはただ黙って私を見ていた。卑劣な人間だと思っていることだろう。
私は――、取り返しのつかないことをしてしまった。
「ヴァロワ大将。現時点における全ての戦闘を停止願いたい」
レオンはヴァロワ卿を見、確りとした口調で言った。その言葉のひとつひとつが、まるで棘のように私の心を突き刺す。今、此処に居る私を責めるかのように。
「申し出を受け入れよう。ブラマンテ少将、シーラーズの部隊に停戦を伝えろ。また停戦後は共和国軍に対して一切手出しをしてはならない。徹底させろ」
ヴァロワ卿の言葉が近くで聞こえるのに、遠くで聞いているような気がした。私はきっとこの場から逃げ出したいのだろう。全てに背を向けて。
「宰相閣下」
ヴァロワ卿が私を呼ぶ。
逃げてはならないのだと、もう逃げることは出来ないのだと解っている。
私は間違った道を歩んだ。今、それを思い知らされた。
そして多分もう引き返せない――。
「これから停戦協議に入ります。御同席願えますか?」
「……解った。……アンドリオティス長官には機内に御同行願う」
今はもう引き返すことも出来ない。間違った道を間違ったまま歩んで良いのか。否、そうしなければならないのか――。
「お待ち頂きたい」
レオンの側に居た男が、此方を射貫くような視線を向けて言った。
「私はスピロス・ハリム少将だ。協議ならば此方で会議室を用意しよう」
今回の協議に失敗すれば――、レオンを捕虜とせずに済む。人質を取らずに済む。その代わり、また戦闘によって多大な犠牲が出るだろう。
どうする。どうすれば良い……?
「既に機内に用意は整えてある。それが不服ならば、この場で此方の要望を伝えよう」
ヴァロワ卿の言葉に、ハリム少将が身を乗り出して抗議しかけた。レオンはそれを制し、ヴァロワ卿に向き直って応えた。
「ではこの場で貴国の要望を聞こう」
宰相閣下、とヴァロワ卿が促す。
駄目だ――。
私はもう後には引けない。遅すぎた。過ちに気付くのが遅かった。
「新ローマ帝国は新トルコ共和国に二つの要望を提示する。一つめ、シーラーズならびにシーラーズにおける権益全てを帝国に割譲すること、二つめ、軍部長官が捕虜として帝国に同行すること。この二つの要望を飲んでいただけるなら、一時停戦に応じよう」
私が要望を宣言する間、レオンは黙って私を見ていた。無言で私を蔑んでいるかのようだった。
仕方が無い。
もう私は、後戻り出来ないのだから――。
レオンの側にいる軍人達は、一斉に不当だと声を挙げた。
「そのような要望は到底受け入れられな……」
「ハリム少将」
レオンはハリム少将と名乗る男を窘めた。きっとレオンは部下達に好かれているのだろう。マルセイユで初めてレオンと出会い、話を交わしたことを今でも鮮明に思い出すことが出来る。芯の強さを垣間見せながらも、賢明で穏やかな男だという印象を受けた。そうしたレオンの人柄を思えば、レオンが部下から慕われているのも納得出来る。
「私が捕虜として帝国に行こう。将官であれば貴国の望む捕虜足り得る筈だ」
ハリム少将が自ら捕虜となることを申し出る。それに対し、ヴァロワ卿は言い放った。
「大将級、もしくはそれ以外の将官を二名要求する」
私が一人の将官で構わないと言えば、ヴァロワ卿は納得する筈だ。だがきっと――。
「私はアスラン・ラフィー准将、貴国の望む将官級だ。ハリム少将と私が捕虜となる」
負傷しながらもレオンの側に控えていた男が進み出る。レオンの部下達はレオンの身代わりに捕虜となると言う。そんな光景を目の当たりにすると、自分の行為が浅ましく見える。
「ハリム少将、ラフィー准将。下がれ。命令だ」
レオンは厳しい口調で彼等に命じる。私の鼓動が大きく高鳴った。
この男なら、絶対にそうすると――思っていた。たとえ捕虜を一人で良いと私が言ったとしても、自分が捕虜となる選択をしただろう。
「シーラーズ割譲と私が帝国に赴けば、撤兵願えるということだな?」
俺が帝国に行く、その代わり撤退しろ――レオンがそう言っているような気がした。
「要望を飲んでいただけるなら、一時撤退を約束しよう」
「もうひとつ約束していただきたい。撤退の際、私以外の人間を捕虜としないこと。無論、これまでに貴国が捕縛したであろう兵士達も返していただきたい」
レオンらしいと思った。私はこの男と二度しか話していない。それでも、このレオンという男をよく知っているような気がする。レオンの言動なら――、読める。
「了解した。ヴァロワ大将、捕虜の解放を」
「……感謝する」
レオンは手に持っていた剣を放った。からんと音が響いた。
「長官……!」
思いとどまって下さい、と彼の部下達が口々に告げる。レオンは彼等に対して、凛とした声で言い放った。
「ハリム少将、ラフィー准将。長官命令だ!」
私は何としても戦争を止めなければならなかった。これは意味のない戦争だ――。
皇帝命令に逆らえないことは解っている。それでも私は宰相として為すべきことがあったのではないか。戦争回避のために手立てが何かあったのではないか。
たとえこの立場を失うことになろうと、私は皇帝を諫めなければならなかった――。
それを怠ったがために、私はまた掛け替えのないものを失った。
マルセイユでたった二日間、語り合っただけなのに、私はレオンに親友のような感情を抱いていた。初めて親友のように思える存在に出会えた。
またいつか会える、いつか語り合える、そう思っていた。
それを私は、私の手で壊した。
ロイを失い、レオンを失い、其処までして私は権力を得たいのだろうか――。
私は何のために宰相という立場に居るのだろうか。
「宰相。どうした? エスファハーンからずっと浮かない顔だが……」
この日のうちに空路で、エスファハーンから帝都に戻って来た。レオンは後方の席に座らされ、十五名のトニトゥルス隊の隊員達に囲まれていた。私はその姿を正視することが出来なかった。この現実を見たくなかったのだろう。帝都到着後、レオンはそのまま収容所に送られた。
「いいえ……。大丈夫です」
「陛下への報告を終えたら、早く休んだ方が良い。顔色も随分悪いぞ」
「ええ。すみません」
私は酷く後悔していた。何故、このようなことを考えついたのか。
戦争を早く終わらせたかった――その一言が私の本意であっても、あまりに後味の悪い結果となってしまった。
まさかレオンが、長官だとも思わず――。
私はレオンに侵略はしないと言い切った。それがこんな風に国を侵略し、レオンを人質に取ることになるなど考えず――。
私はあまりに浅はかだった。