新世界
この日は懲罰房でゆっくり休み、作業での疲れを癒すことにした。そうして眼が覚める頃には刑吏官がやって来て、縄を解き、元の牢へと戻された。アランも牢に戻ってくると、身体を思い切り伸ばした。
「化けて出ずに済んだようだ」
アランは私を見遣って笑って言う。
私はこのアランが居たからこそ、こうして生きていられるのだと思う。あの体調を崩した日、アランに厳しい言葉を告げられなければ、私はあのまま死んでいたかもしれない。生きる気力を与えてくれたのは、間違いなくアランだった。
そして、未だ作業の遅い私を影ながら支えてくれる。軽作業は何とか規定時間内に終えることが出来るようになったが、先日行った大きな機械を使った重労働はまるで要領を掴めなかった。その時もアランはこっそり手伝ってくれた。
一日に三度の食事も決して美味いものではない。パンは乾燥しきって固く、スープは味気のないものだった。先日から数日に一度の割合で、ハムやソーセージ、それにミルクが添えられるようになった。皆は何があったのか、毒入りではないのか――と騒いだ。そうしたものが食事に出ることはまず無かったことらしい。食事の内容が少し改善された理由は誰も解らなかった。
また、入浴には制限時間が設けられていた。牢を作業室に向けて進み、さらにその奥に浴室がある。囚人達は二グループに分けられる。そして交替で、十分間だけシャワーを浴びることが出来る。はじめは十分が酷く短く感じられたが、今ではそれにも慣れた。意外なことだったが、私にもこれだけの適応能力があるのだと初めて知った。
刑務所での生活は慣れつつあったが、今のこの帝国の状況がどうなっているのか知りたかった。レオンを無事に帰したとはいえ、フォン・シェリング大将が共和国への侵攻を諦めるとも思えない。もしかして、今頃熾烈な戦争が行われているのではないか。
戦争となった場合、共和国は同盟を駆使する。アジア連邦と北アメリカ合衆国、この三ヶ国を相手に、帝国はどう戦うつもりか。
ヴァロワ卿ならば然るべき時に撤退を決断出来る。帝国への被害を最小限度に留めてくれる。だが、そのヴァロワ卿は今、指揮権を持っていない。私の助命嘆願のために、上級大将の階級どころか長官という職さえも投げ出したのだから――。
海軍部のヘルダーリン卿では少し弱い。フォン・シェリング大将と互角には争えない。今の軍のなかで、フォン・シェリング大将と張り合えるような人間は居ない。
皇帝は解っているのだろうか。
このままでは帝国は滅ぶ。
三ヶ国相手に――しかも、そのうちの一国は軍事力の強いアジア連邦だというのに、勝算があるというのか。
状況はどう考えても不利だ。
「……ルディ、まだ寝ていなかったのか?」
隣からアランが声をかけてくる。ブランケットにくるまったまま、壁に背を預けて考え事に耽っていた。もう休む――とアランに告げると、アランはまた眼を閉じる。
せめてロイが居てくれたら――。
この帝国にロイが居てくれたら、フォン・シェリング大将の暴走を食い止められる。
だがそれは願っても叶わぬ願いか――。
この日の作業は軽作業だった。小さな部品を組み立てていくので、座ったまま作業が出来る。与えられた作業を済ませると、刑吏官の許にそれを持っていく。そうして許可が下りたら昼食を摂りに食堂へと向かう。
最後のひとつを終え、部品を纏めて箱にいれ、立ち上がる。
その瞬間、視界が暗転した。平衡感覚を失ったかのように身体がゆらりと倒れていく。支えなければ――そう思うのに、腕が言うことを利かない。
「5163番! 何をしている!」
遠くから声が聞こえる。起き上がらなければ――。
視界の暗闇が徐々に去っていく。大丈夫か――と、側に居た囚人が問う。頷いて、起き上がる。
しかし、ふわふわと雲の上を歩いているような感覚だった。刑吏官の許に部品を持っていき、朝の作業終了の許可を貰う。それから食堂へと向かう。だが、ともすれば足が縺れてしまいそうで、壁に手を伝いながらゆっくりと歩いた。
風邪をひく前兆だろうか――と思った。昨晩は色々と考え込んであまり眠っていないから、そのせいかもしれない。今日は何も考えずに早めに休もう。
「ルディ。酷い顔色だぞ」
アランの隣の席に腰を下ろしたところ、アランが私を見て驚いて言った。何かあったのか――と問う。
「少し眩暈がしただけだ」
「今日はハムが出ているからきちんと食べておけよ。此処のなかで出て来るものにしては栄養価が高い」
「ああ」
食欲があることは幸いだった。いつも通りのパンとスープ、それにハムの添えられた昼食を摂り終えたところで休憩時間が終わって、また作業へ戻る。
昼の作業を始めて一時間が経った頃だった。急に吐き気を催した。
何とか堪えようとしても堪えきれない。刑吏官に手洗いに行く許可を貰おうと立ち上がった。視界が暗転する。
また眩暈だ――。
「……ルディ!」
ゆらゆらと揺れる大地に踏みとどまることが出来ず、倒れ込んだ。胃からこみ上げてくるもので息苦しくなり、嘔吐した。アランやジルの私を呼ぶ声と、刑吏官の声が混ざり合って聞こえて来る。それが次第に遠退いていく。
「気がついたか?」
気付いた時には、牢の中で横たわっていた。格子の隙間からアランの手が伸びてくる。私の身体はアランの牢に近い場所にあった。
「少し熱があるようだな」
「作業中に……、倒れてしまったのか」
「ああ。刑吏官が怒鳴っても意識が無いから、皆がひやりとしたぞ」
「また……、迷惑をかけたな」
「ああ、全くだ。……まだ、気分が悪いか?」
吐き気は収まっていた。全身が倦怠感に包まれていたが、これはきっと熱のせいだろう。熱といっても微熱のようだ。これ以上、熱が上がらないように身体をゆっくり休めておかなければ――。
「……なあ、ルディ。もしかして……」
意識が戻ったのか――と、ジルの声が聞こえてくる。アランは彼の方を見遣って、ああ、と答えた。それから私の方に視線を戻して問い掛ける。
「もしかして、先天的虚弱……か……?」
此処に来た当初に体調を崩し、そしてまたこんな風に変調を来していることからも、アランは気付いたのだろう。
「ああ……」
苦笑して答えると、アランは言葉を失った様子で私を見つめた。
「子供の頃から比べれば大分改善されたとはいえ、やはり……、身体は弱い」
「皇帝もそれを知っているのか……?」
「ああ」
「……莫迦だな、ルディは。だったら何故、皇帝に逆らうような真似をした?大人しく命令を聞いていれば、こんなところに来ることも無かっただろう」
「……アランからそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった」
苦笑を浮かべて見返すと、アランは真面目な顔で、その病気の辛さはよく知っている――と言った。
「俺の妹がそうだった」
驚いてアランを見返すと、アランはそっと眼を逸らして、床を見つめる。
「先天的虚弱で、生まれた時から弱くて、子供の頃から外に出て遊んだこともなくて……」
「……私と……同じだな」