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NIGHT PHANTASM

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01.屋敷の住人(4/6)



館周辺の空気は、緊張と真冬の夜気に凍りついていた。
毎年決まって降る雪も、今年はぜんまい仕掛けが狂ってしまったかのようにぽつぽつと飾り程度に落ちては解けていくばかり。
白い衣に身を包むはずの山。
異端者を歓迎するかのように、あるべき時の流れを失った空間。世界から、見捨てられた場所。

「――――」
停滞した領域の中で、男は断末魔をあげることすら許されなかった。大型の、いかにも殺傷向きといった攻撃的な形状をしたナイフが首に埋まっていく。
ゆっくりと、深く、深く。全てがスローモーションに感じられ、ほどなくして切れた太い血管から噴出す大量の鮮血。
するりと滑らせるようにして、まとわりつく血と脂の蜘蛛の網をすり抜け、ナイフは月光を反射する。どさりと倒れた骸を見下ろし、アンナは口角を上げた。
「まずは、一人……」
ナイフを器用に片手でもて遊びながら、思う。この肉の塊も、かつてはハンターであり、それ以前に人間だった。
生んでくれた親がいるだろう。自分の家を持ち、家族は今か今かと帰りを待ち望んでいることだろう――いや、深夜であれば寝ていると考えるのが妥当か。
それならば、何も知らずに幸せな夢を見ているのだろう。朝になれば、夫は、あるいは父は疲労を見せつつも満足げに帰ってきてくれるのだと、疑いもせず。
それを、アンナはいともたやすく断ち切った。
男が生まれ、成長し、生き続けた数十年の歳月を、今ここで命とともに奪った。もう、目を開けることもない。喋ることもなく、未来もない。
「……」
考えながら、アンナは思い出したようにナイフに付着した汚れを布で拭きとった。
わずかに、胸の深層が痛む。
これでいい。
これでいいのだ。
こうして、人を殺める行為に痛みを感じるたび、アンナは自分が生きていることを実感できる。殺さなければ、殺されていた。
つまり、今の状況とはまったく逆のものになっていたのだ。それでも胸が苦しみを訴えることに、アンナは何よりも感謝していた。
「……恨むなら、自分か神様にする事ね」
吐き捨てるように言って、次の標的を目指し生い茂る草の上を歩きはじめる。人の手が入っていないこの山は、当然ながら草も生えれば生えたまま。
伸びれば、伸びたまま。足音が目立ちやすく、慣れない人間の足は歩きを阻害する草の群れにてこずり、すぐに疲れを覚えることだろう。
だが、そう遠くない位置にいるであろうパートナー、ルイーゼの気配や足音は何も聞こえてこない。
耳鳴りがするほどに静かな夜だ、いくら慣れている二人でも歩けば多少の音は響く。気配は消せても、音をゼロにすることはできない。せいぜい、減らすだけだ。
おそらく動いていないのだろう。
距離を測っているのか、待ち伏せての一発で全てを決めるつもりなのか、それともアンナに伝えたものと別の行動を選択したのか。
柔軟な対応を迫られるほど、予想は外れていなかったはずだが――。
「……ろ、……ハン」
雑音交じりに、聞き慣れない男の声。先ほどアンナが殺めた男のものではないが、声自体は背の高い草むらに埋もれた亡骸のある方向から聞こえてくる。
「……」
罠ではないことを確認するために、周囲を見渡す。昨夜飲んだ薬の効果はまだ切れていないらしい、視覚は闇に慣れた人間以上の情報を脳に伝えてくる。
いつも、そうだった。
眠る前に、ルイーゼとアンナは必ず薬を数錠渡される。そして、それを飲んで眠る。すると、次の朝に世界がまるで違うものになるのだ。
食事は数週間に一度、それも少量でよくなる。そして、なんともいえぬ解放感と幸せな白昼夢を手にし、五感は人間を捨てたといってもいいくらいに鋭く変幻してみせる。
飲まなくとも死にはしない。だが、飲まない理由も特にない。デメリットや薬の詳細を二人は知らされていないが、数年飲んでも特に内蔵が傷む様子もない。
一人が飲めば、もう一人も素直に飲む。そんな夜が、いったい何百回、何千回続いたことだろう。
周囲には誰もいない。狙撃銃ならまだしも、拳銃の射程範囲内にも脳だけが無駄に進化した人間という動物が存在している様子はない。
動いても、よさそうだ。
来た道を戻り、アンナは亡骸を無表情で見下ろした。与える慈悲など、彼女は持ち合わせていないのだ。
先ほど聞こえた声が、更に鮮明になる。
「……おい、ヨハン……ヨハン?」
声を聞いたのち、アンナが確認したのは手首。厚手の手袋と肌との間に、何か仕込まれているか慎重に、かつ迅速に調べる。
何もないとわかると、上着の右ポケットに手を当てた。大きくはないが、硬い感触――これだ。
「(……通信機)」
さも、ヨハンと呼ばれた男がまだ生きており、返事をしようと動いているようにわざと布を擦り雑音を通信機の向こうへと伝える。
例えるならば、仲間の声に気付き、慌てて通信機を取り出すような仕草を模倣した。そんなところだろうか、模倣といっても必要なのは音と時間だけではあるが。
いたずらに左のポケットに触れると、大きくはないが分厚いものが収まっている。通信機と同時進行に取り出したそれは、本だった。
街で見たことがある。
聖書だ。だが、アンナの認識はそこで途切れている。旧約か新約か、そして内容の詳細などわかるはずもない。
無駄な行動だったと聖書を置き、右手に持った通信機を口に近づけた。
「誰」
毒の牙を突き立てるように、鋭く言う。
先ほど聞こえていた声は確かにドイツ語だった。訛りもさほどない、聞き取りやすいものだ。それなら、相手もアンナの声を理解できるだろう。
返事が訪れるまで、数秒の時を要した。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴