NIGHT PHANTASM
14.終わりの風景(3/5)
「姉さん……」
「うん?」
気が付くと、イルマの姿はそこにはなかった。他に人影もなく、教会には二人だけが残される。村人は起き出しているのだろうが、自由な時間を手に入れるまでにはもう少しの時間がかかる。
実感が、あるのかないのか。少なくとも、イルマは自分達のことを直接は覚えていなかったが――受け入れてくれた。
ここにいていいと、言ってくれた。
「歌って、姉さん。お願い」
「覚えてないよ……」
「じゃあ、言葉にして、私に聞かせて。思い出したいの……私達がどれだけの咎を重ねてきたか、そしてどんな思いをもってこの地に戻ったか」
「……」
ルイーゼが見ると、アンナは静かに、祈るようにして両目を閉じていた。組まれた手に刻まれた傷痕が、柔らかな光に照らされ包まれる。
赦されたかった。
これまでのこと。
そして、これからのこと。
「……帰れや、我が家に、帰れやと……」
つむぐルイーゼの声は、わずかに震えていた。冷静な彼女に珍しく、体までもが微弱に震えをみせている。そこにあるのは、慟哭だった。
教会の椅子に、現身をもった亡霊が二人。気付く者は、まだいない。
「主は今、呼び給う……」
その言葉の一つ一つを、アンナは静かに聴いていた。祈る手が迫る現実を拒み、今だけはと力を強める。
深い夜の森を抜けるように。薔薇の園を走って、棘で体を傷つけるように。暗い闇の中で、愛を探す。落ちていく螺旋の中で、手を伸ばす。
「我に来よ」と 主は今 優しく呼び給う
などて愛の光を 避けて彷徨う
「帰れや 我が家に 帰れや」と 主は今呼び給う
疲れ果てし旅人 重荷を下ろして
来たり憩え 我が主の 愛の御許に
「帰れや 我が家に 帰れや」と 主は今呼び給う
迷う子らの帰るを 主は今待ち給う
罪も咎もあるまま 来たり平伏せ
「帰れや 我が家に 帰れや」と 主は今呼び給う
――静寂が満ちていた。
それを裂くように、ルイーゼがまぶたを上げ、瞳の焦点をはっきりとさせる。
「なあ、アンナ。私は……過去を殺しに来た亡霊だ。いや、そうだと思っていた。けれど、イルマを見て思った……もし、赦されるのなら……」
――戻りたい。もう一度、生まれたい。
そう言おうとした唇は止まり、意識は他の場所へ向けられた。激しい音とともに、教会の扉が開く。
「……」
二人は黙ったまま、視線を入り口にやりながら――悲しきことに、それぞれの得物へと手をかけていた。
入ってきた人間は数人、朝の祈りをという雰囲気ではない。殺伐とした雰囲気を背負い、ある者は銃を。ある者は狩猟のための大きなナイフを。
ある者は、武器ではなく十字架を握りしめて。殺気はまっすぐに、椅子に腰かけたままの二人へ向けられた。
「ルイーゼ……アンナ……そうだろう?」
男の一人が、口にした。大柄の体に隠れて見えないが、男の背後で何かが抵抗するようにもがいている。だが、それを気にする余裕は二人にはない。
「お久しぶりですね、数十年……経ちましたか」
立ち上がったルイーゼは、倭刀の刃を抜いていた。しっかりと左手に柄を握り、いつでも対峙できる状態にある。
だが、彼女としては、このような神聖な場所で血を流し殺気を発することは避けたかった。しかし、殺されなければ殺される、そんな状態ならば仕方がない。
それを見て、アンナも迷いを断ち切りナイフを構えた。
「お前達の死体は確かに見つからなかった。だが、あの状況で小さな子どもが逃げられるはずがない……実際、誰の家にも助けを求める双子は現れなかった」
「……」
「じゃあなんだって言うんだ? 逃げて、そのまま村を出て生き延びたのか? 何故俺達に助けを求めなかった? それに、あれから三十年は経っている」
「そうですね」
「お前らのその姿は、なんだ……十年も経っていないような、そんな……悪魔に、魂を売ったとでも?」
悪魔に魂を、売った。
あの夜、二人は吸血鬼に拾われ、命を救われ、その後は血を受けながら過ごした。時間通りに老化が進まずとも、なんら不思議なことはない。
それが悪魔に魂を売る行為にあたるというのなら、そうなのだろう。二人は頷いた。
「死んだんですよ、あの日。ルイーゼとアンナっていう、双子は」
ルイーゼの口からはっきりと名前が出た途端、奥にいた若者が嘔吐した。覚えている、あれはかつて自分達を双子ということでからかっていたやんちゃ坊主だ。
いいざまだ、と思う。
「では、今のお前達は一体何だ? 悪魔か? グールか? 吸血鬼か?」
その言葉に、そして向けられた銃口に、ルイーゼは表情で答えを示してみせた。アルカイックスマイルという、皮肉という名の答えを。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴