果てなき空
五人の人間がそれぞれの目的のために集まってはいるが、誰も相手の過去を詳しく知っているわけでもない。知らないから、どこに琴線があるのかわからないのだ。触れてしまえば揺らぐ関係にもある。いつまでも椿が何もしゃべらないような状態が続くわけにもいかなかった。彼がいなければ旅自体が成り立たなくなる。―――いろんな意味で。
「姫さんは根に持つタイプやからな。ばっきんを元気にするためのネタにしたなんて事になったら怒るかもわからんなあ。……嫌やな」
「またナスいれられんじゃねーの? いい加減やめろよ。別の方法があるだろ」
「喧嘩するほど仲がええ……」
「アッハハ! そうとは思えねーけどなあ」
赤と緑のピーマンをごつごつとぶつけながら呟く緋桜に、倭が笑い始める。緋桜と姫咲は、仲が悪いわけではないらしい。姫咲のほうはわからないが、緋桜は高レベルな遊び相手だと思っているようだ。遊ぶなら遊ぶでもっとやり方を選んでくれなければ、梨佐が可愛そうにも思える倭ではある。
「姫咲が聞いたらキレるな。一緒にしないでくださいよ!」
トーンを上げた声を出しながら、姫咲のモノマネを試みる。手のひらを緋桜に向けて壁を作りながら、似せるというよりはただの芸じみていた。
「あっはは、せやろなあ、せやろな!」
それに乗っかってくるのが緋桜だ。げらげらと腹を抱えながら、顔に合わない笑い方で表情をゆがめる。
「何がです」
「うっわあああ!」
「あああああ! 姫咲!」
突然何者かの手が緋桜の肩に手を置いた――誰でもない、姫咲だ。突然の襲来に緋桜がピーマンを落としそうになり、倭はそれに対して悲鳴をあげた。間一髪ふたつともを救ってから、顔を上げて彼を確認する。
「お前な!」
「その手に持ったピーマンを離しなさい! あなたね、何回言ったらわかるんですか!」
倭の存在は無視、とでも言うように拾ったピーマンにしか興味はないらしい。それはすでに緋桜の手を離れ倭が握り締めていたのだが、気づいてはいないようだ。いっそ落としてしまえくらいは思っていたかもしれない。
「いたたったった、見つかった……」
「見つかったじゃありません。ったく本当に!」
姫咲の指がキリキリと緋桜の首を絞める。年齢が逆転して姫咲の方が背が低いため、はたから見る倭からすれば兄弟喧嘩を見ているような気分だった。
「おっちゃん、ごめんな。ピーマンは置いとくよ!」
あれだけ触っておいてかなり失礼だが、お詫びに買うことすらも許されないと思われた。八百屋の主人は怪訝な表情をこちらに向けていたが、倭にとってはそれどころではない。姫咲がどう切り出すか楽しみだった。その手はすでに緋桜の首から離れ、二人は向き合い対峙している。
「もう我慢できませんね」
「えへへへ」
腰に手をやり仁王立ちになって、上目遣いに睨みつける姫咲に、緋桜の表情は笑顔ではあったが引きつっていた。
「何? なになに? 何する?」
「ああああもう、やまさん余計なことしんでやぁ!」
「ちょっと!」
間に入ってニヤニヤと笑う倭に緋桜が悲鳴を上げ、そのまま左を向いて逃げようとする。緋桜の肩に巻かれた薄い生地のショールが、姫咲の伸ばした手を掠めて去っていった。
「緋桜くん、待ちなさい!」
「逃げるが勝ちや!」
振り返る肩越しに、緋桜が笑う。楽しそうだ。それがなんだか嬉しくて、倭も満面の笑みを浮かべてしまう。
「じゃあオレも逃ぃげるっ!」
「……倭くん、あなたね!」
駆け出していったふたりの後を追って、姫咲も走り出した。かく言う姫咲の表情も、悪くない。たまにはこうやって子どもみたいに遊ぶこともいいな、などと倭は考えていた。
すぐに緋桜の背中に追いついて、その名を呼ぶ。
「緋桜! 海、あっちにあるんだってさ!」
「ッハハ、じゃああっちやな!」
昨日テントを張った場所を十二時とするなら、三時の方角だ。緋桜が角を曲がり、倭はそれが姫咲にもわかるように少しスピードを落としながらついていく。姫咲の表情はとても楽しんでいるようには見えなかったが、それはそれだ。梨佐と椿もいたならよかったのに―――思った瞬間、視界に見慣れた姿が映った。
「ぅおーいっ!」
声に気づいて、そちらを指差したのは梨佐のほうだった。梨佐と椿が歩いている道に接するそれの右手側から、三人が走ってくるのが見える。
「あ、あれ」
「倭と緋桜……姫咲も」
軽快に先頭を切るのがすばしっこい緋桜だ。続いて倭、少し離れて姫咲。最初のふたりは実に楽しそうに走っているのがよくわかる。追いかけっこをする小さな子どものように。
「なんやぁ、りぃとばっきんもおってんや! おれら今急いでんねん、じゃな!」
「お前らもくれば?」
にこりと、倭が笑う。彼の持ち前の快活な笑顔は、周りを明るくしてくれるものだと、椿はこっそりと思っていた。裏も見栄もない、そのままの倭のまっすぐさがよくわかるからだろう。
続く姫咲は、何で止めてくれなかったんだ、と視線だけで言葉を送ってきた。それさえもおかしくて、笑ってしまう。いつの間にか、梨佐が椿の顔を見上げていた。何もしていないのに、楽しそうに。
「椿、―――追いかけてみる?」
「え?」
「あたし、足は速くないけど」
少しだけ自嘲的に笑って、また見上げてくる。出会ったときから、梨佐の素直な目は心を見透かすみたいにきれいな色をしていた。
笑顔のとき少しだけ細められるそれが、椿は好きだった。
「頑張るよ」
「梨佐」
「ほらほら! 置いていかれちゃう!」
はりきった梨佐が背中を押す。椿の表情からは自然と笑みがこぼれて、その場所からはもう走り出していた。
少し先に、まだ三人の姿が見える。梨佐もいる―――追いつけるかどうかはわからないけれど、走ってみようと思った。
そこは八百屋から一キロほど離れたところにある、倭と緋桜がたどり着いたのは森が切り開かれたような場所だった。ここに来るまでの道中、立ち並んでいた木々は年若いもので、何十年も前に誰かが植えつけたものだろう。そこを抜けた先には崖。上には空が、下には海があった。
「やっと、追いつきましたよ……!」
「んもう、姫さん遅いわあ」
倭と緋桜は最初から最後まで、ほとんど速度を落とさずにその場所までやって来ていたらしい。姫咲が着く頃にはすでに息は上がっていなかった。彼が口を開いて説教を始める前に目が合うと。ふたりは、満面の笑みを浮かべていた。
「……は……?」
「せーえのっ」
少し遅れて、椿と梨佐がそこにたどり着く。時、すでに遅し。
倭と緋桜は、大地を蹴っていた。
「ちょ……っ」
「え、え!?」
姫咲の表情が焦りの色に染まり、状況を飲み込めない梨佐が駆けてふたりの姿を追う。崖の下に消えた彼らは、まっすぐに海へとダイブしていった。
「っだああああ!」
「いやっほーーーう!」
「……普通、飛ぶか?」
崖と海との距離は、さほど遠くはない。海には深さもありそうだ。飛び込める場所ではあるのだろう。すぐそばには海岸があり、先程ふたりが飛び込んだ場所のそばにはハシゴが設置されているようだ。
「―――行こう、椿!」
「な……」
「ちょ、っと! 椿くん!?」