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NIGHT PHANTASM

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03.マーダー・ライセンス(3/3)



「……」
何十分、いや、何時間こうしていたのか。
寝付けぬ体をベッドの上でもてあましながら、アンナは閉じていたまぶたをゆっくりと上げた。
闇がある。
見慣れて、見慣れすぎて、なんとも感じなくなった闇がただ広がっている。
ベッドは最低限に手入れされているが、部屋は荒れたままだった。いつかは孤児院だったためか、壁に子どものらくがきが残っている。
『Scheisse!』子どもが悪意なく、その場限りの苛立ちをこめて書きなぐったのだろう。廃墟になった今でも、人の気配は静かに残留していた。
「……などて、愛の光を……避けて、彷徨う……」
思い出しながら、つたなく出た賛美の言葉。暗闇の中に見た聖書と、水を浴びながら歌った姉の声が脳裏に焼き付いて離れない。
神様なんて、信じていない。
いたのなら。
いたのなら、どうして私達を生きながらの亡霊にした? それもかせられた試練だというのか?
「姉さん」
どうして、生まれてきたんだろうね。
そう言いかかった声は、近づいてくる気配への警戒にかき消えた。手の届く位置にナイフはいつも置いてある。手をかけ、時を待った。
足音もなく、気配もなく、ただ存在だけがアンナへと近づき、ナイフを抜きかけた手をそっと制する。
「……アンナ」
まっすぐの長髪が、垂れるようにするりと流れた。ベッドに膝を乗せ、覆い被さる形で何かを憂いている姉が、そこにいた。
「眠れないの」
「私もだ。いつから、こうなってしまったんだろうね……」

自室で眠る時というものは、二人にとって安息を手に入れられる時間ではなかった。
動きやすい格好のまま、得物をかたわらに深い眠りを忘れて朝を待つ。話し相手は、静かすぎるゆえに聞こえる耳鳴りだけだ。
いつハンターがどんな形で乗り込んでくるかわからない。不意をつかれて殺されてしまえば、そこで全ては終わってしまう。
まだ、その時ではない。許してはいけない。明日も明後日も一年後も生きなければ。
誰かに声をかけられても、体を揺すられても起きない時――それは、ルイーゼとアンナが死んだ時に他ならない。

「姉さん……」
お互いの熱が伝わる。姉のやさしい愛撫を、妹は拒まなかった。ふと、自分達の主人であるティエとジルベールの関係を思い出す。
二人は親友と知らされていたが、それだけでは済まないことをアンナは知っていた。支配する吸血鬼と、支配されるしもべ、あるいは獲物でもあるのだ。あの二人は。
このように体を重ねたこともあるのだろうか、と思う。お互いを求め、愛の行方を探してまぐわった夜がいくつ存在しているのだろう。
少し、寂しいと思った。
主人は自分達の血を求めない。頼られないことは、支配されないことは、ただ乾ききっていて悲しかった。
「アンナのためなら、命でも投げうるのに……うつろう目が、辛いよ」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃない。違うの、もっと関係のないことを考えてた」
指の一本一本が絡み、二人の唇が重なる。相手の全てが、ただひたすらにいとおしかった。食べてしまえば、二人は一つになれるだろうか。
抱いて、抱かれて、そしてまた抱いて、いつしか二人は区別のつかないものになる。体を許せる相手は、生涯において自分の半身しかいない。
これは自慰行為だった。
爛れた関係を誰も指摘しない。罪と叫ぶ者がいなければ、罰も与えられない。だからこそ、自慰にふけり、同時に自傷していく。
これまでも。
これからも、ずっと。


「ジルベール、どうしたの? 死んできたって顔に書いてあるわよ」
「うるさい。お前も、聞いたくせに」
「銃声? 撃たれたの? あらあら、どうしたらいいのかしらね。銃創の処置なんて経験がないわ」
「もういい」
館を囲む壁に背をもたれ、腰かける二人の会話はどこかずれていた。ティエはわかっている上で意地悪を言っており、微笑みに小悪魔の影が見え隠れする。
月は満ちていないが、晴れているためか降り注ぐ光の量はさほど悪くない。街のほとんどが眠りについた時間を使った、わずかな楽しみ。
「番犬を飼うのは勝手だけど、狂犬にならないようにちゃんと世話してくれよ、頼むから。ったく、友人待遇なんて何もありゃしない」
「ねえ」
「うん?」
「日本って、遠いの?」
突拍子のない質問だった。本当に自分の話を聞いているのかと、ジルベールは頭を抱えたくなる。ティエがマイペースなのは知っているため、特にそれ以上はなんとも思わないが、やはり調子が狂うことは確かだ。
「遠い」
「歩いて行けば、そのうち着く?」
「泳がなきゃいけない」
「じゃあ駄目ね」
軽い様子で言うなり、ティエは視線を正面の夜空に戻し窮屈そうに背伸びをしてみせた。何故、日本などに興味を持ったのだろう。
ちらりと目線だけをやったつもりが、全身をじっと観察するように見てしまう。
黒い髪、黒い瞳。肌も白人ほど白くはないし、顔立ちは東洋人の中に混ざってしまえばわからない。奥二重の目は、過剰な濃さを演出しないのでなおさらだ。
ルイーゼとアンナの二人は外国人だと知れるだろうが、顔の作りはあまり深くない。東洋と西洋のいいところだけをいただいたような顔をしている。
「日本、行きたいの?」
「……檻の中にいれば、外から攻めにくくなるかなって。それだけ」
「そんなに、いいところでもないけどね……」
途切れた会話を遠くに見送りながら、二人は夜空をまっすぐに見上げる。ありのままの星の輝きが、またたいていた。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴