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エリュシオン~紅玉の狂想曲

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 柊がテーブルの椅子を出し、桜のスカートの裾をつい、と引っ張る。桜の視線はなんとなくで柊を見つめて、伸ばした手で頭を撫でた。
「そんなにやらなくても平気よ、柊」
「まぁまぁ、腰を下ろしてください。平気ですか?」
「ええ、ありがとう。日常生活にはそう不便していないんですけどね」
 苦笑混じりに腰掛けた桜のほうへ、姫咲が足をやる。その表情に不快さはもうなかった。嫌がりつつも、姫咲はやるときはやる人だ。
「みなさんも座ってくださいな」
「ありがとうございます。梨佐、緋桜。座ってな」
「うぃー」
 手前にあった椅子2つを失敬して、掛けさせてもらった。椿と倭はそのままの立ち居で、姫咲は桜を眺めている。
 わかると思うけど、と柊が口を開いた。
「姉ちゃん、目が見えねーんだ。でも、昔からじゃないんだって。それで、腕のいい癒士さんに見てもらえればって……」
「桜さん、ですっけ。その手の甲、どうして隠しているんですか?」
 突然に姫咲が尋ねる。桜が身を強張らせたのが梨佐にもわかった。
「……これは」
 桜が戸惑った風に、右の甲を触る。両の手にはめられた薄手の手袋は、何かを隠しているようには見えないけれど。
「痣が、あったりしません? 五弁花の」
「姫咲。どうしてそんなことがわかるんだ?」
 椿が訝しげに尋ねた。梨佐にはさっぱりわからないが、倭と緋桜はなにかに引っかかっているようだ。説明を待つしかない。
「別に、なんとなくですよ。どうですか?」
 椿のほうを一瞥してから、桜のほうを窺う。強制的な声音ではなく、どこかしら優しげな色。それでもどこか圧力があるのは、姫咲の天性のものかもしれない。
 少し間があってから、桜が頷く。
「ええ、その通りです。よくおわかりですね」
「外傷がなさそうなので、そうかも、と思いまして」
「で、それで!? 治せるのかっ」
 弾んだ柊の声に、沈黙が流れた。桜が微かに、笑み、右の手袋に手をかける。
 突然落とされた静寂に、緊張で息が詰まった。
「……率直に言えば、治せませんね」
「え?」
「何で!?」
 口を開いたのは、桜の手をとる姫咲。顔色が呆れたようなものに変わっている。聞き返した梨佐の声と同時に、柊が叫んだ。
「これ」
 桜の手の甲だ。姫咲が人差し指で示す。
「花の……アザ?」
 五枚の花弁。作り出しているのはひとつの、小さな花だった。柊がそれを覗き込む。表情は歪められて、泣き出しそうだった。
「契約印だな」
「えっと……どういうことなの?」
 視線を俯かせて、椿が声を発する。冷静な音だ。それがかえって、梨佐の不安を煽った。
「あー……」
 倭が唸るように声を漏らす。彼もなんなのか、知っているのだろう。緋桜は膝の上で指を組んで、まるで知らん振りでもしているようだった。
「『フロックス』という種族がいるんです。彼らは人間の間では悪魔とも呼ばれていて、強い魔力を持っているんですよ」
「悪魔との、契約ってこと?」
 椿が頷く。
「そうだ。契約に対する対価は、人によるが」
「桜さんは対価を視力で払ったんですね」
 姫咲の言葉に、桜が苦く微笑んだ。空を彷徨う瞳が、哀しみを誘う。視力をなくすなど、そう軽い物ではないはずだ。光を失う対価に、何を得たのだろう?
「でも、契約って……?」
「契約を交わすことで、フロックスは大抵の願いを叶えてくれんだよ。言えば取引ってやつだな。物事には犠牲だって必要だ」
 契約印に目を向けながら、口惜しそうに倭が語る。それでいて割り切るような口ぶりでもあった。人の話だ、とでもいうような。
「つまり……これは病気じゃあない。契約破棄は、契約者同士でないとできないんだ……だから」
 椿の視線が柊に向かう。袖に隠れて、柊がぎゅ、っと、手のひらを握り締めているのがわかった。
「私の目は治らないって、そう言ったでしょう、柊」
「……でも!!」
「仕方がないのよ。これでいいの、わかるわよね?」
 優しい声音で諭そうと、桜が柊の頭を撫でる。けれど、柊は唇を噛み締めるばかりで、息を詰めていた。
「柊」
「わっかんねーよ!! わかんねぇ!!」
「おい、柊!」
 桜の手を振り払って、掴もうとした倭の腕も空を切る。すれ違いざまに、涙の溢れそうな瞳を見てしまった。何かが壊れたみたいな顔で。
 酷な、話だったのかもしれない。
 勢いよく閉まった玄関口に、桜がびくりと身を震わせた。
「……ごめんなさい。本当は、素直で良い子なんです」
「わかっていますよ」
 苦笑する声が、心なしか震えている。それに比べて姫咲の胡散臭そうな笑顔ときたら、雰囲気をぶち壊すためにあるとしか思えない。柊の気持ちがわからないのだろうか?
(……あたしも、完全にわかるわけじゃないけど)
「聞いてもいいか?」
 数歩進んで問い掛けたのは椿。姫咲は役目が終わったとばかりに、そばの椅子を引き出し腰を下ろした。
「ええ、私に答えられることなら」
「いつ、どんな奴と契約したか、覚えているか?」
 桜が手袋をはめ直しながら、少しだけ考え込む仕種を見せる。顎に指先を当てる様が、大人の女性という感じで素敵だなと思った。
「あれは……12年前のことです。相手は今の私よりも年上くらいの、男の人。私は8歳で、覚えているのは……綺麗な金の髪……と、蒼の瞳。それだけ」
 桜の言葉に、椿が考える素振りを見せる。姫咲の視線もそちらにあり、様子を窺っているようだった。倭はと言えば、それとは別に何かを考えているようで、珍しく表情が硬い。
「8歳……」
 小学2年、それほどの年で、視力を無くしてしまうなんて梨佐には考えられない。
「金髪と、蒼の瞳、か」
「知ってんのか?」
「俺が? そんなわけないだろ」
 椿が鼻で笑ったせいで、倭の眉間に皺がよったのがわかった。どうかこんなところで口喧嘩を始めませんように、と願っていると、桜の楽しそうな笑い声が空気を中和した。
「みなさん、今晩は泊まる宿があるのですか?」
「……いえ、すぐにこの街を出るつもりだったので、その予定はなかったんです」
 穏やかな桜の表情に、不安の色はなかった。すぐに追うような様子もなかったけれど、柊が心配ではないのだろうか。それぞれの家庭事情というものがある。触れないほうがいいのかもしれない。
「それでも、今晩はお泊りになってください。ずっと野宿なんて、あなた方は良いかも知れないけれど、梨佐さんには気の毒だわ。女の子なんですもの」
「あぁ、そういえばそうですね」
「そういえばって何ですか、姫咲さん」
 いちいちつっかかる人だ。楽しんでいるような気さえするのがなんとも言えない。絡むならそれはそれで、もう少し方法があると思うのだが。それが姫咲のやり方というなら、致し方ないのだろうか。ものすごく気に食わないけれど。
「然もありなん、っていう話です」
「ごまかしてないですか、それって」
「善悪は水波(すいは)の如し」
「……つまり、ごまかしてるんですね」
 この人の言うことを相手にしてはいけない。そもそも意味がよくわからないのだった。梨佐は慣用句やらことわざには長けていない。
「嫌ですね、そんなことないです」
「姫さんの笑顔は信用できひんやろぉ」
「ふふ、楽しい方たちですね」
「あはは……」