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エリュシオン~紅玉の狂想曲

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 姫咲が腕を横に広げて、降参といったポーズを取る。大層な謙遜だ。怪我人を一箇所に集めて、上級魔術を使えば、治療なんてすぐのはず。
 それでも椿は姫咲に合わせて、腕を組んだ。
「姫咲も符が描ければ便利かも知れないな」
「全部倭くんに押し付けられるからですか?」
「そうとも言う」
「それはいい考えですね」
「だろう?」
 吹き出すように笑んだ姫咲に、なんだか和んでしまう。いやに頑張らないで、いつもこうしていられればいいのに、と考えるのは余計なことかもしれないが。
 並んで進んで行けば、すぐに倭たち3人の輪に近くなる。
「みなさん、もう終わりましたよ」
 何故かひとりだけしゃがみ込んでいることを除けば、みんないつも通りだ。
 梨佐の顔だけまっすぐに見られなかったのは、きっとだれも気付いていないはず。










「おぅ、お疲れ。治った?」
 姫咲の声が聞こえた途端、倭が白々しく立ち上がる。梨佐は緋桜と目を合わせて、微笑み交わした。
 背を向いているため、当然倭は気付かない。
「完治。当然です」
「かーっこいーい!」
 茶化すように緋桜が言うと、姫咲は鼻で笑った。それでも心なしか、その表情は楽しそうでもある。
 そんな姫咲を見て機嫌を良くした緋桜は、一瞬だけ笑んで、焼け焦げ濡れた家を見上げた。
「ホンマもんは、この家一軒だけやったみたいやな」
「でも、よかった。怪我をした人も少なかったんだよね」
 不幸中の幸い。一軒でも犠牲になってしまって幸いとは言いがたいけれど。もしあの幻の炎が本物だったのなら、甚大な被害が出ているはずだ。
「柊も、ここに居辛くなったりしねーな。ていうか、柊がやったって誰もわかんねーし」
 元々そんな魔力なかったんだし、と付け加えながら、倭が伸びをする。
「……でも、ただの火事で済みますか。あの幻術に、ふたりですが怪我人も出ているんです。自然現象になんて、なりっこありませんよ」
「……それは……」
 魔術で起きた事件ならば、相応の責任を誰かが取らなければならないだろう。
 けれど、犯人が柊だと言うわけにもいかない。
「まぁまぁ、みなさん」
「?」
 突然、第三者の声が飛んだ。
「……あら。おふたりはもう、大丈夫ですか?」
 姫咲が営業スマイルに切り替えて、女性に応対する。さっきまでの話題が話題だけに、他は黙って見守ってしまっていた。
「ええ、先ほどはありがとうございました。お父さんも息子も、怪我まで治して頂いて。本当に、迷惑かけてごめんなさいね」
「…………?」
 なんとなく、的を射ていない謝罪だ。彼女たちが悪かったわけでもない。
「火の用心って、いつも言ってるんですよ。でも、やっぱり油断って、してしまうんですねぇ。これからはこんなこと、ないように気をつけますよ。どうも、ありがとうございました。癒士さんも、そちらの方も」
「火の用心?」
「油断?」
 話が読めない。まるで状況が全く違っているような感覚である。倭と梨佐は、ぼそぼそと首をかしげた。
「火事なんて起きるの、この街では久しぶりで。消防だって、医療だって、あまりきちんとしていないんですよ。本当にありがとうございました」
 女性は深深と頭を下げると、家族ふたりがいる、畑ベッドへ向かった。目を覚ましたらしい彼らも、こちらを見遣ってぺこりと頭を下げる。
 
 確かに、夕食の頃ではあった。
 けれど、あれは。
「魔術の火じゃなかったって事?」
「そんなはずは」
 違いを知っている、椿が呟く。口元に手を当てて、考えこむ素振りを見せるけれど、すぐには言葉が出てこなかった。
「……姫咲、マインドコントロールを?」
「僕はそんなことできませんよ」
「だよ、な」
 それじゃあ一体これは何?
 幻も見えていなかったような口ぶりだった。
「魔力がないひとには見えない、っていうわけじゃあないんでしょう?」
「姫咲さん、あたしを見ないで下さい」
「あら、ごめんなさい。気付きました?」
「気付きますよ!」
 驚いたようにする演技が、いっそ彼らしいと思えてしまう、慣れが恐ろしい。
 それでも、これで丸く収まったと言えるのだろうか。それ以上は、誰も何も言わない。ひとまずは、問題にならなかったことを良しとして、納得せざるを得なかった。






             6





 わだかまりを残したまま一行は羽納家に辿り着き、翌朝を迎えた。
 そして5人は今後の食料まで用意してくれた桜に厚く礼を述べ、既にそこを後にしている。
 空は蒼く澄み、雲が美しく漂う。小さな鳥の陰も含めたそのコントラストは、自然に心を明るくしてくれる。
 柊はまだ、昨日から目を覚ましていなかった。姫咲の大事無いとの言葉に、予定通り出立をすることになったのだ。
 別れも言わぬまま。
「お別れ、しなくていいんですか?椿くん」
「ああ。いいんだ。……別れ辛くなるし」
 たった一日。
 それだけだったけれど、椿にとっては大きかったのだろうか。聞かないから、わからない。けれど。

「つばき!!」

 少年の声。
 呼ばれたひとは、躊躇うように振り返った。椿は、驚いたのとうれしいのが入り混じったような調子で、走ってくる柊を見ている。
 息を切らして、立ち止まった柊は、呼吸も整わないうちから口を開いた。
「……えっと、ありがと、な!!オレ、昨日は……よく覚えてねーんだけど、椿が、連れて帰ってくれたんだろ?」
「ああ。体は平気か?」
 傷は小さな物だったが、後の言い訳に困るということで、姫咲が全て消してくれていた。貧血のようなもので、倒れたのだということにしてある。
「うん、もう平気だ」
「そうか。なら、よかった」
 少しはにかむように笑う柊の頭に、手を乗せる。その下から見上げられる視線に、椿も顔を綻ばせているだろう。
「柊。……俺こそ、ありがとう。楽しかった」
「お、オレだって、楽しかったんだ!!先に言うな……!!だって、一日だったけど、ちょっとだったけど、オレ、兄ちゃんができたみたいで、嬉しかったんだからな!!」
「うん」
 頭に乗せられた手を、柊が取る。深紫を見つめながら、両手で力いっぱいに、握って。
「つよくなって、オレ、無理かもしんないけど……、でも、オレっ、お前みたいになりてーなって……思って」
「……そっか」
 きっと今、椿が表情を変えた。見えないけれど、柊の顔が、それを映して変わったから。
「!う、……嬉しいのか?」
「ああ、嬉しいよ」
「だ、から、これは……、サヨナラじゃねーから!!」
 椿が空いた手で、柊の頭をぐしゃっと、撫でる。
「俺も、柊が弟みたいだなって思ったよ」
「……う」
「おいおい、泣くなよ」
「な、ないてない……!!」
「そっか」
 苦く笑う声。柊が俯いた涙声で、目尻を拭った。
「……またな、柊」
 しゃがみこめば、柊より背が低くなる。椿は鼻を赤くした柊の顔を覗き込んで、優しく響く声で別れの言葉を言った。
「また、こいよな」
「もう俺は来ないよ」
 優しい音色が、響く。
「柊が、俺に追いつくんだろ?」
「…………っ」
 小さな目からこぼれた涙は、ふたりの、友情の証。
「だからこれは、そのための約束。……ほら、泣くなって」