悲雨
啓介が福島県内の病院に着いたのは朝8時をだいぶ過ぎた頃の事だった。
制限速度なんてその時の啓介から見ればあってないようなものだった。無論、アルコールも抜けてはいない。
啓介の格好はと言うと何分急いでいたので作業着のまま来てしまった。
駆け足で病院の玄関をくぐると久美子の姉の美紀が声をかけてきた。
美紀は事故のことを直ぐには知らなかったらしかったが慌ててきたという。
美紀が言うにはバスは運転手のミスかなんかで横転したらしかった。それだけではなかったらしかったが
今の啓介にはどうでも良かった。妻の安否を確かめる以外に考えはなかった。
「どうも」
「どうも、久美子は?」
啓介は適当に挨拶を返し、今一番聞きたいことを聞いた。
「それがよくないみたいで・・・」
美紀はジーパンとジャケットという出で立ちだった。急いでいたんだなということがすぐに分かった。
美紀の顔は青ざめていて眉間に深い皺を寄せていた。
啓介は待合室のソファに座っていた。
ふと顔あげると西側通路のほうから医者がこっちへ向かって歩いてきた。
長身でやつれ、メガネをかけている。元からなのだろうか血色が良く無さそうな顔をしている。
そして、久美子さんのご主人ですかと尋ねられ、そうだと答えるとこちらへと言われた。
啓介は胸のざわめきを感じつつ、ついていった。
そこは久美子がいる治療室ではなく診察室だった。そして一言
「奥さんは大変な状況にあります」
予期はしていた。が、受け止めるのには時間がかかった。
啓介は震えているらしかった。こんなありきたりな台詞に。
全身鳥肌で唇が震えている。ガチガチと奥歯が鳴っている。
脂汗をかき、そして体は強張っている。
「助かるんですか?」
医者はすぐには口は開かなかった。顔を俯け、しばし沈黙。
ただでさえ悪い顔色がもっと悪くなったように見えた。そして口を開く。
「わかりません、出来る限りのことはしますが」
感情を押し殺したような声、すごく低い声。
啓介は悟った。ああ、助かる確率はすごい低いんだなと。
「助かる確率はすごく低いです。助かったとしても意識が戻るかどうか・・・」
啓介は土下座をしていた。
「お願いします!助けてください!久美子だけは!俺はどうなってもいい!」
嗚咽を漏らしながら啓介は言った。医者は顔を上げてくださいというだけで大丈夫なんて一言も言わなかった。
医者はではと診察室を後にした。
啓介は何かをするという気力すら湧かなかった。体が鉛のように重いのだ。
診察室の目の前の出た啓介にすぐ久美子は容体はと尋ねたが、啓介の顔を見て悟ったらしかった。