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NIGHT PHANTASM

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10.生命の螺旋(3/4)



しばらく話しているうちに、相手は自分のことを男だと勘違いしていることに気が付いた。
「ガールフレンドはいないの?」
「いませんね」
「あら。そんなにかっこいい顔してるのに……それだけじゃないわ。中性的で、どこかかげがあって。目が、とてもきれいね」
「それはどうも」
椅子に腰かけ、ルイーゼは――苦痛ではないのだが、どこで話を切ったものかと悩む。
老婆は、話し相手が欲しかったようだ。家族はあまり見舞いに訪れてくれないのだろうか。病院内に、うちとけた人間はいないのだろうか。
寂しかったらしく、心底嬉しそうな顔をしてルイーゼの瞳をまっすぐに見つめてくる。言葉は途切れず、質問攻めが不定期に訪れる。
本当のアンナならば、しびれをきらして出ていってしまうことだろう。特に帰りを急ぐこともないので、ルイーゼは流れに体をゆだねた。
「ねえ、そういえば……名前はなんていうの?」
「名前?」
「そう、名前。私は名乗るほどじゃないただのおばあちゃんだけど、あなたにはぴったりな名前があるはずよ」

――あなたは、誰?

「……」
そう、聞かれたような気がした。何も感じないほど投げた問いかけ。自分に、そして自分の半身へと投げつづけた返らない言葉。
人の名は、祈りである。
名前がない人間は狂う。名前を奪われた人間は怪物になる。アンナ、と言いかけた心の口をルイーゼは無理矢理にふさいだ。
「……ヨハン」
「ヨハン?」
「そう、ヨハン。周囲からはそう呼ばれています」
「ふふ、変な言い方するのね。名前は嘘をつかないわ、そう呼ばれるってことはあなたの名前はどうあってもそれなのよ」
「そうだと、いいんですけどね」
自嘲を含んだ笑みを浮かべて、思う。自分はルイーゼ。自分はアンナ。名前はどうか知らないが、自分は嘘つきだ。最も古き祈りを、まるでもて遊ぶように扱う。
偽名。
偽造だらけの証明。まがいものに彩られた世界。それを疑うこともなく生きられたなら、どんなに幸せで、同時に不幸であったか。
「ありふれた名前でもいいの。あなたと同じ名前の人間がどれだけいたって、あなたはあなた。言葉なんていらない。生きているだけで、それを証明できる」
老婆が、母性を感じさせる目を向けて微笑む。
「そう、ですか」
「そうよ。死んでお墓に入っても、刻まれた名前があなたを証明してくれる。あなたが誰のお腹から生まれたのか、教えてくれるの。ずっとずっと、そうやって続いていくの」
「……」
黙り込み、ルイーゼは会話に消化された大体の時間を計算した。老婆に見舞いの人間は訪れない。こんな息苦しい場所に閉じ込められているのだ。
顔を見せてやるだけで、ずいぶん違うだろうに。さまざまな事情がある。口を出せる立場ではないとはいえ、不思議な気持ち悪さが胸に残った。
「私を覚えていてくれる?」
「え?」
唐突な問いに、ルイーゼはつい間の抜けた返事をしてしまう。おそらく、表情も同じ。
ルイーゼの包帯に包まれた手を、老婆はそっと自らの手で包み込んだ。伝わってくる熱が、どこか悲しかった。
「ヨハン。病院で、変なお婆さんに会った……それでいいの。それでかまわない、どんな形でいいから、私という命があったことを覚えていて」
「それは……」
「言わないで。誰かの記憶の中で、生き続けていられるのなら……それ以上のことはない。さあ、行きなさい。もう……面会時間が終わる」
「待って下さい。せめて、あなたの名前を」
「いいの」
手から、熱が離れる。話をしている間、ずっとルイーゼを見つめていた瞳が、今はじめてそれた。顔を背けた老婆の表情はうかがえない。
「でも……」
「看護師が来るわ。早く行きなさいな。……顔を覚えられては、いけないのでしょう? わかるわ。あなた、血と帯びる殺気の匂いが染み付いてる。それに、人を殺した目をしてる。名前も偽名なのでしょう?」
「……」
全て、見透かされていた。その事実に驚きながら、同時に何故かすんなりと納得できる事実だった。隠してはいるが、見る人間が見ればわかる。
仕方ないと、椅子を元の位置に直し、扉の付近で立ち止まる。振り返っても、老婆は顔を見せてくれなかった。
ただ、独り言のような言葉だけが呟かれた。
「私の夫はね、殺し屋だったの。私の子どもはみんな、父の顔を知らない。名前も知らないから、私が、私だけが……あの人の本当の名前を覚えていなければいけないの。偽名が刻まれた墓で眠るあの人を記憶の中で生かし続けていられるのは、私だけだから」
何も、言い返せなかった。


外に出た時には、すでに日は傾き夜が訪れようとしていた。
面会時間もとうに過ぎ、エントランスを探したがアンナの姿はなかった。おそらく、先にマスターの元へ帰ったのだろう。
もともと、一緒に行動しようとは一言も言っていない。ルイーゼの脳裏に、一枚の絵と老婆の声が、表情が、はっきりと焼き付いていた。
外側に異常は見られなかった。
だが、おそらくあの老婆は明日にでもホスピスへと移されるだろう。予感は、根拠もないのに確信じみていた。
今まで、人間の命はまばたきをするほどの時間で奪ってきた。瞳を見ることもなく、名前を聞くこともなかった。その人間の背後に何があるか、考えたこともなかった。
家族。
友人。
人生。
人間を殺すことに、ためらいはない。それは今でも一緒だ。自分は、そうすることでしか明日を生きられないのだから。
生前の自分を、こうなった以前の自分を記憶の中で生かしてくれている人間はこの広い世界に存在しているのだろうか。だとすれば、自分は――。
当てはまる人間を、一人残らず殺すことになる。
二度目に迎えるロンドンの夜は、何も語らず静かなものだった。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴