ぼくたちに傘はない
俺は考えた。自分は冴を一体どうしたいのか。彼女に抱いているこの感情はなんなのか。――でも、考えてもわからない問題ならきっとわからないんだ。俺は息を吸って、それから吐いて、口を開く。自分でも、この唇からどんな救いの言葉が、どんな銃弾がでるかなんて知らずに。
「じゃあ、死ぬな」
不思議とひどく落ち着いた声が出た。俺の顔を覗き込む冴の瞳が丸くなっていく。まるで小さな小さな子供のような瞳の色だった。
「冴が死んだら悲しいよ。寂しいよ。俺は、俺が、悲しいんだよ。お前が死んだら、きっと、ぜったい、泣くし」
「――先輩……」
「自分が誰にも愛されていないと思うなよ。でも、自分が自分を愛せない癖に、無条件に愛されると思うなよ。冴は慣れ過ぎたんだ。死にたがることに。それが当たり前なんだ。でも、俺にとっては当たり前じゃない。だから、冴の気持ちなんかわかりゃしない。いつもどんな言葉で、どんな行動でお前を傷つけているか分かんない。でも、冴がなんも言わないんじゃ、わかんないんだよ、俺も、他のみんなも」
雨音はもうあまり耳に入ってこなかった。思考がぐるぐるせわしなく回ることもあまりなかった。俺は呼吸をするように彼女に語りかけ、彼女がこのまま雨に溶けていかないでほしいよと神様に願っていた。
「今までつらかったんだろ、苦しかったんだろ。それは誰の所為だ。お前が誰の所為にも出来なくてひとりで死にそうになってんのは、お前が誰にも頼らないからだろ」
潤んだ瞳でこちらを見る冴にはまだ壁がある。寂しく気高いダイヤモンドだ。とても厚い壁だ。でも向こう側の冴は顔をあげて俺を見ている。その瞳が交差しなくなる前に、全部伝えなきゃいけない気がして、胸がどきどきした。
「――だから、これからは俺に頼れ」
すう、と雨に溶けた音がした。冴はちょっと間をおいてから、深く一度だけ頷いた。その時にまたぽたりと涙が冴のスカートに落ちて、色を変えて染み込んだ。
それから冴は何も言わず、俺の革靴を脱いで俺の足元に置いた。「大きすぎて、歩きづらいです」と、呟くように言って、俺が履いていたスリッパを履いて帰っていった。駅まで送り届けてから、俺は傘も差さず、雨に包まれていく灰色の街を歩いて家に帰った。