108本の花のように
間近で見た宮西柳は、声や顔立ちこそ十八歳の少年らしさを残してはいたが、がっしりとした体つきと190?はあろうかという長身に、幼さは微塵も感じられない。腕にも腰にもしっかりとついた筋肉は、捕手というポジションであることが一目でわかる。しなやかな印象を与える中嶋柊とは対照的に見えた。
「あんた、誰ですか」
僕を睨む宮西柳の視線は重い。刃物のような鋭さではなく、大きな鈍器のような迫力があった。肩を掴む手が痛い。慌てて中嶋柊が僕らの間に割って入った。
「や、なんでもねーよ、柳。ちょっとお前についてインタビュー受けてただけで。ね、葵さん?」
途端に愛想の良い、だけど作り物じゃない、いかにも友達に向ける笑顔を作って、中嶋柊はぽんぽんと僕の肩を叩いた。記者に対する態度ではないような気もしたが、本来こういう誰とでもぱっと打ち解けられる子なのかもしれない。それでも、宮西柳のいぶかしむような視線は和らがない。
「じゃあ聞くけど、あんた柊に何聞いてたんスか。うちの仲間から何聞きだそうって言うんですか。あんた今、柊泣かしてませんでした?」
「あー、うん。見られちゃったー? 情けないなー」
誤魔化すような笑みを浮かべて、小さく舌まで出してみせる。
「やーガラにもなくさ。お前とバッテリー初めて組んだあたりの話から始まって、ちょうど今中二ン時にうちの親父が死んだとこの話に来ててさ。親父と最後にした会話とか、弟の泣き顔とか思い出しちゃって、それで」
僕と朝子さんは、ぽかんと彼を見詰めていた。先ほどまでとは打った変わった様子で、自分よりずっと体格の良い宮西柳を宥めてみせる。
「インタビューの内容はさ、聞くなよ。恥ずかしいから。後で記事になってから自分ちでゆっくり読めよ」
そういえば、中嶋柊は野球部で主将と部長を兼任しているらしかった。それは投手としての能力よりも、こういった性格を評価されてのことなのだろう。野球選手としての能力が図抜けている宮西柳ではなく、県内ではともかく甲子園までいけば有象無象の地方公立のエースに過ぎないであろう彼が、チームをまとめ、率いていく立場にある理由は。
それでも、宮西柳は納得行かない様子で僕を見た。
「でも」
「ほらほら、いいから戻れって。俺もすぐ行くからさ。あ、ほら、監督呼んでんぞ?」
遠くで大きく手を振る、監督らしき男性を呼びさす。宮西柳は不服そうな顔を隠さなかったが、もう一度中嶋柊に促され、「わかった」と答えた。大柄な身体に似合わないほどの俊足で駆け戻りながらも、何度も何度も、宮西柳はこちらを振り返った。
「あいつがどんなに凄くたって、あいつだけじゃ甲子園行けないんですよ」
先ほどまでの調子のいい笑顔を瞬時に消して、中嶋柊は呟くように言った。
「そもそも野球自体、アイツが全打席でホームラン打ったって、他が全員アウトだったら、三点しか取れません。コールドだったら二回しか打席来ないかも。その点を守れなければ、負けます。あいつがどんなに凄くても、あいつひとりじゃ甲子園にはいけない。それに、今朝子さんたちも見たでしょ?」
言葉を切る。向こうで監督と話す姿をちらりと確認してから、彼は続けた。
「あいつ、すげー臆病なんだ。いつも誰かに頼りっぱで、ま、それは別に俺じゃなくてもいいんだけど、……それでも、今あいつがべったりなのは、俺なんです」
だから、「連れて行く」なのか。僕は先の言葉がすとんと胸に落ちた気がした。
「出れさえすればあいつはたくさんの人に見てもらえる。テレビに映る。一回戦で負けたって、きっとあいつは全打席でなんかやる。そしたら、あいつは絶対プロにいける。一回見てもらえさえすれば、あいつの凄さは絶対わかる。俺はあいつにプロに行って欲しいんだ」
中嶋柊は、うめくように口にした。
「それだけ、なんだよ」
「…………」
「俺が死んでるのは、知ってたよ。でも、でもあと一日だけ。あと一日だけ待って欲しいんです。頼むよ、朝子さん、葵さん……!」
朝子さんを見た。小さく、首を振る。いつものような、淡々とした口調で告げる。諦めることしかできないのだと、わかるように。
「あのね。君の命運はもう尽きてる。君が動き続けるために必要な命と運は、まわりの人から奪ってるんだよ」
一呼吸あける。そして、まっすぐにその目を見据えた。
「つまり、君が動き続けるためには、身近な人、……家族や、友達の命と運を使ってるの。君がこれ以上動き続けたら、それこそ、柳君がケガしたりするかもしれない。君は、それでいいの?」
「……っ」
表情が、凍りついた。これだけ聡い子のことだ。その言葉の意味はすぐに理解できただろう。
「そんな……」
朝子さんは、首を左右に小さく振った。
「ほんとのことだよ。まだ一週間も経ってないから実感は涌かないと思う。でも、確実に周りの人の命と運を君は吸い取っている。今はまだなにも起きてなくても、すぐになにか大変なことになるよ」
僕は、あの人のことを思い出していた。糸数木蓮氏。僕が朝子さんと組んで初めて出会った、生きた屍。彼の周りにいた五人の女性たちは、次々といろいろな不幸に見舞われた。関口茉莉花と豊島薄荷のように、命を奪われて木蓮氏より先に三途の川を渡りかけた人もいた。人がひとり生きている、ということが、どれだけのエネルギーを必要とすることなのかが少しわかった気がした。
あの時と、同じだった。
解決しなければならない事態がそこにある。だけど、動き続ければそれをより悪い状態へと進ませる可能性がある。そしていずれにしろ、もうすぐ自分は止まって、動かなくなる。
そんな状況で、自分ならどうするだろう。僕にはまだ、そこまでして僕が解決しなければならないことはないから、想像も付かないけれど。
「どうしろって……」
そこから先は、言葉にならず、それでも取り乱したり泣き出すようなことはなかった。
沈黙は、僅かに二十秒にも満たなかったと思う。
「……俺は、柳がプロに行く人間だと思ってる。一目見たらわかるよ。あいつは、特別」
ぽつりと、中嶋柊は呟いた。誰に聞かせるでもないような、そんな口調で。
「だけどあいつは凄い甘ったれで、いつも誰かにおんぶにだっこ。人見知りも酷くて、知らない人ばっかのとこに行くのが嫌で、俺がいるからってこんな弱小に来ちゃってさ」
そういう、中嶋柊は、口元だけを和らがせて笑っていた。目は、泣きそうなのを堪えるような、困ったような色を浮かべて。
「そんなことされたらさ、やってやるしかないじゃん。俺のせいで強いトコ行かないで、甲子園出れなくて、それで見てもらえなくてプロになれないとかなったら……そんなの、許せないだろ。必死になるさ。絶対、あいつを甲子園に連れてくしかないから」
そして、ひとり小さく、彼は頷いた。
「それなのに、このタイミングで放り出すなんてできない。まぁ地方大会止まりでもドラフトにかかる選手なんていくらでもいるけど、それでも、それでもやっぱりあいつには甲子園に行って欲しい。……たったひとつだけだ。明日の県大会の決勝で勝てれば、あとはもう、それでいい。そりゃーしたいこととか将来の夢とか、いっぱいあったけどさ」
作品名:108本の花のように 作家名:なつきすい