NIGHT PHANTASM
12.嵐のあとで(5/5)
昼の光と柔らかい風を受けて、木々が揺れている。
窓を開けると、その音と、そして、吸い込むに心地よい空気がするりと部屋に入り込んできた。
――私が目覚めたのなら、姉さんは絶対に戻ってくる。
そう祈り、願い、確信をたてて数日が経過していた。
眠れば、朝が来る。
夜の眷属に仕える者として、日が落ちてから眠るということに違和感を感じてしまうのは、しかたのないことだった。
もう、警戒して夜明けを待つ日は来ない。
誰もこの屋敷の存在を知りはしない。
ただ、その事実を言葉という形で伝えられた時は体や脳がそれを受け入れることを拒み、随分と思い知るまでに時間を要した。
だが、今ならわかる。
「……これが、安息」
眠りに入る直前、ベッドの中でアンナは呟いた。そして、天井へと片手を伸ばす。空を求め月までも旅立った人間の真似をするように、そっと。
てのひらがかたく握られても、何もつかめはしない。
半身は、ここにはいない。
まだ夢の中にいるのか。
それとも、現の世界に体か意識を置いてきてしまったのか。
揺れる視界の中に、アンナはルイーゼの面影を見た。その顔立ちも、うつろう瞳も、長い髪の感触も、触れ合った肌の熱も、鼓動でさえも、覚えている。
自分を置いて、どこへいってしまったのか。
その彷徨う心に、追いついてあげられたらどんなにいいことか。手を離さないと誓ったのに、それは叶わなかった。
「……姉さん」
透明な涙が目じりにたまり、やがては頬を伝って白いシーツを濡らしていく。
ノイズのようにぐちゃぐちゃながらも、真っ白な思考。矛盾する螺旋階段。せめて、ルイーゼが記憶の中で自分を生かしてくれていることを、それだけを願った。
互いが互いを求め心に生かし続ける。
そう、こうやって眠れない夜はいつだって顔をのぞきこむようにして、そっと名を――――
「……アンナ」
――思わず、目を見開いた。
部屋に誰かが立ち入った気配など、感じなかった。おそらくは、長い期間安息というぬるま湯につかっていたせいだろう。アンナは驚く以外の行動を許されない。
ベッドに横たわっている自分を、上から乗りかかるようにして覗き込む人影。オリーブグレイの長い髪、深い瞳。
悲しげな表情。
「ねえ、さん……?」
アンナは、思った。これは夢なのだと。姉と再会する夢など、何も感じなくなるほどに幾度と見た。屋敷の住人には「帰ってくる」と断言したが、現実はそう易くアンナの祈りを天に届けてはくれず、もはや祈る相手は自分くらいのものだった。
だからこれも、夢なのだ。
触れたいと思って伸ばした手は、空振るに違いない。儚い幻は、抱きしめようとすると消えてしまう。
しかし、その人の形をした幻が片手を伸ばし、アンナの頬に触れた時――確かに、熱が伝わった。まっすぐに見つめてくる双眸が、穏やかなものになる。
「アンナ、すまない。……長い間、一人にしてしまったね」
「姉さん……信じてた。ずっと、今まで」
そう言って姉を抱きしめようと姿勢を起こしたアンナを、ルイーゼが制する。嫌悪の気はまったくなかったが、不思議な反応ではあった。
どうして、と言いたげに軽く唇を噛んでいる妹。姉は少しの間続いた沈黙のあとに、片手で何かを取り出し示してみせた。
灯りのない暗闇ではあるが、人間ともいえない二人の視力はそれが何かを理解することができる。
「……絵葉書?」
それは、何のへんてつもない、ふもとの街でも売っていそうな絵葉書だった。どうということもなく、ただ田舎の風景が描かれている。
見渡す限りの緑。木々を慕うように野原が広がり、見下ろす形になっているところを見るに丘の上や高い場所からその風景を見、描いたのであろう。
点在する墓標――あれは、墓地か。そこからしばらく離れた位置に、昔ながらの家がぽつぽつと点在している。街とはいえぬ、変化を忘れた地域。
「覚えているかい?」
「何を?」
「手を繋いで何度も話したね。そして、描いてもらった。私達を生かしてくれたあの子の血が、見えないか」
「……」
ルイーゼは、アンナの反応を待たず言った。
「ここが、私達の……終わりの風景だ」
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴