NIGHT PHANTASM
04.追う者、追われる者(前編)(1/5)
冷たく、黒い銃口が向けられる。ああ、次に狙われているのは自分なのだ、と気付く。不思議と冷静でいられるこの状況は、なんなのだろう。
殺さなければ。
道を切り開かなければ、自分が死ぬだけだ。助けは来ない。わかっている、生まれた時から知っている。
走り続ける。
追ってくる限り、逃げ続ける。
「何故、殺し屋になんてならなきゃいけないの?」
――生きるためだと、もう一人の自分が答える。そこまでして生きる意味はあるの? と問うたものの、返事はなかった。
霧のように柔らかく白い世界が、どこまでも続く。出口を探し辺りを見渡しても、何もないし誰もいない。
――人を殺すことでしか、存在を許されない。
何故、と言う前に考えた。もしかすると、今のように……誰かに狙われる状況が、死ぬまで続くのではないか。そうなれば、場所を手に入れなければならない。
そう。
だから、殺す。
前に繰り出す足が重くなってきた。息が苦しい、振る腕が痛い。止まりたい気持ちで胸がいっぱいでも、後ろから迫ってくる殺気に押されて止まれない。
涙がこぼれた。
まばたきを忘れていたからだろうか、乾いてしまった目からとめどなく涙が溢れ出す。同時に襲いくる胸の痛み、刺すような罪悪感。
視界がぼやけていく。白い世界が、ぐちゃぐちゃになっていく。
――泣けるうちに、泣いておきたい。
涙が枯れたあとは、ただ空虚な日々が続く。暗がりの中ひざを抱えても、涙は出ず、嗚咽は漏れることも生まれることもない。
「怖いの」
――何が、ともう一人の自分が尋ねた。意識がぶれていく。夢の終わりが近いことを、脳が理解する。
だから、自分のために最後の言葉を必死に声にした。
「怖いの! 日々、自分が、自分でなくなっていく……だから、だから……」
「アンナ?」
誰か、自分の名前を呼んで――そう、夢の中で叫ぼうとした矢先に、意識が現実へと引っ張られた。
まばたきして見た光景は、何の不思議もないデュッセルドルフの街並みだった。横を歩く姉のルイーゼが、不思議そうに片割れを見つめている。
「……夢を、見てた」
「そうか」
詮索することもなく、歩き続ける。休日というわけでもないのだが、大きな街に過疎という言葉はない。何度も一般人とすれ違い、景色に日常の片鱗を見る。
時折、ドイツ語ではない言語で喋る人間や、東洋人の集団があった。前者は旅行か仕事での出張、後者は九割方旅行のツアーに参加している人間と見ていいだろう。
年齢がもう少し若ければ修学旅行などという選択肢も出てくるが、そういったものはヨーロッパではフランスに集中しているという。
アンナは、自分達が目立っていないか改めて確認することにした。
ロングコートの前は閉めてある。両手の包帯は外していないが、普段よりきっちりと巻いてあるので長袖から出た部分がちらりと見えても、怪我か何かだと思うだけだろう。
ナイフは元々コートのラインを崩さない角度に固定してあるので、見えることはない。
細かいことを気にするジルベールは、庶民の普段着を用意してくれていたが、それでは、はるばるデュッセルドルフまで足を伸ばした『目的』に支障が出かねないので断った。
ちらりと、アンナはルイーゼを見た。
黒い帽子に、同じく黒のジャンパースカート。白いドレスシャツは新品かというくらいに汚れ一つなく、胸元には灰を基調に黒のラインが入ったストライプのリボン。
足元は、タイツにストラップシューズ。右手に持っている細長い布の包みを除けば、問題は何もない。
隠密に動く必要があるために、今回だけはナイフか完全に隠せる武器にしたほうがとこれまたジルベールが口うるさく言っていたのだが、愛用の倭刀を持っていけないのならてこでも動かないという事態になったので、ふてくされるようにしてジルベールが折れた。
アンナにしてみれば、してやったりである。不機嫌に部屋に戻っていったジルベールの背中は、思い出すだけで吹きだしそうになる。
「ねえねえ、アンナ! 見て見て、噴水のところ、何かやってる!」
「え? あ、ちょっと、待っ……」
突然引かれた手は、思うよりずっと強い力で導かれた。足がもつれるのをうまく調整しながら、駆け出す笑顔のルイーゼにテンポを合わせる。
振り返りながらこれ以上ない笑みのまま、ルイーゼはアンナの手を引っ張り自分の方へと寄せた。
「気付かれてる」
それは、声としての発言ではなかった。唇を小さく動かすだけの、発する方も受け取る方も読唇術を必要とする業だ。
難しい長文はさすがに二人とも聞き取れないが、短く単純なメッセージなら二度三度繰り返さずとも理解できる。
目配せをすると、ルイーゼの目は凍りついた殺し屋のものになっていた。射抜かれるだけで、本当に傷ついてしまいそうな、鋭さが光る。
「カフェ、新聞、小太りの男」
全ては理解に時間がかかると察したらしく、簡潔なキーワードだけを告げるルイーゼ。
「……」
一見、新聞を広げてゆっくりと休憩を楽しんでいる男に見える。賑わっているカフェだ、そんな人間がいても何も不思議ではなかった。
向けられた、刹那の殺気にただならぬ予感を抱くまでは。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴