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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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傀儡師紫苑(1)夢見る都

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 地面や空気や空間までもが振動する――いや、何かの圧倒的な力に無意識に震えているのだ。
 魔方陣の内から、悲鳴にも似た叫びが聴こえて来た。紫苑以外の全員が耳を反射的に塞いだ。
 腐臭にも似た臭いが辺りに立ち込め、魔方陣の内から粘液に包まれたべとべとの触手が蜿蜒と伸びて来た。
 巨大な眼が魔方陣の内から外を覗いた。その瞳を見てしまったヴァンパイアは心を打ち砕かれた。麗慈は本能的に目を伏せており、撫子はしゃがみ込み震えている。
 だが、紫苑の呼び出したいものは違う。
 悲鳴があがり、魔方陣の内から血飛沫が雨のように地面に降り注ぎ、外に出ていた触手が内に強引に引き戻された。
 力のある存在が呼ばれてもいないのに外に強引に出ようとして、その存在を大いなる力を持つものが内に引きずり込んだのだ。
 魔方陣からはいったい何が出て来ようとしているのか?
 紫苑は仮面の奥で唇を緩めた。
「魔方陣の内には無限の世界が存在し、〈それ〉という存在が棲んでいるのだ。私が召喚するものは〈それ〉の産物であり〈それ〉自身ではない。そして、〈それ〉は固有名詞ではない。私の呼び出す〈それ〉は闇に属する存在だ」
 紫苑の言葉に口を挟むものはいない。紫苑の言葉など誰の耳にも届いていないのだ。
「〈闇〉と〈光〉は魔導士の属性であるとともに存在でもある。〈闇〉と〈光〉は〈それ〉に仕えるものであり、管理者と言ってもいいだろう。〈闇〉などは召喚されたものたちが自ら元の世界に還らない時に強制的に還す役目を担っている。だが、こいつはどうかな……?」
 魔方陣が内から引き裂かれていく。何かが出ようとしている。
 〈それ〉が呻き声をあげた。
  紫苑は顔を下に向けた。麗慈も撫子も見ていない。決して見てはいけないことを知ったのだ。
 ヴァンパイアはすでに身を固まらせ、瞬きもできずにいる。そして、心臓も止まっているのだが、死ぬことができない。意識もしっかりとしていて恐怖に狂うこともできない。全ては〈それ〉のこの世ならぬ魅了する力。
 魔方陣は内から壊された。
 〈それ〉の片手と思わしきものが外に出た。思われるというのは、人間やこの世の生物の手には似ても似つかぬものだからだ。おそらくその用途から手と思われる。
 〈それ〉のもう片方の手が外に出て、外と内の間に指を引っ掛けて奇怪な音とともに空間を無理やりこじ開けた。
 何かを破る音に似ているが、悲鳴にも叫びにも似ている。その音を形容する言葉がこの世にはない。
 こじ開けられた空間から〈それ〉の一部が外に出たが、その部分が人間やほかの生物でいうどの部分に当たるのかがわからない。頭かもしれないし、足かもしれない、もしかしたら、これが手だったのかもしれない。
 ここが組織の創り出した異世界でなければ地球は滅びてしまっていただろう。それだけがはっきりしている事柄だ。
 〈それ〉はヴァンパイアを確認した。そして、笑ったように思える。いや、泣いていたのかもしれないし、怒っているのかもしれない。
 〈それ〉はヴァンパイアに向かって行き重なった。呑み込んだという表現が近いかもしれない。
 〈それ〉が還っていく。――全ては〈それ〉の気まぐれであったのかもしれない。
 全ての事柄は意味のあるものかもしれないし、意味のないことが繋がって世界が成り立っているのかもしれない。
 紫苑が顔を上げた。
 世界は空虚に満ち溢れていた。
 ゆっくりと歩き出した紫苑は磔にされている翔子の前に立った。
 紫苑の手がそっと翔子の頬に触れた。とても冷たく身体中の体温が失われているのがわかる。だが、微かに息がある。
 翔子がゆっくりと目を開けた。
「……スゴク、寒いよ……死ぬのかな……私」
 紫苑は身に纏っていた茶色い布を取り、仮面のゆっくりと外した。
「死にはしない、決して君は死なない」
「やっぱり……愁斗くん……じゃん」
 微笑んだ。死相を浮かべているのに、愁斗の顔を見て微笑んだ。
「僕は誰も失いたくない……もう、大切な人が死ぬのは嫌なんだ」
「……ごめん」
 小さく呟き、静かに静かに息を引き取った。
「ふふ……君のことを守るって約束したのに……くははは……なぜだ……全て僕のせいなのか?」
 震える手をゆっくりと上げ、紫苑は涙を流した。
 頬にもう一度触った愁斗は磔にされていた翔子の身体を開放して、地面の上に優しく下ろした。
「……禁じられた契約を交わそう」
 凍てついた床の上に横たわる翔子の横に跪く愁斗。
「これが正しいことなのか、それはわからない。けれど、あの時の僕にはできなかったけど、今の僕にはできる」
 愁斗の手が素早く動き妖糸を放った。
 翔子の胸に煌きが走り、鮮血が迸った。
 開かれた胸の中へ手を入れて愁斗は、その中で何かをした。
 造り変わる躰――翔子は愁斗の傀儡となろうとしている。
 鋼の頬に紅が差していく。
 永久に続く生命を与えられ、妖糸によって胸の傷が縫合された。
 そして、愁斗は翔子の胸の中心に契りを交わした証拠として印を残した。
 まだ、深い眠りについている傀儡を目覚めさせるため、愁斗は傀儡の柔らかな唇に自分の唇を重ね合わせた。
 覚醒めはじめる。
 愁斗が顔を離すと翔子のゆっくりと目が開けられた。
 汚れの無い黒く澄んだ瞳の奥に愁斗の顔が映る。そこに映るすべては許されるのだろうか?
「愁斗くん……? まだ、私、死んでなかったのかな?」
 この問いに愁斗はゆっくりと首を横に振った。
「いいや、君死んだ。……そして、僕の傀儡になった」
「傀儡?」
「……ここを出てからゆっくりと話そう。空間が壊れる音がする」
 空間が壊れる音など翔子の耳には聴こえなかった。それどころか世界は静寂に満ちている。
 翔子を両腕で抱きかかえ、愁斗は立ち上がった。愁斗の左腕は妖糸によって強引に動かされている。愁斗は翔子のことをしっかりと抱きしめたかった。
 この異世界は〈それ〉を呼び出したことにより狂いが生じていた。もうすぐ世界は硝子のように砕け散る。
 愁斗は呆然と立ち尽くしている麗慈と、しゃがみ込んで頭を抱えながらまだ震えている撫子に声をかけた。
「おまえたちも早く外に出た方がいい」
「クククククククク……傀儡にされちまったのか。いや、それよりもさっきのあれは何だ……ものスゴイ威圧感で俺を感じさせたのは?」
「真の傀儡師ではない貴様の知ることではない」
 世界に皹が入った。誰にでもわかる崩壊がはじまった。
 立ち上がろうとしない撫子を見て紫苑は呟いた。
「手が空いているのなら運んでやれ」
 これを言われた麗慈は苦笑した。

 廃工場の出口に戻ると撫子は地面に降ろされた。
 翔子が地面にゆっくりと降ろされる途中で麗慈は愁斗に背を向けた。
「俺は組織が来る前にさっさと逃げるぜ」
 愁斗は妖糸を麗慈の背中に振るったが、それはあっさりと切断された。麗慈入ってしまった。愁斗はそれ以上何もせずに麗慈を行かせた。
 頭をぶるぶると震わせて正気を取り戻した撫子は、ポケットからケータイに似せて作ってある通信機を取り出してどこかに連絡した。