新世界
勿論、領土の割譲となれば、共和国側からの抵抗があるだろう。その辺りの妥協点を外務省と協議して探し出さねばならない。
ヴァロワ卿は時計を見て、増兵の支持を出す旨を告げ、部屋を去っていった。
こんな戦争は早く終わってほしい。終わらせたい――。
大きな溜息が吐き出される。私はおそらく自分が考えている以上に、この戦争に嫌気を感じている。
何よりも、私がこの戦争の当事者であるということに――。
嘗て私は、帝国は侵略戦争をしないと言った。レオンとムラト次官に。
特にレオンには、それは間違った認識だとまで言った。今頃レオンは呆れていることだろう。
そしてもし、この戦争を指揮しているのが私だと知ったら――。
「……済まない……」
「帝国軍の攻勢が増し、我が軍が完全に圧されています」
エスファハーン支部で、ハッダート大将やバース中将達と打ち合わせをしていた時のことだった。ラフィー准将が慌ただしく司令室にやって来て、シーラーズでの情勢を伝えた。これまでは何とか五分五分といった状態だった。もしかすると帝国軍は兵員を増やしたのかもしれない。
「損害はまだ正確には把握出来ませんが、戦闘可能要員は半数にまで減少している模様。帝国軍はシーラーズ中部まで侵攻しています」
がたんと音を立てて、ハッダート大将が勢いよく椅子から立ち上がる。帝国軍は数を増したのか――と言った。
「数値の把握は出来ていませんが、戦闘員によれば急に勢力を増したのだと」
「一気にシーラーズを落とすつもりか!」
ハッダート大将は口惜しげに拳を握り締めた。戦局が膠着していると判断するには時期が早すぎる。もしかすると、帝国ははじめからこの時期での増兵を予定していたのかもしれない。
「レオン。アジア連邦からの援軍はまだか?」
「陸路での行軍のため、少なくともあと五日はかかります。……ハッダート大将、シーラーズからエスファハーンに撤退しましょう」
シーラーズでの部隊を撤退させ、首都から援軍を派遣して貰えば、このエスファハーンの攻略は防ぐことが出来る。エスファハーンだけは守らなければ――。
だが、ハッダート大将は暫く考え込むと、首を横に振った。
「シーラーズ中部で十五万の兵が残っていると仮定するなら、あと二日は現状維持が可能だ。今、シーラーズからエスファハーンに撤退すれば、大軍がこのエスファハーンに押し寄せることになる。そうなると五日も持たない」
「シャフィークの言う通りだ。レオン、撤退にはまだ早い。エスファハーンに一万の兵を残し、残りはシーラーズ防衛に当たらせた方が良い」
バース中将が側から意見する。ギラン中将も同様に頷いた。たとえシーラーズを陥落されるにしても、エスファハーン防衛のために現段階ではシーラーズから兵を退いてはならないと彼等は口々に告げる。
確かに、敵がシーラーズしか攻め込んでいないのならば、それは有効な策だろう。だが――。
「……帝国軍の目的はシーラーズ陥落ではないと思います。シーラーズ攻略に見せかけて、別の目的を持っているでしょう。そうでなければ、宣戦布告から五日も沈黙していたでしょうか」
「……レオン、お前は敵の目的がこのエスファハーンだと読んでいるのか」
「はい。此処はこの国の第二都市という位置付けで、南部において首都とほぼ同じ機能を果たしています。その機能を麻痺させること、つまりエスファハーン攻略こそ帝国軍の真の目的ではないかと」
バース中将が腕を組み、考え込む。では五日間の沈黙についてどう考えているのか、とハッダート大将が尋ねた。
「他地域からの侵入の確保です。我々の眼をシーラーズに向けて、その間に忍び込む」
「だが、帝国軍はシーラーズにしか居ないぞ。それ以外の地域からの報告は無い」
ハッダート大将の指摘通り、各地域の警備隊からは何の報告も無い。しかし、この帝国軍の動きをそうとでも解釈しなければ、五日間の沈黙の説明が出来ない。あれは何か策あってのことに違いない。その策は何だろうかとずっと考えていた。考えた末の結論は、此方の眼をシーラーズに向けることではないかということだった。
「しかし……、たとえお前の予想通りだったとしても、此方の監視の眼を盗んで侵入出来る人数など限られている。エスファハーンには一万人の兵がいることを合わせて考えれば、侵入者は押さえ込める」
ハッダート大将は中央のスクリーンに映し出された周辺地図を見ながら、エスファハーンの守備が万全であることを告げた。一万人いれば充分だ、とギラン中将も頷く。
「帝国にはトニトゥルス隊という特殊部隊が居ます。もし侵入したのが彼等だったら?」
「……まさか開戦初期の状態で、特殊部隊の投入はすまい」
「帝国は長期戦を回避したい筈です」
もし俺が帝国軍の一員だったら、どうやって攻略をするか――、長期戦を避けるために首脳部を潰すのが一番だ。そのためには、首都を攻略する。だがその首都が遠ければ、一番近い都市の官庁に狙いを定める。帝国は大軍で此方の眼を逸らし、その間に都市を攻略するつもりに違いない。
「ではレオン、こうしたらどうだ? 首都アンカラから特殊部隊アフラをエスファハーンに向かわせる。今晩、首都を出立すれば明後日には此方に到着出来る筈だ」
ハッダート大将の案は考えないでもなかった。しかし、首都も完全に安全な場所という訳ではない。可能性は低いだろうとムラト大将と結論づけたことではあるが、新トルコ共和国の北にあるビザンツ王国から帝国軍が侵攻してくる可能性も、完全に否定出来る訳ではない。ビザンツ王国は新ローマ帝国と親交が深い。加えて、首都アンカラはビザンツ王国から近い。その事態が生じた時のためにも、出来るだけアフラ隊は首都に置いておきたい。それに……。
「今、アフラ隊の半数はホスロー様の邸宅を交替で護衛しています」
「……アフラも動かせないか……」
「ならばその半数で良い。首都から此方に向かわせるようムラトに要請しよう。二、三日なら一万人の守備隊でエスファハーンを守れる筈だ」
バース中将が提案する。それならばということで承諾し、ハッダート大将をシーラーズ防衛に向かわせることとなった。その一方で帝国軍の襲来に備え、エスファハーンの官庁所属の官吏を避難させることにした。
だがどうも嫌な予感が捨て去れなかった。シーラーズから兵を撤退させてこのエスファハーンを守った方が良いのではないか。根拠は無いが、帝国軍が既にシーラーズを過ぎて、この国の内部に入り込んでいるのではないかと思えてならない。
5月12日、シーラーズでの熾烈な攻防は続いていた。ハッダート大将からは何とか中部で侵攻を食い止めている、と今朝、連絡が入った。
明日の午後には、特殊部隊アフラが此方に到着する。しかしこのままシーラーズでの防戦を続けることは出来ない。時期を見計らって撤兵し、エスファハーンでの攻防戦に備えなければならない。
「長官!」
僅かな休息の時間を終え、司令室に向かって廊下を歩いていたところへ、エスファハーン支部所属のターヒル・ジンナー大佐が息を切らしながら、駆けてくる。どうかしたのかと問うと、帝国軍です、と彼は言った。