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てっしゅう
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「哀恋草」 第二章 逃避行

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平氏の総大将宗盛は、側近であった勝秀を呼び策を尋ねた。

「勝秀殿、義経はいかほどのものと見るか?」
「申し上げまする。なかなかの知恵者と拝見いたしました。兄範頼は凡者ゆえ恐るるに至りませぬが、義経は心してかかりませぬと、痛手を受けまする」
「してこれからの策は?」
「はい、我らはこの地と彦島を制し水軍を味方に制海権を取っておりまする。鎌倉勢に水軍はなく今しばらくはご安心できる様子かと心得まする」

確かに勝秀の言うとおりの状況であった。力を蓄えたとみるや後白河は宗盛宛に和睦の書状を送ってきた。それには安徳天皇と三種の神器を返せば安堵する、という内容だった。一笑に付した宗盛は使者に「鎌倉追討の宣旨を所望する」と書いた返書を持たせて、帰した。あまりの世間知らずに激怒した後白河は、義経を事あるごとに褒めそして褒美を与え、鎌倉の意見を求めずに平氏追討の院宣を与えた。

先に出陣した範頼の苦戦を知っていた義経は、鎌倉の許しを請わずに手勢を引き連れて京を出発した。安心しきっていた平氏を再び戦上手の義経が襲う。熊野水軍と伊予水軍を味方につけ、摂津(大阪)から阿波国(土佐)へ渡り、陸路で豪族を味方につけ、屋島の対岸へ布陣した。

義経再出陣の前年にお光と久は暮らしていた和束村から吉野に向けて旅を続けていた。都の様子はもう耳に入らなくなってしまった。初めての長旅にお光は相当くたびれている様子で、この寒空の下お堂に寝泊りする事がもう限界に来ていた。

「お光どの、大丈夫ですか?久も疲れてまいりましたが、この峠を越えると吉野山が見えてまいりまするぞ。もう少しの辛抱ですよ」
「はい、久どの、申し訳ござりませぬ。光が情けのうことで・・・」
「そんなことはござりませぬぞ。初めての旅ゆえ致しかたのうございまするゆえ。久も同じでございまする」

少し休んで二人は日の高いうちに峠越えをしようとひとふんばりした。薄っすらと暗くなってきた峠の山頂には雪が少し残り足を滑らさないように気配りをして歩いた。ふと山頂から麓を見下ろすと煙が昇っている場所を久は見つけた。人がいる、何をしているのか解らなかったが、とにかく近寄って様子を伺うことにした。お光は少し不安げな顔を見せたが、ここに鎌倉の軍勢が居るはずもなく暮らしをしている人だろうと久は予測できた。辺りがすっかり暗くなった酉の刻に久とお光は煙の上がっている付近に下りて来た。

煙は釜であった。炭焼き釜から立ち上っていたのだ。辺りに人気はない。釜の熱で傍に居ると温まる。久はお光に今宵はここで野宿をしようと言った。釜の持ち主が来るといけないので自分は起きているから、安心して眠るようにお光に言って聞かせた。疲れからか、横になるとすぐに寝息を立てて深い眠りに入ってしまった。久はいつもお光の寝顔を見て成長の悦びを噛みしめていた。勝秀の面影を徐々にではあるがその顔に表れてきているようにも伺えた。

「勝秀様はどうしておられるのであろうか・・・光どののことが心配であろう。久も寂しゅうございまする・・・両手で乳房をぎゅっと握り締め最後の夜を懐かしむように身悶えた。辺りがすっかりと闇に包まれた戌の刻に足音が聞こえてきた。釜の持ち主であろうか近づいてきた姿は以外にもおなごであった。

目と目が合ったその瞬間、相手はビックリとした様子で後ずさりをし、腰をかがめてじっと久を見つめて、様子を伺っていた。久は深く頭を下げ、挨拶を交わした。

「不審なものではございません。旅の途中に暖かさに引かれ休んでおりました。道に迷った様子で困り果てております。お助け戴けたら感謝に絶えません」相手は黙ったままで居た。

物言わぬ相手に久はもう一度尋ねた。
「ご安心下さい。旅の親子でございます。釜の熱で寒さをしのいでおりました。お許しくだされば朝までこの場所に置き留めていただけますようお願いいたしまする」もう一度深く頭を下げた。女子は姿勢を戻してゆっくり歩み寄ってきた。目と鼻の先まで近づいて様子を伺いながら、口を開いた。

「ここの主は留守にしております。私は娘の、みよといいます。どちらから来られたのですか?」丁寧な物言いは農民ではないと久は悟った。
「はい、和束村です」
「どちらに行かれるおつもりでしたか?」
「はい、吉野です。身内が居りまして・・・」
「そうでしたか、なにやらご事情がおありのご様子・・・ここでは不自由でしょうから、母屋へお越しくだされ。年老いた母が臥しておりますが病ではございませんのでご安心を。そちらの娘様も気の毒でしょう。お話を伺い年頃も近いと察し心落ち着かせましたゆえ・・・」

二人は案内されるがままにみよと言う女子の後をついて行った。二三度細い道を曲がって開けた場所に萱葺きの家が見えた。しっかりとした建物はここの主人が相当な人物であろうことが想像できた。

「母上、今戻りました。お客様をお連れ致しましたので上がっていただきますよ」手招きされ、わらじを解き久と光は囲炉裏のある傍に座った。奥の部屋から寝巻きとどてらをかけて年老いた母親が挨拶に顔を出した。

「こんな所へお通し申し上げて済まぬことです。お見受けした所母と娘様のご様子。今宵はご安心して一夜を過ごされませ。後は頼みましたよ、おみよ」そう言葉を交わして、障子を閉めどうやら横になったようであった。両手をついて頭を下げ、二人は感謝の気持ちを表わした。みよは、光に熱い甘酒を、そして久にはどぶろくを勧めてくれた。

「何という事でしょう!このような貴重なものが戴けるなんて!良かったですねお光・・・」どのと言いかけて、訂正した。「お光、頂きましょう」
光にはその辺の事情がすぐに飲み込めた。
「はい、お母様、ありがたく頂きます」久は光の態度に確かな成長を感じた。二人の様子を見ていたみよは、父のことを話し始めた。

「私の父は作蔵と言います。ここら辺では有名な炭焼き職人です。今は熊野大社へ奉納に出かけて半月ほど留守をしております。母は実は本当の母ではございません。亡くなった兄の実母で、ずっと一人暮らしだった主作蔵と再婚し、私は養女でございます。母は子供が出来ずに悩んでおりましたが、10年前に兄が病気で亡くなり父の強い希望で、私を養女にしました。ここの炭焼きは私が守る所存でおります」

久は、母親が年老いていた理由が飲み込めた。みよが同じような年頃と言った事で子供が居るのかとちょっと気になっていた。

「そうでしたか。お父様はご立派な職人なのですね。お留守とは知らずに、厚かましく上がりこみ本当に申し訳ございませぬ。私は久と申します。こちらは娘の光、本年9歳になります。私は27歳、夫は・・・亡くなりましてございます。事情があり住み慣れた家を出て、吉野の身内を尋ねることになりました。もう数日間歩き続けておりましたので、疲れ果てておりました。みよどののお情けが本当に嬉しく思います」

みよは、自分より久が五つも年長と知り驚いた。やはりどことなく都を感じさせる風貌が気になるのか、話を進めた。