新世界
「帝国軍の姿をエスファハーン南部で確認したとの報せです。バスを占拠し、此方に向かっていると……!」
やはり――。
予想していた通りの事態となった。エスファハーンの南部から現れたということは、何処から侵入したのか。
「司令部にはもう伝えたのか?」
「いいえ、今報告に上がるところでした。その前に長官のお姿が見えたので……」
「では、司令部には私が伝える。大佐は直ちに予備兵に召集をかけてくれ」
「はっ」
急ぎ司令部に向かうと、バース中将がすぐさま立ち上がった。此方が口を開くより早く、バース中将は言った。
「シーラーズが一挙に圧されたらしい。今、シャフークから連絡があった。シーラーズの三分の二まで攻め込まれている、と」
「ハッダート大将にすぐに撤退命令を出します。エスファハーン南部に帝国軍が現れました。今、ジンナー大佐に兵の召集を命じたところです」
「エスファハーンに……!?」
バース中将は驚いて聞き返す。此方の陣を整えなければならないことを告げながら、通信回線を繋ぐ。他の将官達に司令部への召集を求める。お前の予想通りの事態となったということか、とバース中将は呻くように呟いた。
「シーラーズの残存兵力を此方に配置し、ただちに首都から予備軍を送ってもらいます」
司令部の扉が開いて、ハリム少将とラフィー准将が現れる。エスファハーンに帝国軍が現れたことを告げ、兵員の配置を命じた。
「レオン。お前は今すぐ首都に戻れ」
「出来ません。帝国軍を出来るだけ此処で食い止めなければ……」
「お前の予想通りの事態となったということは、帝国の狙いはこのエスファハーンの機能を奪うこと、さらに掘り下げれば敵の頭を潰すことだ。長官であるお前が此処に居るのは危険すぎる」
ギラン中将が司令部にやって来た。状況は聞いた、と言ってすぐにスクリーンにエスファハーンの広域地図を映し出す。
「バース中将。私でなくとも、捕まるのが将官ならば同じことです」
「長官が捕まれば、軍の士気にも影響を及ぼす」
「捕まらないように気を付けます。バース中将、ギラン中将、此処に書いてある部隊編成に眼を通しておいてください。私はその間、ムラト大将と連絡を取ってきます」
用意してあった作戦案を二人に渡し、司令部の奥に向かう。其処に個室があってムラト大将と連絡を取る時には、常に此処の通信網を使っていた。
回線を繋ぐ。本部の通信機の前に現れたのはテオだった。すぐさまムラト大将に代わるよう告げる。
「ムラト大将。エスファハーンに帝国軍が入り込みました」
昨日、エスファハーンに入ったトニトゥルス隊が共和国の守備隊と交戦中だと伝えられた。今も激戦を敷いているのだという。共和国の守備隊は一万近い。そのため、ヴァロワ卿がシーラーズの兵士達にエスファハーンに向かうよう通達した。
此方が予想していた以上に難航しているから、共和国軍も早々にエスファハーンに防衛体制を敷いていたのだろう。
「宰相閣下。出立の準備が整いました」
ラッカ要塞所属の准将が部屋に伝えに来る。解ったと応えて、窓際から離れた。
これから空路でエスファハーンに向かうことになっている。エスファハーンを攻略してから、エスファハーン支部で声明を読み上げ、共和国側と交渉に入る。これで、一時的にも停戦状態となる筈だ。
「ヴァロワ卿は?」
「武器庫から飛行場に直行すると仰っていました」
「そうか。私もすぐに向かう」
胸のうちをそっと探る。ロイの使っていた拳銃が其処にある。出来ることなら、このような時には使いたくない。此処に置いていこうかとも思ったが、それも心許なくて、持っていくことにした。
ヴァロワ卿は既に飛行場で待っていた。士官達と話していたところを、此方に気付いて振り返る。その手に一振りの剣を持っていた。
「宰相。これを」
その剣を此方に差し出す。護身用の剣だということだろう。
「剣術の心得もあるのだろう? 宰相の身長から考えて、それぐらいの長さが適当かと思ったのだが……」
「ええ。ちょうど良い長さです」
「拳銃は中に用意してある。使い勝手の良い物を選んでくれ」
ヘリの中に入ると、ヴァロワ卿の言葉通り、小銃から拳銃までがずらりと並べてある。ヴァロワ卿は自分の軍服の内側から拳銃を取り出して、中に弾を込めた。ロイの拳銃を使う気にはなれなくて、銃のなかから殺傷力のさほど強くない拳銃を選ぶことにした。
「宰相」
拳銃を収めた私を見て、ヴァロワ卿は呼び掛けた。顔を上げると、真剣な眼差しで私に言った。
「向かう先は戦場だ。甘い考えを持てば此方が命を奪われるぞ」
「……甘い……かもしれませんね」
「眼の前に敵が飛び出して来たら撃たなければやられる。戦争とはそういうものだ」
「心得ておきます。……本当なら戦争という事態に至らぬよう、尽力しなければならなかったことも……」
今はそんなことを考えるな――とヴァロワ卿は言った。確かに、考えていたら動けなくなる。
「宰相の身は私と此処に居るフィリップ・ダントン少将とヴィットリオ・ブラマンテ少将が守る。私達から離れないように心掛けてほしい」
「解りました」
宜しく頼むと二人に告げると、彼等は敬礼して背後の席に着いた。
ヘリが離陸する。
二時間後、私は新トルコ共和国の地を踏むことになる。共和国側にとっては侵略者として。
「ラシード隊全滅! 敵、支部に向かっています!」
トニトゥルス隊の力がこれほどまで手強いとは考えていなかった。シーラーズから兵が撤退しつつあるのに、帝国軍の兵力がまたも増員されたのか――エスファハーンの防衛も容易ではない。
あと一日持てば――。
明日になれば、アジア連邦からの援軍が到着する。それまでどうにか今の状態を維持出来れば、エスファハーン攻略は避けられる。
この支部は何としても守りきらなければ。それには――。
机の脇に置いてあった剣を手に取る。それを腰に下げ、胸元から拳銃を取り出す。弾を確認する。安全装置を解除する。
「長官……?」
「私も出る。バース中将から連絡が入ったら、ハッダート大将と合流するよう伝えてくれ」
「お待ち下さい! 長官は司令部で待機なさってください。私が出ます」
ジンナー大佐が慌てて押し止めようとする。その時、窓の外に人影が映った。銃口が此方に向けられる。
「伏せろ!」
ジンナー大佐の身体を押し倒し、廊下で体勢を低くする。銃弾が二度炸裂する。帝国軍はもう此処まで辿り着いているということか。
「大佐、後方を頼めるか」
「は、はい!」
ジンナー大佐は慌てて拳銃を抜いた。今、窓の影に二人居る。右側の一人が銃口を此方に向けた。
その銃口めがけて、一発を放つ。即座に立ち上がり、剣を抜いて、窓から侵入した兵士を斬りつける。
「長官!」
銃声を聞きつけて、ラフィー准将が銃を片手にやって来る。気を付けろ、と促した。帝国軍が支部に向かっていると一報が入ってから、この支部への侵入があまりに早い。此方が把握しきれていなかっただけで、既にこの付近に居たということか。こうなると何処に敵が潜んでいるか解らない。
「長官、御怪我は?」
「大丈夫だ。どうやらこの支部は帝国軍に囲まれているようだ」