新世界
考えたいことが山ほどあって、時間が経っていたことに気付かなかった。机の上の書類をしまってから、席を立つ。オスヴァルトも書類の一通りを整理し終えたところだった。身支度を整えてから二人で宰相室を後にした。
宮殿は夜の闇を纏っていた。オスヴァルトは宮殿に程近い宿舎で暮らしている。宿舎は私の帰る方向とは逆で、オスヴァルトとは宮殿前で別れた。それから邸に向けて歩き出したところ、何者かが眼の前の道を阻んだ。暗闇に紛れるかのように全身黒い服で、その顔すら窺うことが出来なかったが、五人居た。
旧領主層の誰かの差し金だろう。こうした事態は予想出来たことだった。私が一人になる時を見計らってのことだろう。ロイが居ない今は、狙われやすい状況を作り出しているということも充分に解っていた。
「ロートリンゲン宰相だな」
「如何にも。そちらは名乗る気はあるのか」
五つの銃口が一斉に此方に向けられる。此方の質問にも答えず銃口を向けるということは、私を殺すよう命じられているのだろう。犯人は大体検討がついた。相当焦ったに違いない。それにしても私を消したあとで自分に嫌疑がかかるとは思わなかったのだろうか。
フォン・シェリング大将――、彼が仕組んだことだろう。今の時点で、私が皇位を継承することを知っている人物は彼しか居ない。そして彼自身が一番、私を邪魔な存在だと考えるだろう。
少し鎌をかけてみるか――。
「私が銃弾に倒れたとなれば、捜査の手はお前達の雇い主――フォン・シェリング大将に嫌疑がかかる。彼はそこまで考えて行動しているのか?」
それとも嫌疑がかかっても構わないと考えているのだろうか。皇族の血筋に一番近しいから、私さえ消えればゆくゆくは皇位の座が巡ってくる――と。
男達は何も答えなかった。答えないということは、おそらく私の推測は当たっているのだろう。
「動くな!」
その声は眼の前からではなく、背後から聞こえてきた。男達が背後の人物に視線を遣る。その一瞬の隙に持っていた鞄を左端に居た男に向けて投げ飛ばし、右端の男の拳銃を足で薙ぎ払う。パンと音がして、中央の男の手から血が噴き出す。
「宰相!」
ちらと背後に視線を遣ると拳銃が一挺飛んでくる。手を伸ばしてそれを受け取り、私に銃口を向ける男に向けて、狙いを定めた。
撃ってくるかもしれないと思った。私への殺意が強い。たとえ相討ちになってでも私を消そうとするだろう。
私も撃つしかないか――そう考えて引き金の指に力をこめたその時、私の隣から発砲音が響いた。男の手から拳銃が離れる。逃げようとする男の足をすかさず撃ち抜く。男は悲鳴をあげたが、仲間に連れられてこの場を立ち去っていった。
「ありがとうございます。ヴァロワ卿」
間に合って良かった、とヴァロワ卿は軽く息を吐いて言った。先程、彼が投げ渡してくれた拳銃を返そうとすると、ヴァロワ卿は首を振った。
「緊急時として許可証を出しておくから、宰相が持っておけ」
「私は文官ですよ」
「今日の顛末を陛下に報告して、私が陛下から許可を頂いておけば問題無いことだ」
「文官は武器を所持してはならないという法をねじ曲げることになります。御気持はありがたいのですが、これはお返しします」
ヴァロワ卿はぐいと拳銃を私に押し戻した。
「……それはハインリヒが使っていたものだ。ハインリヒの居ない今はお前を護衛する者も居ない。今、大急ぎで人選しているがせめてそれまでの間は持っていてくれ」
ロイの使っていたものと言われ、思わずそれを見返した。軍人は軍人として任命を受けた時から退職するまで、拳銃の携帯が許されている。またこうした武器類は管理を徹底させているため、拳銃にも刻印が施されている。今持っている拳銃には確かに、ロイの名前が刻まれていた。
「文官にしておくには惜しい人物とは聞いていたが、宰相の立ち回りを初めて見た。確かにあれほど機敏に動ければ、並大抵の護衛では務まらんだろう」
「ヴァロワ卿が来て下さらなければ撃たれていましたよ」
銃口が此方に向けられた時、一瞬、死を覚悟した。彼等の目的が私を脅すことであったのなら、対処の仕様があったが、彼等は私の命を確実に狙っていた。
「フォン・シェリング大将の名を挙げていたが……。フォン・シェリング大将が黒幕か。それは確証のあることなのか?」
「確証はありませんが、彼が私の命を狙う理由はあります」
「進歩派の急先鋒だからか?」
「それも理由の一つですが、今日狙ってきたことからも考えて、思い当たることがあるのです。ヴァロワ卿、少し時間を頂けますか?」
このような事態となったからには、ヴァロワ卿には話しておくべきだろう。
邸に戻り応接室にヴァロワ卿を通して、人払いをしてから皇位継承の話をした。皇帝が次期継承者と目しているのが私だということにヴァロワ卿は流石に驚きながら、顎に指を添えて言った。
「宰相は陛下のお気に入り――と皆、熟知しているが……。それでもまさか陛下が宰相を後継者に指名するとは誰も思っていないだろう。皇女達の結婚相手に選ばれることはあってもな」
「私自身、その話を聞いた時は驚きました。陛下には弟君がいらっしゃいますし、その御子息も健在でいらっしゃる。それなのに何故私を指名したのか解らないのです」
「マリ様がお戻りになると本気で考えていらっしゃるがゆえのことか」
「おそらくはそうでしょう」
「だがどう考えてもマリ様はもう……」
「私もそう考えます」
「……で、宰相は何と返事をした?保留にしてあるのか?……否、愚問か。陛下の命令は絶対。特に最近、陛下は発言力を増しているな」
「……陛下の発言力が増しているとヴァロワ卿もお考えでしたか」
「此方の話をお聞き下さらないことも多い。嘗ては耳を傾け、御自身の意見を述べてから、此方に決めさせる御方だったがな……。今の帝国の有り様は少々危険だと思っている」
やはりヴァロワ卿も同じように感じていたのだろう。帝国が、専制色の濃い国家となりつつあるということを。
「実は今日、陛下から皇位継承の話を賜った折、陛下の御代で帝政に終止符を打ってはどうかと提案したのです」
ヴァロワ卿はさらに驚いた様子で此方を見つめた。思い切ったことを発言したものだな――と感心と呆れの混じったような表情でヴァロワ卿は言った。
「陛下の前でそのような発言をするなど……。宰相だから許されたようなものだが、他の者が口にしたら首が飛ぶぞ」
「案の定、陛下の御不興を買いました。ですがヴァロワ卿、私はこの帝国をゆくゆくは共和制に移行させたい。この広大な国を一人の為政者が、民衆の権利を尊重しながらひとつに纏めるのは困難です。今、帝国では議会が形骸化していてその役目を果たしていません。ですが、今後、議会は必ず必要な手段となる。そうでなければ、独裁と恐怖政治を敷くしか存続の道はありません」
「……宰相の意見には賛成だが、この帝国の、特に旧領主層の間に宰相の賛同者がどれだけ望めるか……」
「厳しいでしょう。特に私は旧領主層の特権を排除する政策を取っていますし……」
「それにそのような発言が旧領主層の耳に入れば、また命を狙われることになる。格好の的になるぞ」