NIGHT PHANTASM
13.エトランゼ(1/3)
――数週間前、ルイーゼはあてもなくドイツを放浪していた。
屋敷という安全な棺桶にアンナを眠らせたまま、気の向くままに、実際は向いてもいないのだが、不思議と道は途切れない。
その細い道筋を、彼女は延々と辿りつづけていた。
無意識に探していたのかもしれない。
終わりの、風景を。
記憶はガラスの破片のように砕け、感情は散らばったパズルと化し錯綜している。
そんな旅を続ける中、驚くことが一つあった。客観的に見た世界は、思っていたよりもずっと穏やかだった。平和が過ぎて、頭がおかしくなってしまいそうなほどに。
昔は知らない。
だが、今は眠れば朝が来ると信じている人間の方が多いことだろう。眠りという死に触れてもなお、必ず自分は再び生まれることができるという歪んだ確信。
眠りによせる安らぎは、ルイーゼにとって考えられないことだった。
片手に持つ、包まれた倭刀。
片時も離さず、それは自らが眠る時も例外ではない。すぐに抜ける状態にして、それでも間に合わない時を想定しナイフをもそばに忍ばせる。
浅い眠りの中、警戒がぴんと張り詰める。夜が明けるまで、ずっとだ。起きている方が楽なのではと思わせるほど、長い夜――それを何度も越えてきた。
自分は生き残った。
だから、眠りから目が覚める。
死んでしまえばもう帰れない。明日という今日を時計は刻まない。
「……」
ふと思う。
何故自分は生きているのだろう。
二人分の棺桶が用意されていなかったからだろうか。最期を過ぎたエルザの姿が、今も鮮やかに思い出せる。
自分がああなればよかったのに。
そうすればアンナは壊れずにすんだのに。
「次は、どこへ行こう……」
――どこで、生きよう。居場所を探すべく、ルイーゼの足はひたすら前へと進み続けた。
数日が経過し、何の因果か彼女はデュッセルドルフの何の珍しさもない広場にいた。適当な場所に腰かけ、過ぎる人々をただ見つめる。
まばたきするたびに変わる風景。穏やかな日差しと青い空、肌に心地よい涼しい風。うるさすぎない色でかためられた街並みは、悪くない。
「アンナ……君の心は、ここにもないんだね」
一人呟く。
数ヶ月前、ともに訪れたという記憶がひどく昔のものに感じる。ルイーゼの視界の中で、自分と妹の亡霊が踊った。
歳相応の少女のように笑い、はしゃぎ、歩いて――人形劇を見ようと、二人は慌しく視界の外へ消えていく。
恋しい。
会いたい。
だが、理由もなしに屋敷に戻るのは少し抵抗があった。最後の言葉を告げた、マスターの氷のようなまなざしを思い出す。
鮮やかに彩られた景色の中に、妹の面影を探し、重ねてしまう。
「どれだけ、離れたら……私の手を放してくれるんだろう、なあ、アンナ……」
自嘲して、伏せていた顔を上げ――視界の外へと逃げていった面影を追った。そして、ルイーゼの目に一つの、景色という中にある鍵が姿を現す。
何のことはない、絵描きが広げて売っている絵葉書や、一枚絵。
目にとめる通行人こそいるが、立ち止まる者はなかなか現れず、作品に囲まれるようにして座っている男は、隠すようにため息をもらしていた。
何のことはない。
同情するつもりもない。
ただ、自然に立ち上がり、気付けば歩き出していた。今でも奇跡を信じていて、世界の終わりがもう見えるような、そんな心模様のまま。
人はこういった瞬間を、運命というのかもしれない。
偶然に彩られた産物。
「ああ……どうぞ、見ていって」
ルイーゼの気配を察し、男がくたびれた笑顔を浮かべて作品を示す。
何枚かを見て生じる違和感。その気持ちを、気まぐれにルイーゼは言葉にして問うてみた。
「皆、同じ方が描いてるんですか?」
「ああ、いや。違うよ、知り合いに絵を描いてるやつが多くて、たまにこうやって片隅でいいから置いてくれって頼まれるんだ。皆そんな感じ」
「……これ」
「そういうのが好き? それを描いたやつ、頑固でな。やたらと執着するんだ。一つの街とか、場所とか、双子とか……ほら、これも同じ作者」
「……」
言うがままに一枚の絵葉書をかかげられ、見た瞬間ルイーゼは凍りついた。
その予感が気のせいであれば、どんなによかったか。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴