傀儡師紫苑(1)夢見る都
光の筋が走った。先に攻撃を仕掛けたのは紫苑の妖糸であったが、敵には何ら変化が見受けられない。戦闘員はナイフを構えたまま立っている。
しかし、次の瞬間!
戦闘員がナイフで紫苑に切りかかろうとした刹那――その者の胴体が滑らかに地面に崩れ落ちた。紫苑の妖糸はたしかに敵を切っていた。だが、その切り口が滑らか過ぎたために切られた本人も気づかず、動いた時にはじめて切られたことを知ったのだ。
残った戦闘員たちは動けなかった。自分たちも動いたら、今の者ように胴が地面に滑り落ちるのではないかと考えたからだ。
戦闘員たちの身体が恐怖で震えた。その瞬間、音を立てて全員の胴体が地面に滑り落ちた。――やはり、全員切られていたのだ。
床に落ちたモノは少しの間苦しみもがいていたが、すぐに動きを止めた。
床の上を浸蝕した紅の絨毯の上を紫苑はぴちゃぴちゃと音を立てながら歩いた。
部屋の外に出ても、紫苑の歩く後には紅い模様が残る。紫苑は過去を引きずっているのだ。――血塗られた過去を。
この後、紫苑は出遭う敵たちを無感情に切り刻んでいった。紫苑の通った後には肉塊だけが残っていた。
紫苑の内に潜む者が言う。
――おまえは傀儡だ。傀儡に感情はいらない。
自分を言い聞かせるために紫苑は小さく呟いた。
「私は人間だ。だから?その?心を知りたい」
目の前にあったドアを紫苑は開けた。
部屋に入った紫苑を出迎えたのは、ビームライフルの照準だった。
並び立つ戦闘員を掻き分けて、後ろからナディラ副所長が姿を現した。
「ついにここまで来てしまったのね。でも、どうしてこの研究所の場所がわかったのかしらね?」
「私の知り合いの情報網に引っかかった」
「それは、どこのどなたかしら?」
「それは言えないな。言ったとしても、貴様たちはここで死ぬ運命にあるがな」
「物騒なこと言うのね。でも、あたしたちの研究を邪魔されるのは困るわ」
妖艶な笑みをナディラが浮かべた次の瞬間、ビームライフルが発射された。
身に纏うぼろ布に穴を空けられながらも、紫苑は辛うじてビームを避けた。しかし、ビームは連続で発射される。
妖糸が煌き、ビームが伸びる。
戦闘員たちの腕が飛び、頭部が飛び、胴が地面に落ちた。が、発射されていたビームが紫苑の左肩を掠め、布と肉の焦げた臭いが鼻を突いた。
「くっ……」
紫苑の口から苦痛が漏れた。
最後にただひとり残ったナディラは不適に笑った。
「あら、マシーンとの戦いでは痛みを感じてないように見えたけど、やはり痛覚はちゃんとあったのかしら?」
マシーンに取り付けられていたカメラで、ナディラは紫苑の戦闘の様子を一部始終見ていた。その時の紫苑は機関砲で蜂の巣にされようが、平気だったように見えた。
「最初に会った時と少し雰囲気が違うみたいね」
「同じだ」
紫苑の手が素早く動く。だが、ナディラの方がワンテンポ速かった。
消えた――ナディラの姿が紫苑の視界から消えた。
次の瞬間、紫苑の両腕は背中に回され、ナディラによって拘束されていた。
「可笑しいわね……左腕はもぎ取られたはずだけど、治したのかしら? もう一度もいで見ればわかるかしらね」
紫苑の左腕が強引に曲げられ、骨の折れる音が生々しく響いた。
「くっはっ……」
折れた左腕を胴の力で無理やり引っ張り、紫苑はナディラの拘束から逃れ、すぐさま残った腕で妖糸を振るった。
紫苑の狙いは完璧であった。だが、妖糸はことごとく交わされてしまった。
「そんな遅い攻撃じゃ、あたしは仕留められないわよ!」
ナディラの移動速度は、この地上最速の動物と言われるチータに匹敵する、時速約一〇〇キロメートルに達していた。
そう、この移動速度こそがこの研究所の研究の一成果であった。
獣のように飛び掛かって来るナディラを向かい撃つ紫苑
「だが、目で追えないほどの速さではないな」
ナディラの頭上から股までを一筋の光が走った。
空中でナディラの身体は対称に真っ二つに分かれ、床にずっしりとした音を立てながら落ちた。
この場にいる全ての敵を葬った紫苑は、近くにあったキーボードのボタンを押し、コンピューターの中にあるデータを検索しはじめた。
ディスプレイには生命科学に関するデータが表示されていく。
片手でキーボードを叩いていた紫苑の指が止まった。画面には『アクセス拒否』と表示され、パスワードを要求している。
パスワードを要求された紫苑は、コンピューターの中に妖糸を忍び込ませようとしたその時だった。
「くっ……まだ生きていたのか!?」
紫苑の左腕には切断されたはずのナディラが喰らい付いていた。
相手の肉を引きちぎり、ナディラは租借しながら後ろに下がった。
「若い男の味がするわね」
肉を呑み込み、舌なめずりをしたナディラは妖々と笑みを浮かべたその顔には紅い線が縦に走っている。その紅い線は血だった。
左腕から血を地面に流す紫苑は感嘆の声を漏らした。
「大した再生能力だ」
「お褒めの言葉ありがとう。あなたのお肉も美味しかったわよ」
「……だが、次はない」
冷たい声はナディラの心を凍らせた。
刹那、ナディラは声をあげる猶予も当てられず細切れにされていた。
妖糸が空間を裂く。
空間に生まれた裂け目はこの場の空気を吸い込み、細切れにされた肉を全て、血一滴も残さずに呑み込み、そして、閉じられた。
何事もなかったように再びディスプレイに向かい、キーボードに妖糸を忍び込ませようとする紫苑。だが、その左腕からは大量の血が地面の零れ、血溜りを作っている。
ディスプレイに表示されたものを見て紫苑の手が止まった。
「なるほど……これはおもしろい」
再び紫苑の妖糸が動き、最後に紫苑は自らの指でボタンを押した。
画面で数字がカウントされはじめた。
急いで紫苑は部屋の外に出た。すると廊下ではアナウンス放送による退避命令が出ていた。
紫苑が最後に押したボタン。それはこの研究所を破壊するスイッチであった。
この研究所を造った組織が、もしもの時のために重要な証拠を隠滅するために設置した爆破スイッチを紫苑は押したのだ。
廊下では戦闘員や研究所職員が急いで退避していた。紫苑はそれに見つからないように先を急ぐ。
爆破までの残り時間がアナウンスされる。――残り約二〇分。
廊下を走っていた紫苑の足が急に止まった。横には扉がある。
「なぜ……助ける?」
自問しながらも紫苑は扉を開けて中に入った。
ここはあの時の部屋だった。部屋の中央にはガラス管がある。
「爆発に巻き込まれて死ぬことが、おまえにとっては幸せだろう……」
それ以上何も言わず、紫苑は次の部屋に移動した。
人々が囚われていた部屋。
紫苑の姿を確認したあの女性がすぐさま鉄格子を掴んで泣き叫んだ。
「助けに来てくれたの!? 早く、早く出して!」
「鉄格子から少し離れていろ、破壊する」
女性が鉄格子から離れたのを確認した紫苑は妖糸を振るった。
鉄の棒が床に一気に落ちて、鉄格子は破壊された。
喜んだ女性は外に出ようとしたが、その前にここにいる他の人々に声をかけた。
「早く、みんな逃げましょう!」
作品名:傀儡師紫苑(1)夢見る都 作家名:秋月あきら(秋月瑛)