新世界
「俺が大気用の保護膜の開発をしようと考えたのも妹のためだ。先天的虚弱の原因が汚染された大気にあるのなら、有害でない物質だけを通す膜を作れば良い――とな。実際、そんなに簡単な話ではなかったが……」
大気だけでなく土壌もだという説もあるからな、とアランは付け加える。
私が死にたいと言った時、アランが酷く怒った理由が解った。
『生きたくても生きられない人間も居るっていうのに、自ら死を望むような人間は俺は好かん』
あの言葉は、妹のことを重ね合わせたのだろう。ではもしかするとアランの妹は……。
「妹は、俺が此処に捕まる半年前に亡くなった。体調を崩して半年寝込んで……、そのまま……な」
お前は生きろよ――とアランは私を見て言った。勿論だ――と微笑する。
だが――。
生きようとする私の意志とは反対に、この日を境に、身体は眼に見えて弱っていった。きっと風邪を拗らせてしまったのだろう。そう思っていた。
微熱はずっと続いていた。ちくりとする胸の痛みも頻発するようになり、噎せ返るように咳き込むことも度々ある。
そればかりか、作業場で何度も倒れた。それがあまりに頻繁だったため、仮病ではないかと刑吏官に疑われて、懲罰房にいれられたこともあった。意識が戻った時、自分の身体が縛りつけられて懲罰房に入っていたのだから、その時は驚いた。
何とか治そうと出来るだけ休息を取るようにした。しかし、そうした努力とは裏腹に、倒れる頻度が増していく。その都度、アランが私を牢に運び、看病してくれた。済まない――私は何度この言葉をアランに告げただろう。アランはいつも気にする様子もなく笑って、俺の命を助けてくれた人間だからな――と応える。
「……やっと意識が戻ったか」
ルディ、と名を呼ばれた気がして、瞼を引き上げると、ほっとした様子でアランが私を見た。昨日、私は朝の作業の最中に倒れたらしい。いつもなら二、三時間で意識を取り戻すのに、アランが作業から戻って来ても意識を失ったままだったのだという。今は真夜中だとアランは言った。
身体がおかしい――。
風邪を拗らせただけではないような気がする。
突然死という言葉が頭のなかに浮かび上がる。思い返してみれば、半年前に倒れた時と症状が似ている。
私は此処で死を迎えるのか――。
否、こんなところで死んでなるものか――。
絶望は禁じた。悪いことは考えないようにした。此処で生きていくためには、そうしなければならなかった。
昨日、帝国に国際会議で認められた三つの要求をつきつけた。その回答が本日、帝国から送信された。
『帝国はたとえ世界中を敵に回したとしても、自国の利益を守るために最後まで戦う』
同時に再びシーラーズから共和国へ侵入を始めた。それを受け、国際会議での承認を背景に、新トルコ共和国とアジア連邦、北アメリカ合衆国の軍は連合軍と称して、帝国への応戦を開始した。
「帝国が戦争を停止する意志の無いことは、本日の回答を聞けば明らかだ。共和国の防衛を強化しつつ、帝国への侵攻を開始する。それに応じて、部隊を編成する」
会議室にはずらりと将官達が立ち並んでいる。今朝、本部ならびに支部の将官を招集した。遠くの支部の者は欠席しているが、本部と近隣支部の将官は全員が集った。この場で、これから帝国に向かう将官と、この本部に残る将官についてムラト次官から発表される。隣に控えていたムラト次官にそれを促すと、ムラト次官が書類を見ながら読み上げる。
「帝都侵攻までの指揮官はマームーン大将だ。帝都侵攻後、長官を総指揮官として隊を編成する。長官の護衛としてハッダート大将、イムラーン中将、アジーズ少将。帝国に向かうのは今読み上げた将官達だ」
イムラーン中将は本部所属ではなく、アダナ支部所属の将官だが、帝国に一時留学していたこともあって帝国の地理に詳しい。アジーズ少将もバスラ支部所属の将官で、射撃の名手と称されている。
それぞれ腕っ節には自信のある将官ばかりで、彼等を慕う部下達も多い。ムラト大将は軍に所属する兵士全員の長所・短所を全てといっても過言でないほど把握しているから、こうした人選は任せるに限る。
「それから、見て解るように本部所属の将官が不足している。このような有事であるから、中将級と少将級を一人ずつ増員する。昨日、人事委員会の了承を得てきた。正式な辞令は本日午後に人事委員会から送られてくるが、この場で発表しておく。スピロス・ハリム少将、中将に昇級、アスラン・ラフィー准将、少将に昇級。それに伴い、ブルサ支部から……」
ムラト大将は支部から本部に転属する将官達の名前を告げる。そのなかで、ハリム少将とラフィー准将はただただ自分達の昇級人事に眼を見開いていた。この人事のことは今迄誰にも伝えていなかった。ムラト大将と俺の間で決めたことだから、二人が驚くのも無理も無い。
『本部は中将が出払ってしまうことが多い。だから急な案件は俺達の手で処理することになるだろう。そうした仕事が積み重なると些か俺もお前も手が足りなくなる。かといって、アクバル中将やバシル中将の勤務時間をこれ以上増やす訳にもいかん。支部から中将を二人此方に連れて来たいが、どう思う?』
ムラト大将から相談を受けたのは先週のことだった。中将の増員の必要性は俺も考えていたところではあった。しかし、異常時の今、本部での執務に慣れていない者を任命するのは気が引ける。それこそ、ムラト大将やアクバル中将達の足手纏いになりかねない。
『ムラト大将。ハリム少将を中将に昇級させましょう。彼ならば本部のこともよく解っていますし、能力も高い』
『ハリム少将は確かに中将に相応しいが、エスファハーンでの一件がある。人事委員会が簡単に認めると思えんぞ』
『逆に言えば、エスファハーンで最後まで私を守ってくれた人物です。人事委員会には私から話を通します。そして、ラフィー准将を少将に昇級させましょう』
『大胆な人事だな。……まあ、二人とも此処での年数は長いが……。しかしそうなると、准将が不足……ああ、そうか、准将を支部から連れて来いということか』
『ええ。テオも本部での仕事に慣れてきましたし……、尤もラフィー准将には暫く准将の教育係も兼ねてもらうことにはなりますが』
『だが確かに、その人事の方が物事を円滑に進められるな』
そうして今回の人事が決まった。支部から本部に、准将級を二人転属させることにすれば、たとえ俺がこの本部を留守にしても、ムラト大将は円滑に執務を進めることが出来る。
「したがって、連合軍が帝都に侵攻した折は、アクバル中将、バシル中将、ハリム中将が軍本部に残り、私と共に将官達に指揮を下すことになる。少将ならびに准将は遅延無く業務を行うように。――長官」
ムラト次官は話し終えると、俺に言葉を促す。こうして将官達を集めて訓辞を行うのは、昨年の演習以来のことだった。