新世界
言ってから傍と気付いた。軍本部には守備隊として五名の佐官が居る。もしかして其方に配属になったのか。
「同日……というより、本当は此方が先なんだけど、准将に昇格することになった。それで配属先が軍本部になったんだ」
「准将に……!? 初めて聞いたぞ、俺は」
来月から所属ということならば、当然、ムラト大将も知っているだろう。否、それどころか本部の人間は全員知っていてもおかしくない。もしかして知っていながら教えてくれなかったのか。俺を驚かすために。
「先週、マームーン大将から昇進の話が出たんだ。それあとでムラト大将から電話があって、人事委員会が俺を本部に所属させるって。その時、兄には俺から伝えるから黙っていてくれって言ったんだ」
「そういう重要なことは早く言え」
「兄さんのところに電話しても居ないじゃないか。本部に連絡しても、多忙で電話に出られないって取り次いで貰えないし。新ローマ帝国に行っていたとは思わなかったよ」
そういえば、先週といえば新ローマ帝国に行っていた時期だ。如何に弟であっても高官の任務先を教えないから、これまで連絡が無かったのは仕方の無いことか。
「お前達、兄弟ならもっと連絡を取り合わんか」
「忙しいんだよ。俺も兄さんも」
「電話などほんの数分だろうが。お前達の話を聞いていると、兄弟の会話と思えん」
祖父は祖母の淹れた珈琲を飲みながら、不機嫌そうにそう言った。確かに、ここ最近テオに電話すらしていなかった。祖父の言う通り、電話ぐらいは出来た筈だ。
「来月からは毎日顔を合わせるということか。昇進おめでとう、テオ」
テオは照れ臭そうに笑った。祖母も昇進おめでとうと優しく言葉をかける。しかし祖父は黙ったまま珈琲を飲んでいた。俺達が士官学校に入る際、大反対していたのだからこれはもう仕方無いというものだろう。
『お前達が昇進するということは、誰かを傷付けるということ。昇進を喜ぶということは、誰かを傷付け殺すのを喜ぶのと同じだ』
俺が将官に昇進した時、祖父は真面目な顔でそう言った。祖母はそんな祖父を嗜めたが、祖父の言葉には頷ける節があった。軍において功績を挙げるということは、敵を倒すことに他ならない。その言葉を聞いてから、俺は軍人でありながら戦争回避の道を探るようになった。
祖父母の夜は早い。旅疲れもそれほど感じていなかったから、よく冷えたビールを携えてテオの部屋に行った。こうして二人で飲むのも一年ぶりだった。
「それにしても准将に昇進したとはいえ、人事委員会がよく本部への配属を命じたものだ」
「マームーン大将の話だと、当初はハリール大将の許に配属される予定だったみたいだ。けれどハリール大将が保守派だろう? それで進歩派の兄に持つ俺を嫌がったみたいで……。他の大将のところは将官が足りているから、ならば本部へということになったらしい」
「俺のせいで盥回しか。それは済まないことをしたな」
「俺としては本部で良かったけれどね。俺自身、兄さんが長官の間は本部に配属ということは無いと思っていたから」
この国では、兄弟や肉親が揃って同じ部署に勤めることはまず無い。長官や次官の身分にある場合は尚更だった。それには色々な理由があるが、親族だから重用したのではないかという外部からの不審を招かないようにするということが、一番の理由だろう。テオが本部に配属されることは無いと思っていただけに、本当に驚いた。
「ハリール大将の許には保守派の大御所ばかりが集っている。一人ぐらい進歩派を送り込んでも良いと思うがな」
「最近では保守派の方が少数派だけどなあ。年寄りは頭が堅いから」
テオの言葉に苦笑しながらビールを口に運ぶ。テオも同じようにビールを飲んだ。
「仕事はラフィー准将に教わって早く憶えることだ。おそらく彼がお前の教育係となるだろう」
テオは嬉しそうに頷く。昇進とそれに伴う本部への配属は、俺が考えている以上にテオにとっては嬉しいことなのだろう。若くして昇進するというのは、それだけ実力を認められたということもあるが、今後いろいろと苦労することだろう。俺自身がそうであったように。
テオは傍と思い出したように、ビールを持ち上げかけた手を止めて言った。
「新ローマ帝国で任務って何かあったのか?」
「調査のようなものだ」
「観光は?」
「まあ少し町を見て回ることが出来たかな。海も見た」
テオは海と聞いて眼を輝かせる。テオもまだ海を眼にしたことはなかった。
「けれど……、調査ってことはあまり良い意味での調査じゃなかったんだろう?」
「あまり大声では言えないものだな」
「長官ともあろう人が直接調査に行くのもどうかと思うけどさ。……まあ兄さんのことだから自分から名乗り出たんだろう」
苦笑を返すとテオはやっぱりそうだと呟く。
「……戦争にならなければ良いな」
「テオ……」
「俺だってこの国の内情は知っているさ。保守派が内乱を起こすことも無いとは言い切れない。本部は進歩派ばかりだから解らないだろうが、保守派と進歩派の対立は最近特に激しい。内乱となった時に外から攻められたらこの国はひとたまりも無いよ」
「……そうだな」
テオは窓の外を見遣って、ビールを口に運んだ。
空には星が輝いていた。同じ空をルディも見ているのだろうか――ふとそんなことを考えた。
長期の療養休暇を終えて復職した時には、夏も終わりに近付いていた。休んでいた間に持ち込まれた案件について、副宰相のオスヴァルトに説明を受けながら、新たに持ち込まれる案件の処理を済ませる。忙しかったが、オスヴァルトに手伝ってもらうことで、負担を大分軽減出来た。オスヴァルトは嫌な顔ひとつせず、仕事を引き受けてくれた。また、宰相室付きの秘書官も一人増員することで、オスヴァルトの負担も少しは軽減することが出来た。
「ロイ。そろそろ出発の時間だが何をしてい……」
ロイの部屋の扉を開けてすぐに口を噤んだ。ロイは電話中であり、その様子から相手は皇女マリであることがすぐに解った。仕方なく、扉の外で電話が終わるのを待つことにした。
来週の月曜日、つまり明後日、各国から長官級の使者が集まって、国際会議が開催されることになっていた。国際会議の会場は、経済力のある第五位までの国が設置する。今回は新ローマ帝国の東部にあるエディルネで、国際会議が開催されることになっていた。既にエディルネには遠方の国の全権を担った使者達が到着していた。エディルネまで空路で五時間かかる。今回は軍備に関する会議のため、軍務省からはロイが出席することとなった。土曜日のうちに移動すれば日曜日は休める――そう言っていたのはロイなのに、そのロイが出発予定時刻になっても部屋から出て来ない。電話がまだ終わらない。五時には飛行場に到着していなければならないのに。
「悪い。ルディ」
漸くロイが部屋から出て来た時には午後4時30分になろうかとしていた。車で行けば何とか間に合う時間だった。
「出発しよう。遅れてはいけない」