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エリュシオン~紅玉の狂想曲

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 椿が知っている術ならば、言葉はここで終わらない。そして、防げる魔力もない。
「――緋恋歌(ひれんか)!!」
 身構えた、瞬間。

 パリン!

 何かが割れる音が、小さく鳴った。
「――柊!?」
 電池が切れたように、ふつりと力を失った少年が、その場でくずおれる。椿は柊を抱き起こして、痛みに表情を歪めながらも名を呼んだ。
「柊、柊……」
 息はある、正常だ。傷も少ない。体内の魔力も、荒れてはいない。
(暴走じゃなかったのか……?)
 ただ、眠っているだけのように見える。
 やはり在り得ない。これは柊の力ではなく、他の誰かが、利用したとしか考えられなかった。
 けれど今は、それを気に留めている時間はない。
 
 赤い血を流す傷口よりも、右眼が溶けるように熱かった。






   + + + + +






「……あ」
 嘘のように、街全体を囲んでいた炎が徐々に姿を消していく。
「……!! 火が」
「収まった、……みたい……やな」
 燃えるような橙が消え、元の夜色に戻っていく空と街。ぼんやりと輝く街灯の燈りが温かかった。家々で作られる夕食が、不似合いに香りを放つ。
 梨佐は、大きく息を吐いた。まだ、震えが止まらない。恐怖感が抜けない。
「椿くんでしょうか」
「せやろな、たぶん」
 大丈夫、だっただろうか。炎の中を、走っていって。深呼吸をしながら、思い返す。本当に、苦しそうだったから。
「なぁ梨佐、椿のところに行ってくれねーか」
「?」
「あいつひとりにしとけねーだろ。もう、森の向こうまで平気だから」
 さっきあんなのだったし、と、突き立てた剣の柄を握り直したりしながら倭が言う。
 心配なのだろう。だが、隣の焼けた家から、はらはらと破片が落ちてきていた。そのために、防御の役割を果たしている剣を抜くことは出来ない。倭は離れられないのだ。
「でも」
「りぃ。おれからも頼むわ。あの子どーしよーもないからさぁ」
 緋桜にも、背中を押される。確かに、椿はひとりきりでいることを好まない。けれど今この状況も、捨て置いていいものではない。
「梨佐さん。お迎えに、行ってあげてください」
「ばっきんたら、迷える子羊みたいやな。もう、ほら。平気やて。な?」
 炎の中から救い出されたふたりは、すでに安らかな顔で眠っている。母親も穏やかに彼らを見守っていた。
「……、いいの?」
「もち」
 倭の朗らかな笑みが最後の一歩だ。梨佐は立ち上がって、土埃を払いながら、笑った。
「……いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
 倭が空いた手で、ひらひらと見送りの合図を送る。その言葉を背に、梨佐は走り出した。









             5




 森があるのは、柊の家のあたりだ。街の中心にある公園とは違い、ほとんど外れに位置する。
 梨佐は姿を消した炎が、本当に幻だったのだと思った。炎に包まれていたはずの場所がどこも焼けてないのだ。
だから怪我人も出ていないだろうし、家を焼かれたというのも、先ほどの家族だけだろう。
 それでも良かった、と言えるんだろうか。
 温かい風が、正面から梨佐の髪を煽った。舞う砂塵に目を伏せて、腕で覆う。
 それが止んだ先に、椿と柊がいた。
「……椿!!」
 走り寄ると、椿が膝をついたままこちらを向いた。
「……、梨佐」
 柊が、ぐったりと倒れていた。傷や衣服にも、一刻を争うほどの傷は、見受けられない。いくら姫咲がいるとは言え、酷い怪我は桜も心配させてしまう。
「……柊、どうしたの?」
「……何かが切れたみたいに、途中でこんな風に。掠り傷くらいで、大きな怪我はしてないが」
「そっか。……よかった」
 眠るような柊の表情に、苦痛の色は見えない。椿もだ。ふたりとも無事らしい。胸の中の重い物が、すっとなくなった。
「向こうはどうだった?」
「うん、怪我人は少ないよ。炎、幻だったじゃない?姫咲さんが治してくれてる」
 椿が立ち上がって、柊を軽々と持ち上げる。そうして左の肩に乗せて、梨佐に向き直った。
「帰るぞ」
「うん。…………?」
 土の地面に、少しだけ黒い染みがある。梨佐は顔を寄せて、目を凝らした。
(え)
 血、だ。小さな、血だまり。
「椿、これ」
「……ああ、ちょっとな」
「ちょっとって……柊、あたしが背負うよ!!」
「大丈夫」
 右の袖口から指へ、鮮血が伝っていく。腕にも赤い染みがある。肩が、出血しているのだ。それも梨佐にとってはかなりの量である。軽傷なわけがない。
「でも、けがっ」
「こんなの大したことない」
「……血が出てるのに」
「平気だ」
 無傷の左肩に、柊を背負っている。それでも、表情が歪められない。
 本当に、大したことがないのだろうか?
 椿にとっては、痛みの感情を表に出さないことなど簡単だ。いつかそう、緋桜が言っていた。
 少しでも、頼りになんてされない。
「あたし……なにもできなくて、ごめん」
「……梨佐」
 いつも足をひっぱる。
 いつも荷物になってしまう。
 だって、どうしようもない。
「確かに、梨佐は、なにかができるような、力はないのかもしれないけど」
 ほら。
 あたしには力もなくって、だから、なにもできなくて。たったひとりだって、守ることも助けることもできないんだ。
 姫咲が言ったことが偽りでないことを、梨佐が一番知っている。
 足手まといだということ。
「でも梨佐がいるだけで、……俺は、ひとりじゃないって……思えるし……」
 俯いた梨佐の中に、椿の澄んだ音色が響く。
「……え」
 顔を上げると、椿が振り返っていた。視線が合う。椿は笑った。何故だか、少し嬉しそうに。
「俺は今、梨佐がいなかったらひとりだろ?」
「うん」
「……俺、あんまりひとりでいるの、好きじゃないんだ」
 ぽつり、ぽつりと、言葉がこぼれた。なんとなく、ぎこちない。
「うん、知ってる。だから来たんだよ、あたし。倭が行ってこいって」
「…………」
「椿?」
 途切れてしまった言葉が不安になる。一瞬だけ途絶えた表情は、すぐに戻った。
「……つまり、梨佐はいるだけでいいってこと。梨佐がいれば俺はひとりじゃなくなるし、寂しくないだろ?」
「でもそれって、ほとんど役には立たないじゃない」
 唇を尖らせると、椿は苦笑する。片方の目だけが、やさしく、細められて。
「……意外と我儘だな、梨佐は」
「あたしにとっては必要なの、そういうの」
 だってあたしがいなくても世界は廻る。あたしがいなくても、この旅は終わらない。むしろあたしがいなくなれば、枷がなくなるくらい。旅は簡単にだってなるだろう。
 もしも、あたしがいなくなったとき、椿は哀しんでくれるのかな。
 そんな風に考えてしまうのは、意味もなく果てのないことなのだけど。
「……そういえば。もうひとつあるな、梨佐の活躍法」
 沈みそうになる感情が、椿の声で呼ばれる。
 口元に指先を当てながら少し遠くを見る、深紫の瞳を覗き込んだ。
「え、何?」
「手出して」
 何をするつもりなんだろう。
 梨佐はきょとんとしたまま、甲を上にして、差し出した。

 パチン!

「いたっ! って、あ」

 手を、ひかれる。
 冷たいのは、椿の手のひら。