時夢色迷(下)
「いつの間にか、こうやって話せる『友達』なんて居なかった。笑顔だった子も、俺が来たら、すぐ笑顔が消えた。ただ、笑顔の中に居たかっただけなのに……だから、皆の笑顔が嬉しい。機械みたいだって、言われてた俺にも、そうやって笑ってくれる皆が」
そう言い終えると、顔を上げた。拳は崩されることなく、足の上に下された。
「とーやくんは、戦っていたんですね」
悲しそうな顔をして、冬弥を見つめる。
「戦う……? 喧嘩ならしたよ」
最初に杏香に会った時のような表情だが、悲しみの色が濃い。
「違うわ。貴方は、周りの笑顔のために頑張ってたんでしょ?」
杏香が、冬弥の目を見て真剣な顔をする。冬弥は、その視線から、目を逸らしてしまう。何処か、違うと思ったから。
「違う……ただの自己中心的な考え」
少しずつ、下を向いていく冬弥。
「それの何処が悪いんですか!」
いきなり立ち上がると、陽幸は大きな声をあげた。ビックリして、思わず顔を上げてしまう冬弥。そこには、納得のいかなさそうな陽幸の顔があった。
「人間なんて、何をするのも結局自分の考えで動くじゃないですか! 誰も、自己中心じゃない人なんて居ませんよ!」
ズカズカと冬弥の隣に歩いていく。
「だから、この手も握らずに広げればいいんですよ」
冬弥の隣に立つと、握られた冬弥の拳を包み込む陽幸。その顔は、嵐の過ぎ去った後の快晴のようだった。
「そうね。私だったら加賀君の事、機械なんて言わせないわ」
杏香も、笑って立ち上がると冬弥の後ろに立つ。
「こんなに、優しい人間なのに……ね」
冬弥の肩に、とんっと両手を置くと、冬弥は見上げるようにして杏香の顔を見る。杏香は、優しく笑っていた。
「貴方は、優しい人」
天使も、横から冬弥の手を握る。冬弥の視線は杏香から天使へと変わる。
「とっても」
そこで見た天使の笑顔は、儚くも綺麗な笑顔だった。
「やっぱり、此処は良いね」
冬弥は、微笑んだ。年相応の、子供の様な笑顔で。四人の顔には笑顔の花が咲いた。その時、冬弥の周りから光が出てきた。
「死んだら、もう、この笑顔に会えないんだね」
少し悲しそうな顔をする。その後、天使を見る
「ピン……大切にしてくれる?」
そう言って、聞くと天使は何度も頷いた。
「良かった。……ちゃんと、周りに笑顔があって、君達に出会えて良かった……出来れば、もっと一緒に居たかったかな」
消えていかない様にと、ぎゅっと冬弥の手を握ったり、肩を強く握る三人。
「駄目だよ……出会いがあるから、別れもある。別れがあるから、出会いもある。……もし、また生まれてこれたとして、もし、出会えたとしたら……」
そこでいったん止めると、三人の顔を見回す。
「俺に、その笑顔をちょうだい」
そう言って、冬から春に変わったばかりの新芽の様な、いきいきとした笑顔で冬弥は消えていった。
「……とーやくん、何回生まれ変わっても……必ず会いましょう」
陽幸は、冬弥の座っていた椅子を見ながら、笑顔でそう言った。
「出会いがあるから、別れがある……別れがあるから出会いがある……」
杏香は、さっきの冬弥の言葉を反復してみた。悲しくも、嬉しくもあった。そして、何より正しいと言う事を、杏香と陽幸はこの短時間で沢山知った。
「彼が一番最後の迷い人。色を、戻さないの?」
すらすらと、喋る天使。天使は、椅子の上にある青・藍色・紫のビーズを見つめる。
「戻すわ。……これ、虹の七色だったのね……少し、違う色も混ざっていたけど」
杏香は、黒と茶色と緑のビーズと共に美夏を思い出し、赤と黄色とオレンジのビーズと共に千秋を思い出し、手に取った青と藍色と紫のビーズと共に冬弥を思い出す。横では、不思議とスッキリとした陽幸の顔があり、ピンに触れて微笑む天使の姿があった。
「加賀君……ありがとう」
色が、世界に着いていく。空は、清々しい爽やかな青になった。
「ねぇ、とーやくんが最後って事はもう終わりですか?」
陽幸が天使に聞くと、天使は静かに頷いた。
「ねぇ、あんちゃん。聞いてほしいことがあるんです」
陽幸は、真面目な顔をして杏香を見る。
「とりあえず、座りましょ?」
「そうですね」
立ったままだった二人は、椅子に座る。向かい合えるように、冬弥が座っていた椅子に陽幸が座り、陽幸が座っていた椅子には杏香が座った。
「あんちゃんは、この世界にどうして来たか知ってますか?」
陽幸は、これまでにない位真剣な面持ちで、杏香に聞く。
「えぇ……飛び降りたから……ね」
落ち着きなく、髪の毛を触る杏香。少しずつ、表情が曇っていく。
「どうして、あんな事したんですか?」
「もう良いでしょ! どうせ、もうやり直せないんだから!」
陽幸の視線から逃れられず、思わず叫ぶ。
「もう……手遅れなんだから……」
ぽとりぽとりと、杏香の瞳から涙が零れていく。
「此処で会えた皆に、もっと早く会えてれば……でも……もう、遅いのよ……」
陽幸の方を向く杏香。頬を伝っていく涙は、とてもきれいな色をしている。
「手遅れじゃない……って言ったら、どうします?」
「え……?」
陽幸の、突拍子もない問いかけに、杏香はすぐに返す言葉が出てこなかった。
「あんちゃんが、生きているって言ったらどうしますか?」
「でも!」
そう言って、陽幸の方を見るとニコニコと笑っていた。
「大丈夫ですよ。あんちゃんは、生きてます」
信じられないと言わんばかりの顔で、天使の方を向くと、天使も頷いた。少しずつ、杏香の顔に笑顔が戻ってくる。
「あんちゃんは、昔あった事故を覚えてますか? あの、ひき逃げ事故です」
その言葉に、杏香の表情は凍てつく。陽幸の顔は、申し訳なさそうに歪む。
「嫌な事を思い出させてしまってごめんなさい……でも、その時一緒に事故にあった子の事知ってますか?」
「大丈夫よ……確か、ひさ君みたいな……」
そこまで言って、何かに勘付いたらしく、杏香は勢いよく立ち上がって陽幸の方に乗り出す。
「ねぇ……ひさ君……? 貴方まで、死んでる……って事は無いわよね! そんなの嫌よ!」
顔を横に振りながら言うと、すがりつくような目で陽幸を見る。陽幸は、優しく微笑んだ。
「死んでませんよ。でも……この『ボク』は此処でしか居られません」
「どういう意味なの……?」
「そのままの意味です」
にっこりと笑うと、両手を胸に当てて聖母マリアの様な優しい笑顔で杏香を見る。
「『ボク』は、あの事故の時から時間が止まってるんです」
思い出すように、して目を瞑る。杏香は、どんどん悲しそうな顔になっていく。陽幸は、そんな杏香の頬に手を添える。
「そんな、悲しそうな顔をしないで下さいよ」
杏香は、自分の頬に当てられた陽幸の手を握る。その手に、少し力が入る。
「ちゃんと、もう一人の『ボク』が生きてますから」
「もう一人の……ひさ君?」
ぽかんと口を開けて聞き返してくる杏香に、陽幸は小さく笑った。
「はい! もう一人の『陽幸』です!」
にっこりと笑うと、天使にアイコンタクトをとばす陽幸。それに応えるように、天使は立ち上がる。
「私は、もう一人の『杏香』だから……そして、あの時の貴方」