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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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108本の花のように

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 それがどういうことなのか、木蓮氏には伝わっただろうか。わずかに繋がった魂と身体を完全に切り離す。つまり、それは。
「切れたら、俺は完全に死ぬんだな」
「うん」
「今見たく、ずっといるのは駄目なのか?」
「駄目」
「そうか」
 背筋が冷えるぐらい淡々と、そのやりとりは交わされる。じりじりと朝子さんに近づきながら、木蓮氏は右手をジャケットのポケットへと突っ込んだ。そして、それから。
「俺、まだ死ねないから」
 そう言うや否や、取り出したバイクの鍵を差込み、捻った。横に立っていた朝子さんには実体がないのでその身体を止めることはできない。一瞬反応が遅れた僕が駆け寄った時にはもうエンジンはかかりきっていて。朝子さんも慌てて鎌を構えるも、間に合わない。
「葵ちゃん、バイク! 早く!」
 病院という場には相応しくない朝子さんの怒鳴り声。エンジンのかかりも悪い、その出力もかなうわけもない買ったときのまま手を加えていない僕のバイク。こんな時に限って入りかけたと思ってはエンストする。ヘルメットを被ってる時間がない。急いでるというのに一向に言うことを聞こうとしないバイクに苦闘していると。
「あの」
 上のほうから声が聞こえた。それが僕らに向けられているとは最初気づかなかった。その声は、豊島薄荷のものだったから。
「そこの! 駐輪場の! バイクの人と黒い着物のお姉さん!」
「「え」」
 驚いて上を向くと、全開になった三階の病室の窓から身を乗り出して、豊島薄荷が僕らを大声で呼んでいた。
 
 
 
「誰を、迎えに来たんですか?」
 病室に用意された椅子に座るよう僕らを促し、水を一口含んでから、豊島薄荷はそういった。朝子さんの切れ長の目がはっきりと丸くなる。僕の表情もそんなもんだろう。
「茉莉花ちゃん? 木蓮? それとも私か、この子? ……木蓮に会いに着てたんだから、私たちのうちの誰かだよね」
「迎えって」
「違うの?」
「違わないよ」
 朝子さんと豊島薄荷が、同時に息を吐いた。その意味合いは、大きく異なるのだろうけれど。
「前にも見たことがあるんですよ、死神のお姉さん。十五年ぐらい前にうちのひいおばあちゃんを連れて行ったの、お姉さんだったでしょ。覚えてない? 豊島蕗子って」
 豊島薄荷の表情が、僕には読めなかった。朝子さんは暫く考えて、やがてあっと声を上げた。
「思い出した。……心臓が発作で止まってから、半年近くもってたおばあさんだ。じゃあ、あの時の女の子があなたなんだ」
「そうそう」
 そして、朝子さんは少し考えてから、相変わらずの淡々とした口調で言った。
「だったら、わかってもらえると思う。私は、生きている人を連れて行くんじゃない。本来もう死んでるのに、動き続けている人を連れて行くだけだよ」
 すると、豊島薄荷の表情がはっきりと曇った。多分、素直な人なんだと思う。
「じゃあ、木蓮を連れて行くために、来たんですね」
 間違いない。この人の目はおそらく僕のそれと同じものだ。朝子さんの姿も見えているし、木蓮氏に何が起きているのかも、きっと本人より先に理解していた。だけど、多分、本質的なところは知らないのだろう。僕もそういう人自体は何度か小さい頃から目にしてきたけれど、一体それがどういう状態であるのかは、朝子さんから聞かされるまで知らなかったのだから。
「どうしても、連れて行かなきゃいけないんですか?」
 同じ問いだった。木蓮氏と。
「ひいおばあちゃんはもう九十も過ぎてたし、大往生だったねって納得できました。寂しかったけど。でも、木蓮は早すぎます。やり残したことも、山ほどあるんです。どうしても、……どうしても、逝かなきゃならないんですか? あんなに、元気なのに。生きてる人と変わらないみたいに」
 豊島薄荷は声を詰まらせた。そこから先は言葉にならなかった。僕は朝子さんと顔を見合わせて、……朝子さんは変わらない表情で小さく頷いた。
 
 
 
 豊島薄荷が教えてくれた、木蓮氏の第一の行き先は、ヤクザの事務所だった。木下菖蒲の所属する珍走団の上部組織にあたる。今は迫力と威圧感と、若気の至りを喚起させるような何かを併せ持ったその名称を変える運動が起きつつあるものの、かといってヤクザの下部組織という本質までもが愉快なものに変わったわけではない。こんなことでもなければお近づきになんかなりたくないし、今後は御免蒙りたいところではある。木下菖蒲は中学生にしてその世界に足をうっかり踏み入れ、以後高校を受験することもなく、騒音と排気ガスと血とアルコールとヤニとその他諸々にまみれた日々を送っていたようだ。
 そんな毎日は、半年前、木蓮氏と出会って変わった。
 けれど、こんなところにいるには無駄に美人だった木下菖蒲が団を抜けることはかなわなかった。資料写真の中の彼女はやせぎすで、目の下に隈をつくり、眉毛がなく、度重なる染髪や規則正しくない生活によって傷んだ金髪で、見るも無残な姿ではあるものの、それらの修正可能な要素をなんとかすれば平均よりはるかに上、モデルや女優だといっても通るくらいの美人になるであろうことは、その整った目鼻立ちから容易に想像できる。
 暴力や珍走行為以外でも、彼女の使い道はいろいろあったに違いない。抜けたい、と口にしても咎められることもリンチに遭うこともなく、ただ、抜けさせてはもらえなかった。
 そして五日ほど前から、突然、完全に連絡がとれなくなった。携帯も解約され、連中が根城にしている空き家に押しかけても会わせてはもらえず、そして彼らが妙に良い酒を飲み、バイクや車が新品になり、怪しげな白い粉の袋が散乱していることに木蓮氏は気づいた。
 木下菖蒲を差し出したご褒美。木蓮氏と豊島薄荷がたどり着いた結論は、それだった。
 直ちに木蓮氏はその珍走団の上部にある組を探し当て、乗り込もうとした。勿論、そうことが簡単に進むわけもない。その上その矢先に豊島薄荷が緊急入院し、関口茉莉花も容体が悪化、相変わらず谷元花月の行方は知れないし、今浪撫子の借金もとうとうどうしようもない、昔ながらの借金モノのセオリー通りの要求を受けるところまできてしまっていた。第二以降の行き先も、勿論彼女たちについてだった。
 元々、ただでさえ問題だらけだった中で、木蓮氏が死んだ日を境に、それらがついに壊れだした。それまで、木蓮氏のバイテリティによってギリギリ持ちこたえていた壊れかけの堤防が、決壊したかのように。
 今浪撫子が苦しめられている闇金も、そのヤクザの関係組織であるらしい。木蓮氏が病院とバイト先以外で向かうとすればまずはそこだと豊島薄荷は言った。彼女はやや幼い見た目ながら、誠実で聡明そうな雰囲気を持っていた。この状況を理解していながら、木蓮氏を延命させるために嘘をつくような人には見えなかった。



「いたよ」
 誰にも咎められることなく事務所の中にあっさりと潜入し、戻ってきた朝子さんはその涼しげな顔をややしかめているように見えた。
「指、詰めてるとこだった」
「は」
作品名:108本の花のように 作家名:なつきすい