時夢色迷(上)
何の表情もないまま、淡々と紡ぐ。その、陽幸の答えに杏香は目を見開いた。
「安心してください。あんちゃんは、まだ命はあちらにもありますから」
「水くんできたで!」
零れない様に、気を付けながら走ってくる千秋。
「じゃぁ、さっそく水をあげましょう!」
さっきまでの表情が嘘かのような笑顔で、千秋に笑いかける。
「杏香さん? また、暗い顔になっとるで?」
つんっと、杏香の頬をつつく千秋。心配そうな表情をする。
「え……あぁ、大丈夫よ」
「ホンマ……?」
「えぇ」
陽幸のまねをして、にっこりと笑って見せる。
「まつくん! 早く水をまきましょうよ!」
花壇の横にしゃがんで、千秋をにっこりと笑顔で見る。
「そやね! 枯れたらかわいそうやしね!」
「はい!」
木の根元に、水をかけながら楽しそうに談笑する千秋と陽幸。
「じゃぁ、ボクが水をくんできますね!」
にこにこと笑いながら、ペットボトルを持って走る陽幸。
「杏香さん」
花壇に腰掛けながら、杏香をじっと見る千秋。
「なに?」
「悩んで過ごす時間より、笑って過ごす時間が多い方がええと思わん?」
「へ……?」
最初、千秋の言っている言葉の意味が分からず、間抜けな声が出る。
「僕は、杏香さんの笑顔好きやねん! やから、笑っててや!」
まるで、告白の様な台詞だがそういう意味では、全くない。純粋に、杏香の笑顔が好きなのだろう。
「かわええ杏香さんは、いつも笑顔でおって……って僕、生意気やねぇ」
あはは、と自嘲気味に笑う。
「そうね……」
「杏香さん!」
大きな声を出す千秋、俯き気味だった杏香も千秋を見る。
「別れの後は、何があるか知ってはる?」
むすっとした表情で、杏香に詰め寄る。身長差のせいで、気迫などは無いが、強い意志が込められているのがわかる。
「そんなの、悲しみが残るだけよ…」
悲しそうに、眉根を寄せながらそう答える杏香。千秋は、気に入らないと言わんばかりに、ぺっちとその眉間の皺をデコピンする。
「別れの次は、出会いですやん!」
当たり前と言わんばかりの、堂々とした口ぶりに、何故か納得してしまう。
「杏香さんは、新しい出会いを、辛気臭い顔で待ちはるん? ちゃうやろ? やから、笑ってや! 笑って、可愛い杏香さんでおってくれへん?」
言い終えると、小さく首を横に倒しながら聞く。
(ふふ…やっぱ、ひさ君と似てるわね)
「そうするわ。千秋君の言うとおりね」
そう言ってから、ふとさっきの陽幸の言葉を思い出した。
(金江美夏……?どうして、ひさ君はみーちゃんの名字まで……)
「僕なぁ、昔から花とかは枯らしてしまうんや……でも、陽幸くんと杏香さんとなら、このツツジを咲かせられるんちゃうかな~って、思うんよ! 杏香さんも、思わん?」
眼鏡を外して、服の端できゅっきゅっと拭いているため、杏香の表情の変化に気付かなかった。眼鏡をかけ直した時には、すでに杏香は優しく微笑んでいた。
「うちは、こういうの得意な方だからね! 絶対に、咲かせましょう!」
「心強いわぁ~」
ふわふわと笑って、白い空を仰ぐ千秋。
「ねぇ」
「なん?って、ちょ返してやぁ~!」
千秋を呼んで、杏香の方を向いた時に眼鏡を取った。小さな子みたいに目が大きいので、さらに可愛らしく見える。
「眼鏡無い方が可愛いわ! 外しといたら?」
楽しそうに笑いながら、眼鏡を自分の体の後ろに置く杏香。目的物が見えてない千秋の手は、宙を意味もなく彷徨う。
「あほな事言ってはらへんで、返してやぁ~!」
立ち上がって、涙目気味に杏香を見る。
「あれ? まつくん、何してるんですか?」
バタバタと忙しく手を振り回してる千秋に、水をくんできたばっかりの陽幸は不思議そうに声をかける。
「陽幸くん~……」
「あれ? 眼鏡は、どうしたんですか?」
ペットボトルをその場に置いて、千秋の近くに歩み寄る。
「杏香さんに取られたんよ~返してやぁ~」
「そっちの方が、可愛いですよ!」
正面に立つと、顔を近づけてにこっと笑う。ギリギリ、目の悪い千秋にも見える位に、距離が近い。
「可愛い、言われても嬉しないもん」
ぷくっと、頬を膨らます。杏香は、小さく笑うと陽幸に眼鏡を渡す。陽幸も、くすくすと笑った。
「はい! でも、可愛いってほめ言葉ですよ!」
眼鏡を千秋にかけてあげると、一歩後ろに下がって笑う。
「ほめ言葉になるん? せやったら……ありがとうって、やっぱりはずいわぁ~」
顔を赤らめる千秋。赤くなった顔を隠すように、顔を押えて陽幸と杏香を見る。
「もぉ、陽幸くん!」
「さっ、水上げましょ!」
「無視せんとってよぉ~」
陽幸は、悪戯っぽく笑って困った様な顔をしている千秋に抱きつく。
「ちょっ! 悪戯するんか、甘えるんかどっちかにしてや~」
ふぅ、とため息をつくと陽幸にデコピンをした。
「うぁ! 酷いですよ」
「仕返しやん♪」
楽しそうに笑うと、ぎゅ~っと陽幸を抱き返した。
「二人とも、仲がいいよね」
微笑ましそうに笑って言う杏香。千秋は、思い出した様に陽幸を離すと、杏香の前に立つ。
「杏香さん! 眼鏡とったりするんは、ホンマあかんよ! 僕、目悪いんやから、見えへんくなるやん!」
また、プックリと頬を膨らます。
「ごめんね。ついつい、からかいたくなっちゃって」
そう言って、撫でてやると恥ずかしそうに下を向く。
「わかってくれたんやったら、ええです……」
口に溜めた息を吐き出す千秋。
「でも、次はあらへんよ!」
メッ! と言いながら、目の前に一本指を立てる。
「はい。ごめんなさい」
そう言って、軽く頭を下げると戻ってきた時には、にっこりとしたいつもの千秋の笑顔があった。
「じゃぁ、まつくん早く水あげましょうよ!」
「そうやね!」
きゃっきゃと楽しそうに話しながら、水を全てのツツジにかけ終わった。
「で、夜っていつ来るん?」
千秋が、輝いた目で二人を見る。
「そう言えば……夜って、あるの?」
杏香も、千秋と一緒になって陽幸に問いかける。
「あると言えばありますけど……」
陽幸は、何処か言いにくそうに言葉を濁す。
「ほな、どっかで寝よや! 明日には咲いてへんかなぁ~」
一際大きなつぼみに、小さくキスをして笑顔で手を振った。
「まつくん? ツツジさんにキスしても、変わらないんじゃないですか?」
「愛情は、分かってくれはるよ! きっと、明日には綺麗なツツジでいっぱいになっとるって!」
満開のツツジを想像して、嬉しそうな顔をする。
「なぁなぁ陽幸くん。どっかに部屋とかあらへんの?」
「ホテルみたいなところはあったわよね?」
杏香が、思いだした様に陽幸に同意を求める。
「ありましたね。じゃぁ、行きましょう」
「ホテルか~何や、修学旅行みたいで、ワクワクしてくるなぁ~」
楽しそうに、笑いながらペットボトルを水道の近くに置きに行く千秋。
「あんちゃん。此処に、夜らしい夜が来ると思いますか?」
「どういう事? 夜らしい夜?」
言い辛そうな顔をして、千秋の背中を見つめている陽幸。陽幸の問いかけに、意味が分からなさそうに杏香は聞き返す。
「こんな、白色だけの空ですよ? 太陽がどこにもないのに明るくて、光の出どこさえわからないこの空間が、闇に包まれる夜が来ると思いますか?」