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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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傀儡師紫苑(1)夢見る都

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「だが、今は誰かにすがりたい――神の助けが欲しいのだ。こんな都合のよい男でも想いを寄せてくれるひとがいるのだ。私は目の前にいる大切なひとを手放したくはない、この腕で抱きしめていたいのだ」
 想い人を頭に描き、フロドは己の身体を強く抱きしめた。
「漆黒の闇に魂を貫かれる気分だ。悲しみは海より深く、苦しみは空より高い、私の魂を癒してくれるのはあのひとしかおらぬ」
 失意の底に打ちのめされたフロドは、床に両手をついてこう叫んだ。
「ふざけるな、こんな運命など受け入れてたまるものか!」
 床を力いっぱい殴りつけた。それも一度ではなく、何度も何度も激しく殴りつけた。
 フロドの拳から紅い血が滲み出して来た。
「この右手が真っ赤な血で穢れようと、私はアリアを奪い返してみせるぞ!」
 血に染まる右手を眺めながら、フロドは決意を固めた。
 立ち上がったフロドはマントを翻して歩き出そうとした。しかし、聖堂の中に入って来るフロドと同じ法衣を身に纏う人物を確認して足を止めた。
 聖堂に入って来たのはフロドの友人の女性であるティータであった。
 ティータはフロドと同じく、ドロウ侯爵配下の近衛魔導士団に所属する魔導士でひとりである。
「探しましたよフロド。ドロウ侯爵殿がお呼びになっていますよ」
「ありがとうティータ。だが、侯爵様のもとへは行かなぬ」
「どうしてですか……まさか!?」
 ティータはフロドとアリアに仲を知っている。そして、フロドとは長い付き合いだ。だからすぐに気がついてしまった。
「まさか、あなたは侯爵様のことを裏切る気なのか!? そうなのかフロド、答えるのだフロド!」
 ややあってフロドは深くうなずいた。
「わかってくれティータ。侯爵殿を裏切るのは本意ではないが、しかし、そうせねばならぬのだ」
「アリアだな、あの女のせいだな!」
「あの女などと呼ぶな……あのひとは私の大切なひとだ」
 言葉よりも目で激しく訴えるフロドを見て、ティータは落ち着きを取り戻した。
「すまなかったフロド。しかし、明日の式の邪魔でもしようものなら、あなたは殺されてしまうのですよ」
「覚悟のうえだ」
「……そうですか。では、私もあなたに協力しましょう」
「それは本当かティータ!?」
 相手の目を見据えてティータはうなずいた。
「あなたと私は男女を超越した親友です。あなたが死を覚悟するのならば、私もこの命を架けましょう」
 真剣な眼差しのティータの目を見つめながら、フロドは首をゆっくりと横に振った。
「気持ちだけで十分だ。ティータまで巻き込むわけにはいかない。君は将来有望な魔導士だ……君の輝かしい誉れ高き未来を潰すわけにはいかない」
「それはフロドとて同じではないか!? フロドは私なのよりも未来のある者だ!」
「私の未来は君が思う場所とは違う場所にあるのだよ」
 ――遠い眼差し。フロドは未来に何を見ているのか?
「フロド……やはり駄目だ。今からでは遅くはない、考え直してくれぬのか?」
「それはできない。私はアリアをこの手で奪い返すと決めたのだ」
「どうしてだ、どうしてできぬのだ! 輝かしい未来を捨てて、なぜ彼女を得ようとするか私には理解できない」
「すまない、私の我が侭でしかない。だが、未来を決めるのは私自信だ」
 その先の未来がどうなろうと、自分の未来は自分で決める。だが、ティータには理解に苦しむことだった。
 フロドは人一倍努力をして、仲間たちからも慕われ、将来を有望視されていた。それをなぜ全て捨ててまで愛する女性を得ようとするのか? そこまでしてあの女性は得る価値のあるものなのか。いろいろな想いが交差するティータは唇を噛み締めた。
「なぜだ、なぜ侯爵殿を裏切る!」
「それ以上言うなティータ。命を架けてくれると言ったのは嘘だったのか?」
「嘘ではない! でも、違うのだ、何もかも違うのだ……」
 押し黙るティータ。フロドはマントを翻した。
「私は行く」
「待てフロド!」
「止めるなティータ」
 ティータに背を向けこの場を立ち去ろうとしたフロドの腹が真っ赤に染まった。
「く……くはっ!」
 フロドの腹から突き出る輝くナイフ。フロドの背中にくっ付くようにティータが立っている。その手にはしっかりとナイフが握り締められていた。
 血に染まる自分の腹を見てフロドは叫んだ。
「謀ったのかのティータ!」
 ナイフが抜かれ、フロドは床に膝をついた。
 哀しい瞳でティータはフロドを見下ろしていた。
「済まないフロド、私はドロウ侯爵殿には逆らえんのだ。侯爵殿のご子息を敵に回した君は多くの者から命を狙われている。ならば、せめて私の手で……」
「最も信頼していた友人に裏切られるとは……はははっ、何たることだ。やはり神はおらぬな」
 自分の腹を押さえたフロドは、その手にべっとりとついた血を眺めた。
「くっ、ははは……涙が出て来る。『せめて私の手で……』か……」
 フロドは腹を抱えながらゆっくりと立ち上がり、そして歩きはじめた。
「待てフロド!」
「私はもう誰にも止められぬ。私は私の道を行かせてもらう」
 フロドの手から魔導で作り出したエネルギーの塊が放たれ、ティータの身体を大きく後方に吹き飛ばした。
「すまないなティータ」
 消え行くフロドに手を伸ばすティータ。だが、その手は届かない。
「ま、待て……フロド……くっ」
 床に倒れたままティータはフロドを追うことができなかった。
 しばらくして自らの力で立ち上がったティータ。そんな彼女の前にある人物が姿を現した。
「フロドはどうなったのだ?」
 ティータの前に現れたのはメサイだった。
「申し訳ございません、しくじりました」
「そうか、フロドは逃げたのだな……」
 メサイは床に残る血の跡を見た。
「これはあ奴の血か?」
「左様でございます」
「なるほど、これだけの血……重症だな」
「左様でございます」
 ティータの手にはまだ血のついたナイフが握られていた。
「そのナイフには毒は盛ってあったのか?」
「いいえ」
 バシン! という音がしてティータは頬を押さえながらよろめいた。
「毒でも盛ってあれば褒美でもくれてやろうと思ったが、この役立たずが!」
「申し訳ございません」
 メサイと視線を合わせず、ティータは抑揚のない声で言った。その態度がメサイの怒りを逆なでする。
「何だその態度は? 私に反抗でもするつもりなのか?」
 次の瞬間、ティータは二度に渡って平手打ちを受けた。だが、ティータは何も言わず歯を食いしばり、なおもメサイと視線を合わそうとしなかった。
 メサイは再びティータを打とうと構えたが、その手は天高く上げられたところで止まった。
「何も言わず打たれるだけの者を打っても何の面白みもない。少しはやり返して来てはどうなのだ!」
「…………」
「クソッ……つまらぬ」
 メサイはそれ以上何も言わず聖堂を立ち去ってしまった。
 友裏切り独りとなったティータの目からは涙が溢れていた。
「やはり、私にはできなかった。フロドを一思いに殺すことができなかった。フロドの肉をこの短剣で突き刺す瞬間、その瞬間に私の心に迷いが生じた。だが、今は迷いなど存在しない……済まない友人よ」