NIGHT PHANTASM
02.Jesus Is Calling(2/4)
濡れたままで帰るわけにもいかず、二人は風が体を乾かし終わるまでずっと池のそばにある木の下に腰かけていた。
高く伸びた木々が森となり、それが邪魔をしてふもとの街は見下ろせない。
隣にいる片割れの顔ならうかがえるが、二人の視線は決して交わることがなかった。一人はうつむき、一人は空を見上げている。
自分達は、どこから来たのか。
自分達は、どこへいくのか。
「中途半端な記憶の断片なんて、割れたガラスと一緒だ。ないほうが、いい」
「幻肢痛みたい」
「げんしつう?」
「なくした腕や足が、まるで今も存在してるかのように痛むの。必要のない……痛みだわ。だって、失ってしまったものは痛みでわがままに訴えても戻らないもの」
見ると、アンナは喋りながら両手の包帯を巻きなおしていた。
その下に傷があるわけではない。それでも、『アンナという人格』は手袋を着用することや、手の肌部分を露出することを嫌がった。
「生前の記憶を思い出したって、生き返ることはできないじゃない」
言いながら、大体は乾いたらしい上半身にインナーを着用する。その際に乱れた髪をルイーゼはそっとなでて整えてやった。
インナーの袖と巻いた包帯との間にのぞく腕は、基礎の体力作りをとうに終えただけあり実戦に耐えうるたくましさを感じさせる。
さほど大きくない体格が幸いして、服を着込めば外見は一般人とそう変わらないものになる――見てくれさえ隠せれば、あとは殺気を消すだけでいい。
服を着はじめたということは、ほどなくして館に戻るつもりなのだろう。
そう判断し、ルイーゼは自らのドレスシャツを手にとった。服は直せないほどに痛むごとに、ジルベールが買い揃えてくれていたのだが、今の服だけは
街に出た折に二人が自分達だけで選んだものだ。少女趣味だ、そんなひらひらした服で戦えるのかとジルベールの呆れた声と渋い表情が記憶に新しい。
マスターであるティエは、特に何も言わなかった。
ただ、新しい服に身を包んだ双子を見て、砂糖のように甘く優しく微笑んだ。ただ、それだけだったがそれで双方は満足を得られる。
二人は、ティエが時折見せる母親のような優しさが好きだった。夜になれば無慈悲な吸血鬼として君臨し、訓練の際には厳しい師範となる。
そんな中で、まれに見せる柔らかな表情。棘のない声。頭をなでてくれる手は、ふもとの街に生きる人間よりもずっと暖かみを帯びていた。
好きだった。
心底、ティエを慕っていることに間違いなど一つもない。彼女は、双子のような亡者が帰る家なのだ。亡霊を受け入れてくれる墓なのだ。
館に戻ると、二人を待っていたのか、階段に寄りかかるようにして見慣れた人間が立っていた。
ジルベールである。
ティエと彼女が、どんな関係であるのかは二人にとって多少気にかかるところであったが、知ったところでどうにもならない。
嫉妬に狂って殺しても、マスターは喜ばない。だが、仲良くすればマスターは安心する。それならば、選択は一つしか残されない。
「……」
扉の閉まる音が響いて、数十秒の時が経っている。ジルベールは二人をじっと見つめたまま、みじんも動かなかった。
腕を組み、二人が口を開くのをただ待っているように思える。言いたいことがあるのならさっさと言ってしまえばいいのに、ルイーゼの後ろでアンナが聞こえない程度のため息をついた。
「何か?」
読めない表情でルイーゼが先んじる。得意のアルカイックスマイルは、おそらく相手には看破できないだろう。
表情の訓練はルイーゼとアンナが二人だけで行った、秘密の訓練だからだ。これが嬉しい時の顔で、これが悲しい時の顔だと何度も頭に覚えさせた。
「……屋敷には、ねずみ一匹入らなかった。見事だよ、お前たちは」
低い声で吐いて、その間も視線は二人を交互に見つめている。時間がかかりすぎたと怒るわけでもないようだが、機嫌は決して良くないらしい。
「それはそれは、頑張った甲斐があるというものです。マスターはどこに?」
「いつも通りだよ」
「……ジルベール。あなた、何か言いたそうね。顔に出すくらいなら、言ってしまった方が楽になれるんじゃなくて?」
「……やめろ、アンナ」
制止するが、無駄なことはわかっていた。どうにも、アンナは正直すぎるふしがある。感情がすぐに顔に出る上、言いたいことはずけずけと言ってのける。
忠誠を誓うマスターには敵意を抱かないようだが、それ以外の場所では敵を作りやすい傾向にあるようだ。
意を決したらしいジルベールが、組む腕を解き、一歩また一歩と二人に近寄った。
くたびれた赤い絨毯が、足音を吸い込んでいく。
「姉さん、行って」
「え?」
見ると、アンナはジルベールをまっすぐに見つめたままだった。きっと、彼女が考えるなりのシナリオがもう動き出しているのだろう。
半身であるルイーゼは、それに従う他なかった。勘違いの可能性を消すために、問う。
「アンナ?」
「マスターのところへ行って。そして、終わったと伝えて」
呟きとともに一瞥したアンナの目は、力強くも少しの寂しさを抱いていた。マスターの満足を感じ取れないのが少し残念だけれど、と言いたそうに。
無愛想で遠慮がなく、一匹狼のように強く見える彼女だが、それだけでは結論にならない。彼女は、その強さの裏に幼い少女のような純粋さと、愛への渇望を持っている。
だが、考えを曲げるほど柔軟ではない。皮肉にも、体と心は反比例していた。
「わかった」
頷くと、ルイーゼはジルベールの真横をすり抜けて階段を上っていく。振り向く必要はないが、背中にちりちりとジルベールの視線を感じたような気がした。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴