エリュシオン~紅玉の狂想曲
「……、りさの手は、……温かいだろ」
「…………」
「それに、梨佐がいたほうが、……皆楽しいと思うぞ。梨佐が思ってるより、俺たちにとって大切だと……思う」
「お、……思うって、なによ」
平手で叩かれた手が、なんとなく痺れる気がする。ジンジンと温まって、でも椿の体温は冷たくて。
こんな簡単なこと、だれだってできるのに。
冷たい手のひらは、なんだか切ない。
「俺は、梨佐のためになにかしたいって思う。だから……」
歯切れの悪い科白。
これはこの旅で覚えたことのひとつ。
椿が、照れ隠しをする方法。
「椿、ありがと」
つめたい手が、少しあたたかくなったような気がする。空気が、やさしくなって。
「……いーえ」
肩越しに振り返った椿の笑みは、梨佐の心を、ゆっくりと溶かした。
+ + + + +
「お。おかえり。りぃ、ばっきん。怪我は?」
「椿が……、柊も」
梨佐は椿と繋いでいた手をぱっと離して、緋桜に走り寄った。椿が後ろから歩いて、梨佐に並ぶ。それから柊を肩から下ろして、緋桜に預けた。
「うお、めっちゃ血ぃ出てる。ほら、やまさん!!」
「ちょっと待ってろ。姫咲呼んでくるから」
倭が弾かれたように踵を返して姫咲の元へ走った。
椿の右肩の着衣が、もともとそうであったかのように赤黒く染まっている。梨佐は同時に申し訳なくなって、言葉を詰まらせた。
それに気付いた椿が、左手で頭をポン、と叩く。
「柊は、眠ってる。上手く避けようとはしたんだが、そうも言っていられなかったんだ」
「でも、ばっきんの方が重症やろ。なんでも自分で背負うたらあかんて言うてるやん」
「はいはい」
心配性の母親をいさめるような口調で、椿が息をつく。梨佐が気にするから、と椿が緋桜に目配せをしたことを、梨佐は気付かなかった。
椿が重症だと言うのに、姫咲が倭に背を押されながらこちらへ来る。
「椿くん、お帰りなさい。緋桜くん、柊くんを貸してください」
「頼む」
「了解です」
そう言って、緋桜から柊を受け取る。姫咲は重そうに顔を歪めたが、そうも言っていられないという風に先ほどの家族を寝かせている畑へ向かった。
「……悪いことをしたな。柊……」
「しょうがねーだろ。あれだけ魔力が暴走したんだ」
「……けど」
戻ってきた倭が、これ以上言うな、と人差し指を口元に当てる。それからニカ、と笑って、上目に椿を覗いた。
「オレがいなくて大変だったんじゃねーの?」
「……お前がこっちにいないと、みんなが守れないだろ。何枚使った?」
符は消耗品だ。何枚か使用するごとに、椿が描かなければならなかった。
「アッハ、さすがばっきん! 正解やったな」
「倭、すごかったのよ」
「あ……ありがと。っと……使ったのは、3枚、かな」
「なら今描く。血、出てるしな」
新しい物と既に符として完成している物を、倭が混ぜて取り出した。整理しろ、分けろ、と散々椿に言われているくせに、面倒くさがっていつもやらないのだ。
実のところ、符を描くのには血を用いること以外、何が描かれているのか、梨佐は知らなかった。
だから初めて見る。
(血文字でニコちゃんマーク……!?)
「こ、このマークは……椿が考えたの?」
もしもそうなら、どんな趣向なのだろう。
血文字でなくとも、椿がニコちゃんマークを描いている様なんて、ちょっと笑えるではないか。
「……いや。師匠、が」
「ししょう!?」
梨佐と倭の声が合唱する。椿が苦く笑って頷いた。
召喚術と符を描く方法は、人に習わないと使えるようにはならないと聞いた事がある。
倭は剣技と魔術を父親から学んだと言っていた。師匠と言うからには、親族ではないのだろうか。
(気になる……)
「あれえ、やまさんも聞いてへんかったん?」
「ああ……初耳だ」
「ほら倭。新しい符、よこせよ。向こうでやってくる」
「……わかったよ」
話が無理やり中断させられる。倭が不満そうに返事を遅らせたが、椿の催促と冷視線に諦めたようだ。
渡されて、椿の姿がすぐに消える。離れて集中しないと、符が描けないのだ。
「オレ、椿のこと、あんまり知らない」
「……倭」
「だって椿、自分のことって話してくれねーもん。わかりっこねーよ」
突然、拗ねたようにその場で座り込む。確かに椿のことは、一緒にいる中で経験として、または誰かから聞くくらいしか知る機会がなかった。
自分の過去を、椿は話したがらない。眼帯をしている右目のことや、緋桜とのことだってそうだ。
最初は、聞いた。けれどそのときも答えてはくれなかった。椿には、見えない影がある。
「オレ、椿は友達だと思ってんだけどな」
違うのかな。そう呟いて、溜息をつく。梨佐は言葉に詰まって、緋桜に視線を遣った。
「いんや、そんなことはないんちゃう?」
「……緋桜は、仲良いじゃん」
「今はおれの話やないやろ」
「一緒だ」
緋桜の表情が少しだけ苦くなる。確かに緋桜と倭は同い年でもあるし、重ねて見てしまうことを、理解できないわけではない。
でも、どちらがよく知っているとか、一緒にいるだとか、そんな感情。ある意味での嫉妬とでも言うのだろうか。梨佐は、わかる気がした。
「ばっきんかて、やまさんのこと、友達やって思てるて」
「そんなのわかんねー」
「子どもじゃないねんからさぁ」
「どうせ子どもだよ」
唇を尖らす倭に、緋桜が降参のポーズをとった。当事者が言っても、あまり効果はないだろう。
「えっと、倭は椿のこと知りたいの?」
「知りたいっつか……知りたいけど」
「無理やりにでも?」
「そういうわけじゃねーよ。あいつが話してくれるの待ちてーんだ、けどさ……」
椿の意思で、話してほしい。でも、そうしてはくれないから、もどかしい。
だから知る人を羨んでしまう。仕方のないことだと、思ってはいても。わからない感情だってある。
「わかることだけが友達じゃないんじゃない?」
「んなことわかってるけど……やっぱ、知ってるからわかることってあるだろ。だから緋桜が羨ましかった」
「おれかて知らへんこといっぱいあるて」
しゃがみ込んで、倭と並ぶ。覗き込んで、笑って。
「だぁってなぁ? ばっきん、やまさんとおるときだけ、めちゃめちゃ性格悪いんやでぇ?オカシイやろ。それはぁ、やまさんがばっきんにとって、ちょっと特別だからなんやと、おれは思うけど?」
「オレと緋桜じゃあ、やっぱ違うからだろ」
梨佐もよく思う。友達が、違う子と仲良くしていたら、なんだか傷ついたり、彼女にとっては自分がどうでもいいんじゃないかと疑ったり。
嫌われたくないのに、冷たく当たること。友達の友達を、どこかで悪く思うこと。
(あたしって、卑屈……)
ただ、仲の良い友達でいたいだけなのに、その思いが感情を歪めてしまう。どっちと仲がいいかとか、いちばんになりたいとか。
ただ、仲良くすることがどうしてできないんだろう。思考は止められず、浮かぶは易い。
それでも、感情なんてコントロールできないほうがいい。誰かが、言っていた。
それだけ相手のことが好きなんだって。
作品名:エリュシオン~紅玉の狂想曲 作家名:かずか