NIGHT PHANTASM
01.屋敷の住人(5/6)
「……お前は、誰だ」
「……」
「ヨハンは、どこにいる」
「すぐ、会えるわ」
「クソッ!!」
通信機をポケットへと乱暴に突っ込み、男は表情を歪め舌打ちした。
亡霊だ。
ナハティガルの人間に聞いた話は、本当だった。『祈りの家』に棲む吸血鬼は、番犬を飼っているという。
数日前、男とヨハンはそれを酒の席で冗談半分に聞いていた。同族ではなく、人間の男と女をつがいで飼い慣らしているのだと。どれだけの実力かは、知れない。
だが、通信機ごしに聞いた声のプレッシャーは、男が思っていたよりずっと深く重いものだった。
どす黒い深淵。
あの声は、人を殺した声だ。罪を犯した人間の声だ。仕事仲間であり、親友であったヨハンは亡霊に殺されたのだ。
やけになり元の位置へ戻した通信機から、追う言葉は聞こえてこない。
「……ヨハン、ちくしょう……」
――お前の奥さんは街一美人だって評判で、お前もそれをいつも嬉しそうに自慢してたじゃないか。三人目のがきが生まれたばかりで、何度も親ばかっぷりを見せてくれたじゃないか。
それが、あっけなく死んじまうなんてよ。お前の家族に、どういう顔をすればいいんだよ。どういう言葉をかけてやればいいんだよ。
「……」
混乱する頭で考えながら、男は思った。親友を失ったというショックでつい考えが先のことを描いていたが、自分はそれほど余裕のある状況に置かれているのか。
すぐ会えると亡霊は言った。つまり、次に狙われるのは――。
「……駄目だ、下手に動いたら見つかる」
指示通りに動いていたとすれば、ヨハンと自分との位置はさほど遠くない。動けば草が踏まれた衝撃に騒ぎ出し、自分の位置を相手に教えることとなる。
どこだ?
亡霊は、どこにいる?
あの草むらか、それともあの木の陰か、段差を利用して身を隠しているのかもしれない。銃声は聞こえなかったが、所持している可能性は十分にある。
こんな目を開けても閉じても変わらないような濃い闇の中で、伏せている人間を撃てるのだろうか?
確認するわけではなかったのだが、男の手は自然とホルスターにおさまった拳銃をなでていた。抜き、構えたまま周囲を見渡し警戒の限りを尽くす。
眠らない街をあとにして数時間は経っている。暗闇に目は慣れきっているはずなのに、銃の照準は意地悪なルーレットのように一向に合わない。
一番近い木の太い幹にさえ、当てられる気がしない。耳をとぎすませながら、あそこか――それともそこかと、男は冷静さを欠いていく。
失敗は許されない。
気配を感じ、撃ったとしてそれが当たらなければこちらは死んだも同然だ。一撃でしとめきれなければ、相打ちだ。
勘違いで何もない場所を撃てば、亡霊は自分の居場所をぴたりと当ててみせるだろう。マズルフラッシュに目をやられている隙に、勝負を決される。
「……っ」
死の匂いを全身で感じ、男は震えた。今まで、人外の化け物を何度も相手にしてきた。これしきの事態、動じることではない。
だというのに、恐怖はじっとりと汗に変わり肌にまとわりつく。全ての角度から、向けられている殺気。錯覚だと頭を振るが、かき消えはしない。
死ぬのだろうか。
死にたくない。
まだ生きていたい。
一度きりの人生、こんな中途半端なところで終わらせるわけにはいかない。
生きたい。死にたくない。生きたい。明日も、明後日も、その後もずっと朝を迎えて、終わらない夜などなく、晴れない闇などないのだと誰かに伝えたい。
がさり、と草を分ける音がした。
「うわあああああッ!!」
もはや、その行動は理性の範囲では説明しきれぬ、いってしまえば本能そのものが起こしたものだった。
悲鳴が牽制になることを祈りながら、引き金に当てた指に力が入る。一瞬にまたたくその間に、男は人の姿を見た。
長髪の、女。
その最期の景色を焼き付けたまま、男の頭は首を境に胴体と切り離された。勢いにより頭は若干の距離を飛び、胴体は重い音をたててその場に崩れる。
遅れて、生首が草むらに落下した。その表情は恐怖に支配され、目を見開いたまま凍りついている。
濃い鉄の匂いが辺りにただよいはじめ、そんな光景を棒立ちで見つめるルイーゼの左手には、しっかりと倭刀が握られていた。
浴びた血を吸っているかのように不気味に輝く刃が、ただ沈黙とともにそこにある。
「……」
いつだって決まっている。
動じた方が、負けだ。死に誘われた方が必ず負ける。投げ出される形になった黒い小型の通信機を踏むと、それは壊れたおもちゃと化した。
無言で拳銃を拾いあげ、弾を確認する。このリボルバーで、吸血鬼に痛手を負わせてきたのだろうか。判断を誤れば、この弾が自分を撃ち抜いていたのだろうか。
積み木のように積み上げていくカルマが、胸の奥で喜びと痛みを同時に分泌している。
「私は、ルイーゼ……そう、ルイーゼだ……。ルイーゼが、この人間を殺したんだ。私じゃない」
ぶつぶつと呟きながら、ルイーゼは拳銃を持っていくべきか迷った。銃は彼女もアンナも基本的に使用しないが、持っていればそれだけ選択肢が増える。
だが、利き手に刀、空き手に鞘を持っている状態で、しまう場所などどこにもない。
アンナであれば、あるのだが――だが、わざわざ合流することもないと判断し、死体のそばに投げ捨てた。
弾は抜いてばらまいてある。この夜に、使う人間がいればそれもいいだろう。人間の視力をもって、その上で暗い夜の中銃を撃とうなどという酔狂な存在がいるとは思えない。
「アンナ、花が咲いているよ。ほら、アンナ。こんなにきれいだ。だから、明日も生きてみよう……私達は、一人じゃない」
幽鬼のように歩くと同時に、狂った言葉の綾模様を一人楽しむルイーゼ。
足音を殺すわけでもなく、自分はここにいると示しながら、草を踏み分け進んでいく。一人とてこの夜から逃がしはしないと、目をぎらつかせて。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴