NIGHT PHANTASM
14.終わりの風景(2/5)
もう街になっているかもしれない、とクラウスは言っていた。だが、見えた風景はそんなものとは程遠く――時代においていかれたような、そこだけが昔に戻ったような、中世の匂いを残す手付かずの美しい村だった。
ぽつぽつと点在する建物は円を描くようにして、その中央には広場らしき空間がある。大きな屋敷は、おそらく一帯の主のものだろう。
丘を越えた先のその遠景に、二人は胸の鼓動が激しくなるのを感じた。
「……教会がある」
荷物を下ろし、棒立ちになったままのルイーゼが呟く。民家と変わらぬ小さなものだったが、屋根に十字架をかかげるそれは遠い過去に見た教会だった。
二人でいたずらをして、逃げ込む先はいつもそこだった。
慌しくしていては追い出されてしまうので、教徒の皮をかぶり静かに椅子に座り祈った。あの人は、そんな自分達を見つけると決まって歌を読んでくれた。
歌うのではなく、読んできかせてくれていたのだ。歌うと心が入りすぎてしまうから、あなた達を置いていってしまう。そう言って、笑う。
いつも違う、小難しい言葉を並べるのだが――それでも必ず、最後は同じ賛美歌でしめてくれた。
「行きましょうか」
「ああ」
同じことを考えていたらしいアンナの手を繋ぎ、もう一方の手で荷物を持ちあげる。目指す約束の地は、目の前に広がり二人を待っていた。
まだ、朝が早いためか人の姿は少ない。村に降りて、不思議な感覚にとまどう二人。覚えているようで、覚えていない。覚えていないようで、覚えている。
自宅があった場所に向かうつもりでいたが、二人の足は自然と、先ほどの言葉通り教会へ向いていた。
扉に手をかけると、すんなりと開く。ためらったが、荷物を持ったまま二人は中へと立ち入った。
「……」
入って、扉を閉めたその瞬間。
二人の五感が、激しく活動をはじめ、尋常ではない情報の洪水が流れ込んできた。記憶という真実が、頭が割れてしまうのではないかというほどに溢れ押し寄せる。
奥に立っていたシスターが、二人に気付き、その苦しんでいる様子を見てひどく驚く。こちらへ、と導かれた椅子は硬いが決して不快なものではなかった。
うつむく二人に、シスターが問う。
「旅の方ですか? この辺りは、宿がありませんものね。驚いたでしょう」
「……いえ、少しめまいがしただけです……すみません、神聖な場所でこんな」
「構いませんよ、あら……?」
「え?」
「珍しい。双子ですのね、同じ顔……母に聞いた話に出てくるお二人のよう」
微笑むシスターの声にひかれて、ルイーゼは顔を上げる。そして、目を見開いた。そんな、まさか。いや、それだけの時間は経っている。
「イルマ……?」
先ほど押し寄せた波に混ざって漂着した、名前の数々。その中にあった一つを、ルイーゼはすくいあげた。
「え、ええ? 何故、私の名前をご存知なんですか? 確かに、私はイルマですけれど……」
ルイーゼが確認を求めるべく、横にいるアンナをちらりと見やった。彼女もまた、小さく頷きながら面持ちを複雑なものにしている。
――ステンドグラスが、光を集め輝く。
それがいつのことであったか、詳しくは二人にはまだ思い出せない。ただ、昔の中にそんなシーンがあったことだけは確かだった。
いつものように歌を読んでくれたあの人が、その日はささいなことでも微笑んで、心底幸せそうに何かを待っていて。
二人はそこまで記憶の糸をたぐったところで、また新たなことを思い出す。
おばさん、と呼んで吐いたがそれは二人が幼かったからで、実際は三十年も生きていないような若い娘だった。ただ、年齢にそぐわぬ包容力と母性があった、だからお姉さんと呼ばなかったのかもしれない。
二人目が、今私のお腹の中で生きているの。彼女はそう言った。
「なぁに?」
「ふふ、お腹の中にね、私の子どもがいるの。冬が過ぎた頃には、あなた達も会えるわ」
「男の子?」
「ううん、女の子。絶対ではないけれど」
「じゃあ、一緒に遊んであげる。ルイーゼかアンナか、あててもらうの」
「そうね、遊んであげて。けれど、あなた達を見分けるのは難しいかもしれないわね」
「ねえ、名前は?」
「そうだよ、名前は? もう決めてるの? 私達が決めていい?」
「名前? そう、名前はね……」
――イルマ、そう、この子はイルマ。愛され、望まれ、皆に迎えられて生まれてくる、大切な子。
「……私は、ルイーゼ。こっちは妹のアンナ。そっくりだろ? きっと、生まれる前からそうだったんだ」
「ふふ。ルイーゼさんに、アンナさん……素敵な名前。きっと、家族に、いえ、皆さんに望まれて生まれてきたんですのね。そして、愛を受ける」
「見覚えは?」
「え?」
「私達を見て、何か思わなかった?」
顔を上げたアンナの瞳には、期待と不安が入り混じっていた。
「いえ、すみません……先ほど申し上げたこと以外は、何も……」
「そう……いいのよ、謝らなくて。少しの間ここにいていいかしら? 二人で、久しぶりに……そう。久しぶりに、座っていたくなったから」
その言葉に、ええ、とイルマは慈悲を持って微笑んだ。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴