新世界
「ああ。皇位継承者のことは気にかかることではあるが、陛下はマリ様がお帰りになると思ってらっしゃる。マリ様を長期に亘り捜索するのだったら、諸外国に知らせたくなかったがな」
「知らせた方が早く見つかるのではないのですか?」
「そうだが、同時に後継者不在を露呈してしまうことになる。そしてもう一点、マリ様を利用しようとする者も出て来る筈だ。陛下にもそうお伝えしたのだが、聞き入れて下さらなかった。どのような手段を講じても第一にマリ様を見つけろ、と」
「閣下……。最近、陛下が閣下の言葉に耳を貸さなくなったのではありませんか……?」
オスヴァルトは気遣わしげに此方を見て言った。それは尤もなことだった。
「そうだな。陛下の権力の下、私の発言力などたかが知れている。それにロイの件もある。このたびのマリ様の失踪もロイに絡んだことだ。私を信用なさらないのも仕方の無いことだ」
いざという時に、私はいつも皇帝の権力に押さえつけられてしまう。皇帝を諫めることが出来ないのは、宰相として情けないことだと思う。そして宰相として皇帝が私のことを信頼しないのならば、私はこの座から降りるべきなのだろう。
だが私が今辞めたら、宰相には守旧派の誰かが指名されることになるだろう。フォン・シェリング大将がそれを狙っているかもしれない。そうなると、守旧派の声が一気に強くなる。今、そのような事態になれば侵略戦争が起こりかねない。
「閣下。お電話が……」
机の上の電話が鳴っていることに気付かなかった。すぐに受話器を取ると、皇帝からですぐに執務室に来るように告げられた。
「解りました。すぐに参ります」
皇帝が呼び出したのは、海軍部の長官が空席についてのことだった。フォン・シェリング大将は一足早く此方に来たようで、予想通り、フォン・ビューロー中将の昇格を願い出たのだと言う。中将から大将、そして規定の職歴なくして長官に指名するということに、皇帝も些か躊躇したようだった。
「フリデリックの言う通り、今の状況下で、海軍部の長官を長々と空席にしておくことは出来ない。リヒャルト・フォン・ビューローを大将に昇格させることも依存は無いが、長官となると話は別だ。フェルディナント、誰か適任はおらんのか」
「畏れながら、ちょうどその件で陛下とお話したいと考えていたところでした。海軍部にクリスト・ヘルダーリン大将が居ます。彼は現在、次官を務めており、大将となって四年半となります。長官には、フォン・ビューロー中将よりヘルダーリン大将の方が適任かと思います」
「海軍部には大将となって五年以上の職歴を持つ者は居ないのか?」
「ヴァロワ長官にも伺いましたが、そのようです。大将のなかではヘルダーリン大将が一番長いと。この数年、老練の大将達が続々と退官したことも原因のようです」
「そうか……。ならばヘルダーリン大将が適任だな。お前が推薦するということは、ヘルダーリン大将は守旧派ではないのだろう」
「左様に御座います。守旧派の方でも適任者が居ればとは考えましたが、条件に見合う者も居らず……」
「守旧派だとお前が執政し辛くなる。今のうちに長官を変えられる部署は変えておくことだ」
私に与する者に変えておけ、と?
それは一体どういう意味なのか。一波乱起きることを踏まえての言葉のようにしか思えないが。
「陛下……?」
「マリが不在の今、実質的に皇位継承権はお前にあるということだ。先程、フリデリックが甥のフレディを推薦してきおったが、マリが第一継承者であることは今尚変わらぬ。そしてそのマリが次の継承者にお前を指名していたのだから、マリが戻るまでの間はお前が皇位継承に一番近い人間ということになる」
皇女マリが失踪したという時点で、私のことは白紙に戻されていると思っていた。現在において私が一番継承権に近いなど、考えもしなかった。
「マリが継承権を移譲するつもりであったことを、先程フレデリックには伝えた。……今週中にマリが見つからねば、この話は諸外国にも伝えるつもりだ。後継者不在と帝国を侮られては困るからな。お前もそのつもりで構えていろ」
これで良いのだろうか。
これで確かに私は自分の欲しいものが手に入れられる。この国を変えるだけの力を持つことになる。
だが、本当にそれで良いのか?
「陛下。無礼を承知で申し上げます」
「何だ?」
「一家臣に過ぎぬ私に身に余る御厚恩を頂いていることは、感謝の尽くしようも御座いません。この国が、これから先も平穏な国であり続けるために尽力なさる陛下のお気持ちも充分に解っております。しかし、惑星衝突からもうじき300年が経ちます。地球が壊滅状態になり、それぞれの国を復興させるために強き指導者が必要だった時代はもう終わりつつあるのです。現在、君主制を標榜する国家は減少しつつあります」
「……何が言いたい?」
「陛下の御代で帝政を終えることを考慮しても良い時期ではないでしょうか」
「腑抜けたことを!」
皇帝の片手が強かに机を叩きつける。怒声が轟く。皇帝が怒りを露わにするであろうことは解っていたことだった。皇帝は帝位の存続に並みならぬ執着を持っている。だから、たとえ皇女マリが見つからずとも、親族に皇位を継承させるつもりだろうとは思っていた。まさか私自身が一番継承者に近い立場にいるとは思わなかったが――。
「良いか、フェルディナント。金輪際、そのような考えは捨てよ。帝室あればこそ、この国も繁栄もある。合議制に基づいては何事も決められぬ。安定した統治のためにこそ、君主は必要なのだ。お前ほどの人間にその程度のことが解らぬとは言わせぬぞ」
安定した統治――、確かにその言葉に今迄囚われていた。しかし君主が道を外したら? そして宰相たる私の意見すら耳を傾けてもらえなくなったら、他の誰の話も聞かなくなったら、誰が君主の暴走を止められる?
「陛下。私は自分が権力を得た時に、自分が変わってしまうのではないかということが恐ろしいのです。失政を失政と解らないほど判断を鈍らせていたら、誰が私を止めることが出来ましょう。君主制はそうした危険を孕んでおります」
「お前はそうはならぬと判断したから、私はお前をマリの相手に選んだのだ。今後、お前には帝王学を学んでもらう。マリが戻ったとしても、ゆくゆく皇位はお前が継ぐのだからな」
「陛下……」
「ロートリンゲン家は親族に継承させろ。お前はそうした雑事が終わったら、宮殿に入るように。良いな」
私のたった一度の判断ミスがとんでもない事態を招いた。
言いようの無い不安を感じた。自分がこれからどうなってしまうのか、期待に似た気持が全く無いとは言わない。だがそれ以上に不安を覚えた。
私が帝位に就けば必ず波乱が起きる。私はそれを知りながら、帝位の座に就こうというのか。波乱が生じれば民にも被害が及ぶ。私は――。
何故、あの時、もっと考えておかなかったのか。私の選択が深刻な事態を起こしかねないことを。手に届くところにある権力に、何故あれほど拘ったのか。
ロイを――弟を犠牲にしてまで。
「閣下。本日の執務はこれで終了です」
「ああ、そうか。ではオスヴァルトも職務を終了してくれ。私も帰宅する」