NIGHT PHANTASM
12.嵐のあとで(3/5)
いつ訪れても、かびくさい部屋だった。
そう広くない空間の中、中央に椅子が置かれ、そこにアンナは力なく座っている。もたれる部分に腕を預け、倒れこまないぎりぎりの姿勢を保っていた。
「……」
そんなアンナのぼうっとした瞳、今にも下りそうなまぶたを見ながら、ティエは沈黙を守っていた。壁に背をつけ、腕を組み、ただ冷たくアンナを見つめている。
「そろそろだ」
そう言ったジルベールは、アンナと向かい合うようにしてもう一つの椅子に座っていた。それはまるで、医者と患者のカウンセリング風景のようだった。
薬物投与を行い、数十分が経過している。前例がないため、アンナがどのような反応を示すかは時がこなくてはわからない。
ただ、なにかしらの作用はもう表出ていた。
暴れることもなく、姉の面影を追うこともなく、アンナは起きたまま眠るようにしてぴくりとも動かない。呼吸とまばたきが、外見上彼女がとる唯一のアクションだった。
「……アンナ?」
ジルベールが、優しく名を呼ぶ。
「……なに?」
驚いたのは、ジルベールだけではなかった。壁際で厳しい顔をしていたティエも、こんなにたやすくと言いたそうに目をいつもより見開いている。
いつもの神経質なアンナとは違う、歳相応の少女の声。
「ティエ」
確認をとるべく、ジルベールが椅子に座ったまま、顔だけを呼んだ相手に対し向けた。ティエが、なに、とじれったそうに応える。
「さっきも言ったが、吐かせるために薬物投与された人間はまともに会話できないとみていい。ただ、パズルのピースをばらまくだけだ。あとはお前の整理にゆだねられる」
「……わかった」
そして、やりとりがはじまった。
「君の名前は?」
「アンナ」
「……君の名前はなんだい?」
「ルイーゼ」
「……」
どっちが本当の名前なんだ、と言いかけたそれは喉元で止まった。壁際にいたティエが近づき、問う者を制止したのだ。
質問を変えろと、静かに短く言う。
「ここがどこだか、わかるかな?」
「墓場」
「君はどこで生まれた?」
「……おばさんは、私と姉さんのことをからかったりしなかった。見分けてくれるのも、お母さんとお父さん、それとおばさんだけだった。ううん、あの子もそうだった」
「君の親はどうした?」
「お父さんがナイフをどこに隠してるか、知ってたの。だから、それで髪を切ったの。重かった。すごく重かった」
「お姉さんのことは、好きかな?」
「姉さんを、奪わないで」
「……」
椅子に腰かけたまま、ジルベールは、壁際に戻ったティエに目配せをした。こくり、と頷くことが今この状況では明確な返事にほかならなかった。
問うことも必要なく、アンナは呟き始める。
「姉さん、私が怖いものはね……お父さん? ううん、違うわ……お母さんでもない……」
かたかたと、椅子が哭いている。アンナは弱くではあるが震えていた。両目から、涙が大きな粒でつたっては落ちて流れていく。
明らかに、豹変していた。意味をなさないかと思われた尋問が、今まさに振り向きこちらに表情を見せた。暗く深い闇に落ちた、怪物の姿が輪郭だけではあるが見える。
「私が一番怖いもの……それは、姉さんを忘れてしまうこと。世界には私と姉さん二人だけなの。お願い、姉さんを忘れさせないで……」
「アンナ」
「姉さんを覚えていれば、私は生きていける……追ってくるの、闇が、地獄が、どんなに走っても私を追い越していくの。終わらないんだって、わかった。エルザは、それに飲まれてしまった。でも、そんな中で私に生きる猶予を与えてくれた。明日をもらった。あなたは亡霊じゃない。亡霊が、あなたを追っているんだって……捕まったら、もう戻れないんだって……」
「アンナ!」
前に傾き、倒れるアンナをジルベールが受け止めた。重い体は、彼女の意識がないことを示している。そのままで、ジルベールとティエは瞳でやりとりをはじめた。
人外すらなかぬ夜。
風が、外の木々を揺らし葉が擦れる音が聞こえてくる。夜の気配が窓から滑り込んでくる。
瞳と瞳では、限界がある。アンナを部屋へ戻すべく抱きかかえたあと、ティエは低い声で言った。
「亡霊が、アンナを追っている……どういうこと、かしらね」
「さあ、な。ウロボロスのなんとやら、じゃないか」
「自らを食い尽くしたあとは、世界も、そして闇さえも飲み込んで……そして、誰もいなくなる」
「……」
「その時は、誰があなたの名前を覚えていてくれるのかしら。呼んでくれるのかしら、ねえ……アンナ」
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴