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新世界

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 父は私に気付かせたかっただけだ。生きようとする意志を強く持て――と。
 アランにも父と同じことを言われて、そして漸く私は気付いた。


 急に息が詰まって噎せ返る。なるべく周囲に音が漏れないように毛布を被る。ルディ――と隣から声が聞こえた。アランを起こしてしまったようだった。
「五月蠅くて済まない」
 咳が止まってから毛布から顔を出してアランに謝る。アランは気遣わしげに私を見、苦しくはないか――と問い掛けてきた。
「ああ。……迷惑を掛けて済まない。また作業中に倒れたのだろう」
 まあな、と言ってからアランは言った。
「上に医師免許を持った奴が居ると言っただろう?ルディが気を失ってから少し診て貰った。ルディのことを知っていたが……、アドルフ・ベッカーという奴を知っているか?」
 アドルフ・ベッカー。
 その人物のことならよく知っている。半年前まで皇室の侍医を務めていた人物だった。第二皇女エリザベスの病因を見いだすことが出来なかったとして、禁固刑を命じられた。このアクィナス刑務所に居るとは知らなかったが――。
「……皇族の侍医だった人物だ。私も宮殿で体調を崩した折、診て貰ったことがある」
「そうとも言っていた。刑期が一年半だったのは宰相閣下のおかげだとも言っていたぞ」
「いや……。あの時も私は何も出来なかったんだ。そもそも罪に問われるようなことは何ひとつしていないのに……」
 禁固刑から懲役刑に転じたうえで、刑期を一年半としたのはハイゼンベルク卿の裁量だろう。皇帝の眼を上手くそらしてそうしてくれたに違いない。
「なあ、ルディ。その医者が言うには、呼吸器系と……心臓が悪いのではないかと言っていたぞ」
 自覚症状はあるか、とアランは問う。
 薄々勘付いてはいた。胸が時々痛む。銃弾を受けた傷から生じているものかとも思ったが、そうではなくてやはり心臓だったのか。
「……そうか……」
 生まれた時から心臓が強くなかったとは聞いている。
 先天的虚弱と一言にいっても症状は様々だという。腎臓や肝臓が悪い人も居る。私の場合は心臓だった。
 普段は健常者と同じように行動出来るが、体調の悪い時には気を付けるようにと医師からも再三忠告を受けた。呼吸器系――気管支や肺もそれほど強くない。風邪を拗らせて肺炎に罹ることも度々だった。それが長引くと心臓に負担がかかる。侍医のトーレス医師は常に私の心臓を案じていた。
「身体がきつい時は絶対に無理をしては駄目だと言っていたぞ。ルディ、刑吏官は俺が上手くやるから、お前は暫く休んでろ」
「ありがとう、アラン……」
「あと五十年は此処で耐えなきゃならんのだからな。居直ってのんびりした方が良い」
「……アランは……、あと二年……か……」
「ああ。俺が出たら、ルディが此処から出られるよう働きかけてやる。俺が出来ることなどたかが知れているが、少しでも刑期が短くなるなら……な」
 アランは良い人間だった。こんな刑務所に入る必要の無かった男だ。罪を被されたというのに、それにすら真正面から立ち向かおうとする。強い男だ――といつも思っていた。
「……アラン」
「何だ?」
「私には弟が居る……。名前はハインリヒ……、ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲンだ。国外追放を命じられ、今はこの国に居ないが……、いつか帰ってきてくれると信じている……」
「……弟も処分を受けたのか……」
「弟の件は今回のこととは無関係だが、私のせいだ。……全てはあの時から狂い出した……。私が選択を間違えて、そして……」
 また咳がこみ上げてきて、言葉を一旦切る。毛布にくるまって咳が鎮まるのを待った。
 しかしなかなか止まらない。絶え間ない咳のせいで息が出来ない。

 咳き込み続けてどのくらい経ったか、随分時間が経ったように思われた。胸がかっと熱くなって、息が詰まるような感覚に襲われる。皆を起こしてしまうかもしれないと思いながらも、堪らず大きく咳き込んだ。

 口を覆っていた手に生温かいものが付着した。
 血だ――。
 見えなくとも解った。掌のぬるりとした感触と口の中に残る血の味――。
「ルディ。大丈夫か……?」
 その時、漸く咳が収まった。
「ああ……。収まった」
 きっと私はもう長くない――。
 否――、諦めては駄目だ。
 だが――。
「アラン……。言伝を頼まれてもらえないか……?」
「言伝……?」
「何処かで……、弟に会ったら、私が済まないと謝っていた、と……」
 ロイにもう一度会って謝りたい。私が悪かったと――。
「……そういうことは本人の口から言わないと駄目だ」
「……そうだな……」
 アランに指摘され、自分自身でも苦笑する。
 このところ、ロイのことばかり思い出す。子供の頃の夢ばかりを見る。きっと私が会いたいと望んでいるからだろう。

 ロイは今、何処で何をしているのだろうか――。
 会いたい――。






「全部隊を帝都まで撤退させ、降伏を申し出て下さい」
 エディルネ支部陥落に引き続き、ソフィア支部陥落の報せが入ったのが今朝のことだった。もう一刻の猶予も無い。兵を帝都に撤退させなければ、さらに犠牲者が増えるだけだ。敗戦は明らかだ。これ以上無益な血を流してはならない。
「降伏だと? ヴァロワ大将、帝国が負けると思っているのか?」
「東部主要支部は全て陥落しました。我が軍の兵力は著しく損失しています。今、撤退しなければ、帝都へ侵攻されます」
「まだザグレブ支部が残っている。それに我が国には切り札がある。共和国首都にミサイルを落とせばそれで終わりだ」
「本気でそう考えていらっしゃいますか。既に敵は共和国ばかりではありません。アジア連邦、北アメリカ合衆国……、そればかりか全世界を敵に回しているのと同じです。お考え直し下さい。そして一刻も早く撤退と降伏を……」
「海軍部に援軍の要請を出した。我が軍にはまだ余力がある。そして一度はじめた戦争は勝って終わらねば意味が無い」
「勝てぬ戦争を無謀に戦えば、国力を消耗させます」
「財務省に話はつけてある。予算は此方に優先的に回される。ヴァロワ大将、これが全世界を相手にした戦いだというのなら、好機というものではないか。今こそ、帝国が世界の覇者たるに相応しいと示すための……」
 この人物は自分の周囲しか見えていないのではないか――。
 重要な立場にありながら、国際情勢にあまりに疎すぎる。大将となってから数十年経っているのに、この数十年の間、この人物は何をしてきたのか。
 この情勢で我が軍に有利な点など何も無い。仮にミサイルを共和国首都に放ったとしても、返り討ちを合うだけだ。それに海軍を所有するアジア連邦が、海から迫ってこないとでも思っているのか。
「君は少しでもまともな作戦を考えてこい。解ったら下がれ」
 この男に取り合っても無駄だ――。
 皇帝も戦争を終わらせる意志は毛頭無い。他省の長官も軍務省の暴走を止めることが出来ない。

 この国自身が戦争を停止することはもう無い。誰も暴走を止められない。
 だからといって、指を咥えて兵士が散っていく様をただ見ていることは出来ない。
 ならば――。
「解りました。失礼致します」
作品名:新世界 作家名:常磐