奪われた過去
娘は岩の反対側から簡単に来て、荷物をおろした。
「こちら側に足が来るようにしてください。どっちですか?」
「……すぐそこの水の中でした。そこで滑って、捻ってしまいました」
「じゃなくて、痛いのはどちらの足?」
「ああ、左です。左の足首です。足よりも頭のほうが悪いみたいですね」
なんとか尻を軸に身体を動かした。
「靴を脱いでください」
ゆかりは苛立っているような口振りではないのだが、緒方は緊張している。慌てて靴紐を解き、靴から足を抜き出そうとすると、激痛を覚えて声を出し、その動作を中断した。短い唸り声は抑えきれなかった。
「重傷みたいですね。でも、少しくらい痛くても我慢してくださいね」
緒方は何日か前に、どこかで同じことを云われたような気がした。歯科医が云ったのだと、間もなく気付いたが、勿論黙っていた。靴と靴下を脱がされるときは痛みを我慢したが、湿布を貼られるときにまた声を出してしまった。
「冷たかったでしょう」
そう云ってゆかりは笑った気配だが、暗い上に眼鏡がないので確認はできなかった。
「お腹が鳴りましたね。あのお握りが最後ですか?」
電話で何度も聞いていた声に似ているのは当然だが、喋り方の特長や、感じられる人柄、印象が随分異なるように思う。