傀儡師紫苑(1)夢見る都
次々と妖糸は剣に切断され、華麗なるまでの剣戯を前にして紫苑が一方的に押されている。
紫苑は圧倒的に不利であった。この数日の間に起きた戦いによって傷つき、耐え難い苦痛の中で戦っていた。
いつの間にか紫苑は妖糸を出すほんの僅かな時間も与えられずに、相手の剣を避けるのに精一杯になっていた。
切っ先が紫苑の顔の横を突いた。
「避けてばかりでは、私は倒せませんよ」
「くっ」
仮面の奥で紫苑は唇を噛み締めた。
傀儡さえあれば少しはましな戦いができたかもしれないと紫苑は悔やんだ。
自らだけの力では負けると悟った時、紫苑の目に床で倒れている麗慈が映った。
麗慈に向かって走り出した紫苑を見て翼人はあざけ笑った。
「勝てないと悟って逃げる気ですか?」
紫苑は相手の言葉を無視して麗慈の横に跪き、床に転がっていた手首を拾い上げた。
床に寝そべっていた麗慈の目がゆっくりと開かれた。
「うるせえと思ったら誰かとヤリ合ってんのかよ」
「縫合する」
麗慈の言葉など無視して紫苑は話を続ける。
「この手を傷口に押し付けていろ、縫合してやる」
何も言わずに麗慈は受け取った手首を切断面に付けた。すると紫苑が目にも留まらぬ速さで縫合手術をした。もちろん普通の縫合手術ではなく魔導による手術である。
「ククク……恩を売る気か……売られてやろうじゃねえか!」
麗慈の右腕を動き妖糸を放った。
針と化し紫苑の顔を貫こうとする鋭い妖糸。紫苑は避けなかった。
麗慈が不適に嗤う。
妖糸は紫苑の顔を掠め、後ろにいた翼人の肩を貫いた。
肩を押さえ顔を歪ませる翼人。
「麗慈、貴様は組織を裏切る気か!」
「ククッ、俺は最初から組織になんて忠義なんて誓ってねえよ。俺はあいつらの使い捨ての駒だからな」
立ち上がった麗慈に紫苑は小さく耳打ちした。
「時間を稼げ、奴に地獄の苦しみを与える準備をする」
「ククク、それは楽しみだ」
今度は麗慈が翼人の相手をする。
「ククッ、ヴァンパイアが相手なら不足はないな――血祭りにあげて殺るぜ」
「下等な人間風情がよく言う。血祭りになるのは裏切り者の貴様だ!」
切っ先を麗慈に向けてヴァンパイアが突進して来た。
「天然記念物級の絶滅寸前ヤロウがよく言うな……ククッ」
「ほぜけ!」
向かって来る切っ先を辛うじて避けた感じの麗慈はすぐに妖糸を放った。
相手との距離は三〇センチもなかったが、それでも妖糸はかわされ、それどころか剣による猛襲を仕掛けて来た。
麗慈の妖糸を放つスピードが遅い。それは仕方あるまい。魔導によって縫合されたとはいえ、完治したわけではないのだから。
妖糸が煌きヴァンパイアの腕一本をどうにか切断することに成功した。
「クソっ、腕じゃ意味がねえ」
麗慈の言葉どおり、腕では意味がないのだ。ヴァンパイアはその格や力にもよるが、腕くらいならすぐに再生できる。
「残念でしたね、我ら夜の眷属の伝説はあなたもご存知でしょう?」
床に転がったヴァンパイアの腕は急速に干からびていき、塵と化してこの場に吹き荒れる強い風によって跡形もなく消えた。その代わりの腕がヴァンパイアの切断された傷から生えた。
「私の場合は他の仲間より再生能力が高い――科学の力というやつですね」
「首を刎ねられても再生するのか?」
「ええ、私の場合は、心臓を潰されない限りは不死身ですね。それからもうひとつ、十字架を嫌うというのは嘘ですよ、全てヴァンパイアの弱点がそれである筈がない。私は神など恐れていませんからね」
最近の通説では十字架はヴァンパイアには無効であるとするものが多い。十字架を恐れるヴァンパイアは、元々敬虔なキリスト教の信者だった者などがヴァンパイアになり神を裏切ったことなどに後ろめたさを感じるからだという。
「じゃあ、おまえのハートを貫いてやるぜ!」
麗慈の手から放たれた妖糸が一直線にヴァンパイアの胸を貫いた――そこは心臓があるべき場所だ。しかし、このヴァンパイアはわざと喰らって見せたのだ。
「また残念でしたね、私の心臓は身体の中を動き回っているのです」
このヴァンパイアは自分の心臓を自由に体中に動かすことができるのだ。
顔をしかめた麗慈は次々と妖糸を放つ。だが、ヴァンパイアは、もうわざと敵の攻撃を受けることはなかった。
再び剣による猛襲が麗慈に襲い掛かる。
「弱い、弱すぎる――他の研究所はこんな実験生物などを造って遊んでいるとしか思えませんね。こんなものを造るのなら、もっと私のところに資金を回して欲しいものです」
敵の猛襲に押され、麗慈は少しずつ後ろに後退していた。
「俺の力じゃ歯が立たねえ……ククク、このままじゃホントに殺られちまうな」
後一歩でも下げれば地面に落ちてしまうところまで麗慈は追い詰められていた。
「ククッ、少しは足しになるか」
「くっ!?」
ヴァンパイアが一瞬怯んだ。その後ろには撫子が鋭い爪を構えて立っていた。
「にゃば〜ん! みんにゃピンチに登場プリティ撫子姫だよ〜ん」
ヴァンパイアの剣が撫子に向けて横に振られた。
「貴様も裏切る気か!」
「だってぇ〜……にゃんとにゃくぅ?」
「余所見してんなよクソヤロウがっ!」
麗慈の妖糸が放たれたが、ヴァンパイアはそれをあっさりと切断した。
「雑魚が二人になろうと私は倒せない。こうも組織の者が裏切り行為をするとは組織の一掃改革が必要ですね、まずはこの二人を始末しましょう」
目にも留まらぬ速さで剣が振られ、麗慈は避けたつもりだったが胸を少し斬られた。そして、撫子の着ていた特殊スーツまでもが少し切られていた。
「爆裂危ない! 微かだけど肌まで斬られたぁ。これ着てなかったら死んでたよぉ」
「黙ってヤレ撫子!」
「ほ〜いさ」
二人掛かりで戦っているというのにヴァンパイアに攻撃を喰らわすことができない。それどころかヴァンパイは表情ひとつ崩さずに息も切らせていない。汗をかき、息を切らせているのは麗慈と撫子の方だ。
「ククク……役立たずのクソ女が」
「いにゃいよりはマシマシだよ!」
「俺の攻撃の邪魔になる」
「麗慈のばかぁ!」
怒りの矛先をヴァンパイアに向けて、撫子の爪がヴァンパイアの肉を剥ぎ取ることに成功した。だが、それも空しい一撃でしかない。ヴァンパイアの傷はすぐに再生してしまった。
「戯れも終わりにしましょう。お死になさい二人とも!」
「ふざけんな、紫苑のクソはまだ終わんねえのか!」
遠くで名を呼ばれた紫苑は呟いた。
「……今ならば呼べる」
とてつもなく大きく奇怪な魔方陣が宙に描かれていた。
「傀儡師である私が成し得る最高の魔導――喰らわれるがいい!」
召喚は傀儡師の体調や精神状態と密接に関係しており、いつでも呼び出せるものではない。それにもうひとつ、周りの環境などの条件と呼び出すものの相性が合わなくてはいけない。
通常の傀儡師による召喚は〈それ〉を呼び出すことからはじまる。
巨大な魔方陣が呻き声をあげると、皆、その場に立ち尽くしてしまった。
呻き声は世にもおぞましくも美しく、この世のものではないことがすぐにわかる。
振動する。全てモノが振動する。
作品名:傀儡師紫苑(1)夢見る都 作家名:秋月あきら(秋月瑛)