新世界
敬礼して長官の執務室を立ち去る。出来ることなら、彼にこの戦争が無益であることを解らせたかったが、無理だ。
「ヴァロワ卿……。如何でした……?」
ヘルダーリン卿に宮殿の中庭で待ってもらっていた。海軍部の人員を陸軍部に回すよう、フォン・シェリング大将から依頼が来た――という話を彼から聞き受けて、もう一度フォン・シェリング大将と掛け合ってみることにした。だがやはり、彼は聞く耳を持たなかった。
「駄目だ。全く取り合ってもらえない。ヘルダーリン卿、貴方はやはり艦隊の準備を進めてくれ。アジア連邦はそろそろ領海に現れる筈だ」
「解りました」
「陸軍に援軍を……そうだな、来週までには準備するとだけフォン・シェリング長官に報告してくれ。実際に援軍の必要は無いから……」
「しかし……、大丈夫ですか」
「既に帝国は負けたも同然。これ以上の戦闘は兵力を損なうだけだ。海軍は戦後のために兵力を温存しておいてくれ。たとえ領海上にアジア連邦が現れたとしても、向こうから攻撃はして来ないだろう。此方が攻撃しなければな」
「海軍部の将官達もこのたびの戦争には反対を唱える者が多いのですが……。陸軍部にまで口出しは出来ないので、皆苛立っています。ヴァロワ卿、この陸軍部にあっては貴方も動きづらいでしょう。私からフォン・シェリング長官にヴァロワ卿の転属願いを出し、海軍部への配属を取りはからいましょうか?」
「いや……。ありがたい話だが、今、私がこの陸軍部を抜けたらそれこそ歯止めが利かなくなる。それにミサイルの件も知りながら止められなかった私にも責任あることだ。だから陸軍部を抜けるつもりは無い」
「ミサイルの件はヴァロワ卿が責任を感じられることではありません」
ありがとう――と礼を述べてから、周囲をさっと見渡す。ちょうど今一人、廊下を過ぎていったものがいるが、辺りには誰も居ない。この話を誰かに聞かれる恐れは無いようだ。
「ヘルダーリン卿。私は今からトニトゥルス隊と行動を共にする。これ以上、兵士の命を無駄にする訳にはいかない」
「まさか戦場に行くつもりですか……!?」
「ソフィア支部も陥落した。連合軍が帝都に侵攻するのも時間の問題だ。……正直に言って、私はそれでも構わないと思っている。だが、兵士達の命をむざと失う訳にはいかない」
「何をお考えです……?」
「帝国への裏切り行為と見なされても仕方の無いことだ。今の話は聞かなかったことにしてくれ。フォン・シェリング長官には戦地に赴き、指揮を執ると告げておく。……ヘルダーリン卿、もしミサイルが発射されるような雰囲気があったら報せてくれないか?」
「解りました……。ですが、ヴァロワ卿、そのような行動を取ったら貴方は……」
「覚悟は出来ている。……どうせ責任を取るなら、自分の思い通りに動きたいんだ」
「ヴァロワ卿……」
フォン・シェリング大将にしてみれば、五月蠅い私が本部から居なくなるのは、好都合だろう。
私はトニトゥルス隊と合流し、兵士達に投降を呼び掛ける。撤退させてもこの状況ではまた戦地にかり出される。それよりは、連合軍側に捕らえられた方が良い。戦場では投降を求める声明が発せられているという報告も受けている。それに従えば、あのアンドリオティス長官ならば無闇に人命を失わせるような真似はしない筈だ。
ヘルダーリン卿と別れてから、トニトゥルス隊のカサル大佐に連絡を取る。私もこれから其方に向かう――彼にそう伝える。カサル大佐は全てを了解した様子で、お待ちしております、と応えた。
「フォン・シェリング長官」
再び長官室に足を運ぶと、フォン・シェリング大将は苦々しげに私を見遣った。まだ文句があるのか――と私に告げる。
「やはりどう考えても、前線の状況が芳しくありません」
「ではそれにどう対処すれば良いのか考えるのが君の仕事だろう!」
「作戦を考え、遂行するために、私はこれから戦地に赴きたいと考えています」
「戦地に……?」
フォン・シェリング長官は少し驚いたように眉を引き上げた。はい、と応えると彼は考え込むように腕を組む。
「……まあ良かろう。吉報を待っているぞ」
「御意」
最後に彼に一礼して、長官室を去る。
私はこれで自由の身となった。尤も、危険が伴ってはいるが――。
あのフォン・シェリング長官の考えることだ。きっと私に追っ手をかけ、私の命を狙うだろう。戦地で死んだことにすれば良いのだから――。
宿舎に戻らず、そのままトニトゥルス隊の居るザルツブルクへと向かう。車で三時間かけて支部に到着すると、カサル大佐が出迎えてくれた。
「状況を知りたい。ザグレブ支部はどうだ?」
「墜ちるのは時間の問題かと思われます。それから閣下、お耳にいれたいことが……」
カサル大佐が歩みを止めて、失礼しますと告げてから耳許で囁いた。
第三皇女マリ様と思われる女性の遺体を見つけた――と。
「何……? 確実な筋からの情報なのか……?」
「先程、私の許に入った情報です。帝都の北隣の町テルニの山林のなかで、白骨化した遺体が収容されました。DNA鑑定を行ったところ、どうやら……」
「そうか……。鑑定で結果が出たのなら間違いないのだろう……。死因は?」
「頭蓋骨骨折の跡が見受けられるとのことで、おそらくは山で滑落したのだと……。このことを知っているのは私と鑑定を行った医師だけです。医師には口止めをしておきましたが……」
「その遺体は既に収容したのだな?」
「はい。一般人と同じ扱いにして偽装してありますが……」
「ならば当分そのまま保管しておいてくれ。……陛下に御報告する必要は無い」
皇女マリの死が確定したとなると、皇帝はまた無謀な行動に出るかもしれない。今この状況下で、皇女のことで皇帝を刺激するのは避けたい。
皇女マリはやはり宮殿を密かに出て、ハインリヒの後を追ったのだろう。ハインリヒの追放されたビザンツ王国に向かう途中の山で、滑落した。きっと人目を避けるために山道を選んだのだろう。ずっと見つからないから生きていないかもしれないとは思っていたが、やはり命を落としていたか――。
「それから閣下。連合軍の一部隊が非常に強く、支部は殆どがその部隊によって制圧されているようです」
「どの国の部隊か解るか?」
「風貌から察してアジア連邦ではないかと報告を受けていますが……」
「アジア連邦か……。彼の国の兵力は計り知れないからな……」
「ですが、閣下が此方にいらっしゃるとのことで、兵士達が皆、安堵しております」
カサル大佐は此方に微笑みかけて言った。
長期戦となれば帝国は不利になる――少し考えれば誰でも解ることなのに、欲に絡んだ眼ではそれが見えなくなってしまうのか。
明らかに分の悪い戦いで、兵士達も勝てる見込みが無いと囁いているというのに、上層部はそれに耳を傾けない。奇策を用いようと将官達は作戦を練っているが、どの作戦も的外れなものばかりだった。フォン・シェリング大将に至っては戦っていればいつかは勝つ――と言った風に、悠長に構えている。