NIGHT PHANTASM
12.嵐のあとで(4/5)
多くの人間が殺された。
殺されなかった者は、時間の流れにすべてをゆだねて死んでいった。
二人は一つになるんだ、と自分が言う。
だから食べた。自分を食べて、食べられて、どろどろに溶けた。包む闇が邪魔をしたから、それをも飲み込んだ。
そして、誰もいなくなった。
「……」
寒い、と目覚めるなりアンナは思った。ベッドの硬さとかびくささがとてもなつかしく感じる。意識は、はっきりと内にあった。
生きている。
上半身を起こし、両手を見た。死人のような白い手に、傷は一つも走っていない。と、その時首筋が妙なくすぐったさを覚えた。
「……髪が、伸びてる」
鏡がなくとも、触れればわかる。短かった髪は肩をすぎるまでに伸び、なんともいえぬ気持ち悪さと違和感を感じさせた。
切らなければ。ベッドを出て、スペアのナイフを取り出す。こんなにも、自分が使っていたナイフは重かっただろうか――ああ、眠っていたから体力が落ちているのか。
また昔のように厳しいトレーニングをかせられるのかと思うと、アンナは自然とため息がもれた。
切る際には、さすがに鏡の前に座る必要がある。腰をおろし、見た姿は自分と思えぬ間の抜けたものだった。つい、笑いが漏れてしまう。
ルイーゼでもない、アンナでもない、変な髪の長さに弱弱しい顔。あなたは、いったい誰?
「誰でも、いい」
そう言って、アンナはためらいなく髪を持ち上げナイフの刃を向けた。ぶちぶちと音をたてて、ある時は音すらなく、髪が床に散っていく。
器用なもので、すぐにナイフを扱う感覚は戻ってきた。十分もかからず、髪は元通りの姿になる。
――正確に言えば少し違和感が残るが、伸びてくれば自然になる。心配はいらないだろう。と、ここで入り口の扉がノックもなく開けられた。
「アンナ!」
名を叫ばれたかと思うと、ナイフを強い力で取り上げられる。きょとんとしたまま見つめた先には、マスターであるティエがいた。
「マスター?」
肝を冷やしたような、そんならしくない顔をしている。声に反応して、ジルベールも駆けつけたようだった。
「何をしてるの、アンナ」
「伸びすぎていたので、髪を切っていました」
「意識は?」
「はっきりしています」
「私は誰かわかる? 後ろにいる人間も、わかる?」
「マスターです。後ろの馬鹿は、ジルベール」
馬鹿、と聞いてジルベールが表情を不機嫌なものにしたが、知ったことではない。唐突な問答を終えて、ティエはどこか安心したように脱力した。
「あなた、数ヶ月も意識がもうろうとしていたのよ。それが突然覚めたとあっては、驚くじゃないの」
「すみません」
「……?」
「何か?」
不思議そうな目で見られるのは、少しくすぐったい。その上意味もわからず、今の状況がさっぱり理解できない。
思考が、深く考えることを拒否しているような気がした。
「ルイーゼはどこか、聞かないの?」
「出かけているんですか?」
「え? え、ええ」
「では、じきに戻りますよ。だって、私が目覚めたんだもの。心配要りません」
それは、考えて出た言葉ではなく、無意識に出たもので、アンナ自身でも何故そう言いきれるのだろう、と妙だと思った。
けれどきっと、現実はその通りになる。見えない何かが、言葉を確信に変えるべく後押ししていた。
「目覚めた……」
ナイフをテーブルに置いた途端、アンナは強い力で引っ張られた。慣れた匂い、冷たくとも厳しさのない胸の中。
「よかった、本当によかった」
繰り返しながら、ティエは娘を心底いとおしそうに抱きしめた。そんな彼女がどんな表情をしているのかは、アンナとジルベール両者ともにうかがえない。
「マスター、痛いです」
「もう、だめかと思った……よかった、これでルイーゼも帰ってくるのね。そうしたら、色んなところへ行きましょう。自由になったのだから、何でもできるわ」
「親ばか」
そう茶化すジルベールも、こころなしか泣き笑いのような表情を浮かべている。
ティエがアンナを自らの腕のうちから解放したのは、この瞬間よりずっとずっと後になってのことだった。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴