新世界
いつ帝国から攻撃を受けるか解らないため、此方の作戦実行もいつ開始することになるか解らない。そのため、明日から暫くは本部に詰めなければならなかった。それに帝国が進撃してきたら、エスファハーンに向かわなければならない。
作戦行動中は外部との連絡が取れなくなる。そうなる前に今日、実家に連絡をいれておかなければならなかった。
宿舎に戻ってから電話をかけると、予想していた通り、祖母がこの事態を酷く心配していた。戦地に向かうのかと頻りに問い掛けてきたから、大丈夫だと何度も繰り返した。祖父は軍隊になど入るからだと言って、随分怒っているらしい。
「落ち着いたらまた電話をするよ。……大丈夫だから、そんなに心配しないで」
電話を切ってから、ソファに腰掛ける。眼を閉じるとこのまま眠ってしまいそうだった。考えてみれば、ここ数日は仮眠しか取っていない。
眠ってしまう前に胸元から携帯電話を取り出す。誰からの着信も無かった。
ルディからも――。
遠からず――、否、あと数日の間には帝国との戦争が開始される。
出来ればルディと連絡を取っておきたかった。たった二回、話をしただけなのに、ルディのことはいつまで経っても忘れられなかった。
きっとルディは今回の戦争に反対している。だが、今の帝国でそのような発言をしたら糾弾されるに違いない。帝国で、彼のような存在を失ってはならない。
だから、戦争が終わるまでの間、この国かそれとも他の国に身をおいたらどうかと提案するつもりだった。
尤もこの国も安全かどうかは解らない。だが、帝国のように国の思想に沿っていないからといって糾弾されることはない。
そう考えて連絡をいれたのに、ルディから連絡は来なかった。もしかしたら帝国はもう臨戦態勢に入っていて、通信が遮断されているのかもしれない。
「無事なら良いが……」
携帯電話をテーブルの上に置いて、眼を閉じる。急激に睡魔が襲ってきて、そのまま眠りに落ちた。
宣戦布告を受けてから四日――、この間、帝国から何の音沙汰も無かった。なかには宣戦布告は単なる脅しに過ぎなかったのではないかとさえ囁く者も現れてきた。
「気を緩ませないよう告げてあるが、それにしても静かすぎてな。本部は何か掴んだのか聞きたかったが……」
西方警備隊所属のハッダート大将が通信回線を使って、此方に連絡を寄越して来たのは、この日の午後のことだった。ムラト大将と共に二人で、ハッダート大将からの報告を受けた。シーラーズには何の異変も無いらしい。他の地区も監視しているが、何処にも進撃してくるような影は無いのだとハッダート大将は言った。
「シャフィーク。ミサイル探知レーダーは?」
「何も感知していません。此方は不気味なほど静かですよ」
ハッダート大将は少し手許を動かした。彼の隣に、四角い小窓が出て来てシーラーズの国境付近の映像が映る。其処には地平線が映っているだけだった。
四日間、帝国にまったく動きが無いというのはどういうことなのだろう。既に敵の術中に嵌っているようで、少々不気味さを禁じ得ない。
「ところで、シーラーズに帝国軍が侵入してきたらレオンがエスファハーンに向かうと聞いたが……」
「ええ。……そのつもりでしたが、少々予定を早めてエスファハーンに向かった方が良いのかもしれません」
帝国が侵略を諦めたとも、またあの宣戦布告が単なる脅しだったとも思えない。帝国は必ずこの国に侵攻してくる。そう考えると、この静けさは異様で、既に帝国は何らかの計画を遂行しているように思えてならなかった。
「敵はシーラーズを攻略した後で、第二都市エスファハーンを狙う、か……。だがエスファハーンはシーラーズから東方にある。その間にはナーイの町もあるから、首都を目的とすれば大分迂回することになるだろう。長期戦を望んでいないことを考えると、シーラーズから首都へ直行するようにも思えるが……」
「帝国はシーラーズの資源を狙っています。資源を確保出来れば、多少の寄り道も可能になります。それにエスファハーンが第二都市という位置付けである以上、帝国はエスファハーン陥落を狙うでしょう」
「シャフィーク、帝国が侵攻してきてその数が解ったら即座に此方に伝えてくれ。状況によってはすぐにシーラーズから撤兵する」
「了解しました。ムラト大将。ではレオン、エスファハーンで会おう」
ハッダート大将は敬礼をして、通信を切った。会話の途中でテオが部屋にやって来たが、扉の前に待たせておいた。そのテオが少し肩を持ち上げて言った。
「……どちらが長官なのか解らなくなるような会話だね」
「ハッダート大将はムラト大将にとっては後輩だが、俺にとっては先輩だからな」
「まあしかし、軍紀が乱れて後輩に示しがつかなくなるという意味では先輩後輩関わらず、長官に対して敬意を払わなくてはならない。言葉遣いを直した方が良いのかもしれんな。俺も含めて」
「そのようなことをされたら、窮屈でならなくなりますよ」
「長官という地位にある者が何を言う」
「……私に長官職を押しつけた人の台詞とは思えませんね」
「押しつけたとは失礼な。お前の方が適任だと推薦したまでだ。事実、適任だっただろう」
中将から大将への異例の早期昇進も、大将となって一年目での長官への任命も、全て先輩達に推されてのことだった。当時、守旧派の長官が議会によって更迭され、進歩派に与する大将級の人材が必要となった。マームーン大将やギュル大将が居たにもかかわらず、人事委員会で推薦を受けたのは俺だった。大将となって一番日が浅い人間が、大任を引き受けることは出来ない――と、あの当時、随分固辞したが、ムラト大将や他の中将達に強く推され、半ば強制的に長官を引き受けることとなった。
「ところでテオ。何の用だ? 書類か?」
ムラト大将は巧みに会話を逸らしながら、テオに問い掛けた。
「先刻、エスファハーンへ同行する将官のリストを見たんだ。俺もエスファハーンに行きたいと志願していたのに……」
「駄目だ。テオ、あれは長官命令と記してあった筈だぞ」
「兄さんは俺を意図的に外したんだろう? 戦地は危険だからと……」
「この事態にそのような私情を介入させたと思うな。テオ、お前の言動は軍法第二十一条第一項の長官命令違反に抵触するぞ」
「ムラト大将、でも……!」
「お前を連れて行かないのは、経験不足だからだ。准将となってまだ日も浅い。現地で准将としての責務を果たせることを考えて、ラフィー准将を選んだ。ただそれだけのことだ」
「兄さん……」
「お前はこの本部に残るムラト大将達の補佐を務めろ。それがお前の役目――、此処での准将としての責務だ」
テオは俯いて拳を握り締めていた。兄としてではなく、長官としての命令だということに歯痒さを感じているのかもしれない。
「……解り……ました……」
テオは顔を上げて此方に向かって敬礼すると、くるりと身体の向きを変えて部屋を去っていった。扉が閉まる。ムラト大将は苦笑しながら俺を見て言った。
「血気盛んな頃だ。帝国との戦争でなければ、これも一つの経験としてリストに加えても良いと思ったが……」