新世界
「フェルディナント。お前の功績は眼を見張るものだ。この帝国の皇太子たるに相応しい武勲をやり遂げた」
「勿体なき御言葉に御座います」
「これでお前を皇太子とすることに異存を申す者はおるまい」
飛行場から宮殿に戻り、ヴァロワ卿と共に皇帝の前で報告を行った。皇帝は終始、満悦の様子だった。謁見の間の両脇に立ち並んだ各省の長官達が、感心した風で此方を見ていたが、私は少しも嬉しいと思わなかった。
むしろ、悲しさと後悔とに打ち拉がれていた。
「後日、そなたの立太子の儀を執り行わねばならんな。だがその前に、褒美を取らせよう。ロートリンゲン家に所領地を与えようと思うが、何処を希望する?」
「陛下。私に褒美は不要です。私はただ宰相として机上の作戦を立案したに過ぎません。それが成功したのは、偏に此処に控えるヴァロワ長官の指揮とトニトゥルス隊のおかげです。彼等にこそ褒美を」
「相変わらず無欲な男だな、フェルディナント。勿論、ジャン・ヴァロワやトニトゥルス隊にも褒美を取らせるつもりだ。……そうだな、ジャン・ヴァロワ。お前には上級大将の階級を与えよう。フェルディナント、如何思う?」
「私も陛下に賛同致します」
「いいえ。私こそ陛下や宰相閣下の指揮の下、与えられた職責を果たしたまでのことです。そのような褒美を受けることは……」
ヴァロワ卿は辞退しようとしているが、ヴァロワ卿が上級大将となるのは悪い話ではない。上級大将は元帥のすぐ下の階級で、元帥は大将級の退職時に、上級大将は大将級にある者が特別な功績を挙げた時にのみ付与される。今の軍部にはこの上級大将にあたる人物はいない。ということは、上級大将となれば、今の大将達の上に位置することになる。旧領主層達の発言力を少し抑えられるかもしれない。
「陛下。何卒、ヴァロワ長官には上級大将の階級を。そしてトニトゥルス隊には特別手当の支給をお願い申し上げます。彼等はダフナー砂漠を渡り、その後ザークロス山脈をも渡って陛下のために戦いました」
宰相、とヴァロワ卿が囁くのが解ったが、敢えて応えずに皇帝の方を見て言った。
「解った。お前の裁量で取りはからってくれ」
「御意」
皇帝の前での報告は恙無く終わった。皇帝に一礼をし、謁見の間を出たところで、ヴァロワ卿は何故あのようなことを言った、と詰め寄ってきた。
「ヴァロワ卿。今、軍務省の上層部にはヴァロワ卿のような考えを持った旧領主層がいません。私がどれほど旧領主層の特権の廃止を訴えても、完全にそれを無くすことは出来ない。その最たるものが発言権です。そして軍務省では旧領主層の力が著しく強い」
「それは解っている。だが、今回の話とは別だ。私はお前に言われた通りのことをしたまでだ」
「上級大将となれば、貴方は彼等より上の立場となることが出来る。それは、この国を変えていくために必要なのです。今後、軍務省の守旧派はさらに主戦論を叫ぶでしょう。シーラーズがこんなにも容易く手に入ったのです。彼等は首都攻略を叫びます。ヴァロワ卿は必ず反戦論側に立ってくれる――、私はそう考えています。そのためにも、貴方には彼等より上の立場に立ってほしい」
「宰相……」
「ヴァロワ卿、私は今回の戦争を酷く後悔しています。侵略などしたくなかった……。ですがそうせざるを得ませんでした。これは私の力量が不足していたということです」
「それは違うぞ、宰相。陛下の命令権が発動してしまったのは、宰相の責任ではない。そんな風に一人で背負い込むのは止めろ」
「仕方が無いのだと思っていました。……私はいつも仕方が無いと考えて納得している。その結果、今回は多数の命を犠牲にしました」
「これ以上の犠牲を差し止めた。お前はやるべきことをやった。……割り切らなければ、身が持たんぞ」
「……今後、共和国と協議に入ります。共和国側は長官の解放を訴えてくるでしょう。それを利用して、シーラーズ含む南部地域を帝国領に割譲するよう交渉を行います。ですからその間……、軍の主戦派を抑えてください」
ヴァロワ卿は此方を凝と見つめた。まるで私の心を読もうとするかのように。
「……エスファハーン攻略からずっと鬱ぎ込んでいるように見えるが、何を思い詰めている?」
何でもありません、と笑みを浮かべて応えると、ヴァロワ卿は眉根を寄せて腕を掴んだ。
「捕虜を取り、交渉を進めるのはこれ以上の戦争を拡大させないためだ。その捕虜が軍人ならば、覚悟は出来ているというもの。お前が気に病むことは無いのだぞ」
「……解っています。軍の将官を捕虜にと指示したのは私ですから。……だから、腹立たしいのです」
「宰相……?」
「そのような卑劣な手段しか取れなかった自分が腹立たしいのです。……ヴァロワ卿、これは私の単なる私情ですから、気になさらないでください」
「閣下!」
廊下の先からオスヴァルトの声が聞こえてくる。ヴァロワ卿はこの腕を放して、そんな風に追い詰めるな――と言った。
「大丈夫です。ヴァロワ卿、お疲れ様でした。今日はゆっくりと休んで下さい」
ヴァロワ卿にそう告げてから、オスヴァルトの許に歩んでいく。
労いの言葉をかけてくるオスヴァルトに応えて、宰相室へと向かった。
侵略戦争とはこんなにも後味の悪いものだ――と、実感させられる。
知らなかった訳ではない。侵略には利点が無いのだと言うことを過去の歴史から知っていた。そうと知りながら、私は戦争を避けることも出来なかった。
「お帰りなさいませ、フェルディナント様」
邸ではミクラス夫人やフリッツ達が笑顔で迎えてくれたものの、私は喜べなかった。これ以上の戦争拡大を避けられたというのに、無益な血を流さずに済んだと思うのに、胸が詰まるほどの苦しさを感じている。
「フェルディナント様。お疲れの御様子ですね。今日はごゆっくりお休み下さい」
私には暖かな部屋が用意されている。だがレオンは? 冷たい収容所のなかで過ごす理由が彼にあるだろうか?
罪を犯してもいないのに――。
『ムラト大将。私に万一の事態が生じたら、軍内部で混乱が生じないよう上手く取り纏めて下さい。私のことは最大限に利用して構いませんから』
最後に取り合った連絡で、レオンはそう言っていた。真顔で言って、一方的に通信を遮断した。嫌な予感がした。エスファハーンに行かせるべきではなかったかもしれないと、その時初めて思った。
そして、予感は的中した。せめてあの連絡を受けた時、すぐに首都に戻って来いと言うべきだった。
レオンは物事の先読みが出来る。俺が見てきたなかで一番頭の良い人間だ。こうなることを予期していたのかもしれない。
否――、頭は良くない。愚かだ。この事態を読んでいたのなら、何故首都に戻って来なかった? バース中将やギラン中将が命を賭して守ったというのに――。
「……レオンが逃げ帰る訳がないか……」
レオンとはそういう男だ。だから長官に推薦した。人望を一身に集めるこういう男こそ、軍という集団を纏めるのに適した人材だった。
だが――。
「失礼します」
長官専用の執務室に入ってきたのはテオだった。書類を携えて眼の前に進み出る。