夜のビデオカメラ
3
「凌さん後お願いしますね。十時に上がっていいから」
バイト先の小太り店長が言った。
僕は「はい」と短く返し、時計を見る。八時半を指していた。
後一時間半。一人なら頑張ろうという気になれるのだが、今日は......
「佳奈ちゃんもね」
彼女がいた。
「は〜い」
彼女は最近入って来た女子高生だ。
格別可愛い訳でではなく僕との仲は最悪。何かあったという事もないが、どうやら僕が気にくわないらしく話し掛けても睨まれて適当な返事をされる。
店長は彼女の適当な返事を聞いて店を出た。珍しく急用らしい。
焦りながら店を出ていく小太り店長。転がった方が早いと思いますよ。
店内には僕と佳奈ちゃ......佳奈さんだけが残され、僕はぼーっと、レジから客のいない店内を眺めていた。
「......」
別に沈黙は嫌じゃない。しかしながら、彼女がいることによってやり切れないものがあった。
どこからともなく小さな鏡を出して髪を直している。僕はそれを注意することなく見て見ぬ振りをしていた。
何分か経って来客。
「いらっしゃいませー」
マニュアル通りの挨拶。
入って来た中年くらいの男は、特に店内を見回る事もなく僕のレジに来た。
「四十九番」
そして一言、無表情に言う。
コンビニのレジで番号を言う時は煙草を買う時だ。僕は後ろの棚にずらっと並べられた煙草から四十九番を取る。
男に見せた。
「こちらでよろしいですか?」
僕の確認に目線をどこかに向けながら頷く男。何となく腹が立つがこんな事は日常茶飯事。慣れっこだ。
僕はパッケージのバーコードを機械に通す。
機械から『年齢確認が必要な商品です』といつものように流れた。男は二十歳以下には到底見えないので無視する。
「四百四十円、丁度お預かりいたします」
僕が煙草の値段を言う前に男はお金を出していた。もちろん無表情で。
受け取ったお金を手のひらで確認し清算する。すぐにレシートが出てきた。
「レシートは......」
僕が言いかけた時には、すでに男は煙草を取り帰って行った。
「ありがとうございました」
小さな声で呟く。
何となく不愉快だった。いくら愛想が悪い客でも、あそこまで徹底されると腹が立つ。
「嫌な客......」
僕は誰にも聞こえないように呟く。
「そうですね〜。いらっしゃいませ〜」
そして佳奈さんの適当なさらっと言った言葉で余計に腹が立つ。
「いらっしゃいませー」
来客の顔もろくに確認せず気の抜けた挨拶をする。
入って来た客は小柄なようで、棚に隠れてしまった。
暇な僕は爪をいじる。
「あの......」
か細い声ではっとする。
「あ、すいま......紗英さん?」
僕の目の前には今日の昼初めて顔を合わせた紗英さんだった。
彼女はにっこり笑う。
「ここでバイトしてるんですね」
呆気に取られて目を丸くする僕に対して、紗英さんは特に以外といった様子もなく落ち着いた様子だ。
「まあ......はい」
「これ、お願いします」
彼女は缶ジュースを一本出す。
「百二十円になります」
「百二十円丁度お預かりします」
頭が混乱していた。
びっくりもしたし、なぜ彼女がこのコンビニに来たのか気になった。これまで一度も来なかったのに。
僕のマニュアル通りの応対に、彼女は常に「はい」と答えてくれた。
他の客がいない店内で二人のやり取りが微かに響いた。
「レシートは――」
「貰います」
きっぱり言った紗英さんにレシートを渡した。
レシートと缶ジュースを手に、彼女は笑顔を見せる。
「また来ますね」
「は、はい」
眼鏡の奥から真っ直ぐ見つめられて言葉が詰まった。
「ありがとうございました〜」
彼女の後ろ姿を佳奈さんが気だるそうな声で送る。
僕も言わなければならいのだが、不思議な感情が僕を包んでいてそれに浸っていた。
「合田さん?」
佳奈さんの声で我に返る。
「な、何でしょう?」
「......さっきの人、知り合いですか?」
彼女の顔は半分笑っていた。僕に女の子の知り合いがいたことが意外だったのだろう。
それにしても実に不快になる表情だ。どうやったらこんな表情にできるのか。
「え、ええ。まあ」
僕は気恥ずかしそうに答えた。
「ふ〜ん」
面白くなさそうな気だるい返事を聞いて僕は一息吐いた。
時計を見ると後五分で九時になるようだ。
鬱陶しい彼女を帰らせようか。
「そろそろ九時だから佳奈さん上がっていいよ」
「ホントだ」
佳奈さんは一度時計を確認すると、そそくさと事務室に入って行った。
「お先で〜す」
相変わらず早い。事務室に入ってまだ五分ほどだろう。
僕は誰もいなくなったコンビニで時が経つのを待っていた。
そして、その間ずっと紗英さんの事を考えていた。
――――――――――――
「ただいま」
返ってくる事のない挨拶を僕はする。
そして当然のように虚しく響いただけだった。
バイト中と帰り道、紗英さんがなぜコンビニに来たのかを考えていたが答えなど出るはずもなく、単なる偶然だと自分を納得させた。
それでも腑に落ちないが、我が家に帰ってきたらそれよりも重要な案件を思い出してしまった。
一先ず部屋中の鍵をチェック。
大丈夫だ。全て掛かっている。問題ない。
そういえば雨漏りはどうなったのだろうか。朝部屋を片付けたはいいがすっかり忘れていた。
もしかしたら倒れていて、床に水を染み込ませているかもしれない。
僕はあわててコップを探した。しかし、あの陶器のコップは見つからない。
床が濡れている様子はないので昨日の一滴だけだったようだ。
僕はベッドに座り、前屈みになって考え込んだ。
コップがないということは誰かが持ち出したのだろうか? だとすれば、寝室を荒らしたやつに違いない。
でも、コップなんか盗んでどうするのだろう。
いくらコップマニアでも、人の家に忍び込んで、しかも台所のコップではなく、わざわざ寝室の陶器のコップを盗んで行くなんて絶対にどうかしている。もしかしたらあの陶器のコップは貴重な骨董品なのか? だとしたら惜しい事をした。そんな事はあり得ないが。なぜなら、あれは骨董品でも何でもないからだ。恐らく父親が引っ越す時に勝手にダンボールに入れたのだろう。
さて、寝室で唯一なくなったのは陶器のコップだけだから、服を散乱させたのは偽造工作のつもりか。全く訳が分からない。
嫌がらせだとしても中途半端だ。何かが壊れていた訳でもなければ、靴に画鋲が入っていた訳も――いやそれは少し違うか。
何にせよ、もう荒らされる事はないだろう。
そう願いたい。
時間を見ると十二時を指していた。しかし大学で寝たせいか、全く眠たくない。
どうしたものか......
とりあえずシャワーを浴びて、教科書を眺めながらテレビを見ていた。
『夏目前! 本当にあった恐怖体験スペシャル!』
という安っぽい番組だ。
「おいおい、まだ五月だぞ......」
思わず僕は呟く。
僕は心霊現象や体験は信じる方ではなかった。娯楽としてはいいだろうが、僕自体体験した事がない。