夜のビデオカメラ
2
自分の意識とは関係無く、柔らかな春の熱を感知した目がゆっくり開いた。
いつものように窓から雀の声が聴こえる。さらに朝日が神々しく床と僕の服を照らしていた。
服......?
僕は寝た体制のまま固まった。
しばらくして起き上がる。
辺りを見渡すとクローゼットは開けられ、ハンガーに掛かっていた服は部屋中に散らかり、靴下や下着が入っている。引き出しも全て開けられて中身はばら蒔かれている。
どういう事だろうか。
寝起きの頭をフル回転させて真っ先に思い付いたのは空き巣だ。
思い立った僕は寝室を出て居間に入る。寝室とは対照的に、居間は荒らされてはいなかった。
昨日と変わらずに机の横に置いてあるカバンの中身を確認する。
財布......中身はある。
引き出しに入っていた通帳もあった。
よかった。空き巣ではないらしい。
安堵の溜め息を吐く。
しかし、空き巣ではないとは言え寝室のあの散らかり様はなんだろうか。
自然になるのか? それとも最近空き巣は荒らすだけ荒らして、何も盗らずにその場を去るのが流行っているのだろうか?
浴室と台所も見ておく。荒らされた形跡はない。
だが何も盗られてはいなくとも、これは立派な犯罪だ。警察に言った方がいいだろう。
携帯の時計を見た。デジタル時計が八時半を示している。
何はともあれ服をとっとと片付けて、早く大学に行かないと間に合わない。
――――――――――
「は!? 空き巣!?」
大学の講堂で隣の男――荒井 啓一はややオーバーに驚いた。
講堂に響いた彼の声でほぼ全員が一番後ろの僕たちを見た。
「バカ、声でけぇよ」
僕は肩をすくめて啓一に言う。
「後ろの二人、みんなの眠気を覚ますのはいいが、静かにしなさい」
前に立つ講師が嫌味を言った。つられて何人かが小さく笑う。
何だか恥ずかしくなって顔が熱くなるのを感じた。
先生はみんなの反応に満足したようですぐに講義に戻った。
「ったく面白くもねぇ」
啓一は頬杖を付いて舌打ちする。
「で? 空き巣だって?」
「うん。寝室だけ荒されてるだけで何も盗られなかったし......何かその手の話聴かないか?」
「いいや全く。って言うか住んでる地区が全然違うだろ」
そうだった。
彼はこの大学に入って初めての友達だ。高校の友達が次々と就職していく中で僕は一人、県外のこの大学に入学した。昼休みに一人で昼食を食べている所を話し掛けられたのは、そう昔の話ではない。
「そうか......」
息を吐くように言う。
「鍵は?」
「掛かってた」
啓一は他人事のように「ふーん」と洩らす。
「ずいぶんご丁寧な空き巣だな。金目の物が何もないから、白けて帰ったんじゃないのか?」
「財布も通帳もあったんだぞ」
「へー、じゃあストーカーとか?」
啓一が言った途端、悪寒が背筋を走った。講義の内容を機械的に書いていた手が止まる。
「いやいや、ないない」と慌て否定した。
「そうだな、百パーないな。お前にストーカーか付いたら天地がひっくり返ってる」
事実かも知れないけどそこまで言わなくても......いや、そのくらい言ってくれた方が今は安心するか。
「警察に行った方がいいかな?」
「意味ないって。別に何も盗られてないんだろ? しかも、ただの不法侵入だ。警察もパトロールするだけさ。意味ないって」
「......だよね」
残念そうに僕は言う。
「今日もバイトか?」
「うん」
「稼ぐのもいいけど、単位落とすなよ」
「うん」
啓一の言葉に気の抜けた返事をする。
「空き巣の事は気に病むなよ。何も盗らなかったんだからさ」
「うん」
励ますように言ってくれたが、啓一にしてみれば他人事だ。
僕は息を吐いて、肩を落とした。
「――であるから、この場合はここにこれを代入――」
つまらない講義が子守唄に聴こえてきた。
――――――――――――――
「あれ、今日は学食じゃないの?」
長い講義を終えて昼食の時間。
僕と啓一は決まって学食だった。というのも、弁当を作る人もいなければ、作る気もないからだ。
しかし、今日の啓一は違うらしい。
「悪いな。今日はこれだ」
そう言うと僕に小指を立てて見せた。どうやら恋人さんと食べるらしい。
いつの間にか出来ていたようだ。
「あ......そう。羨ましいな」
我慢できない心の声が表に出た。
「ま、そう腐るな。次の講義には間に合うからよ」
......鼻の下伸ばして何を言うか。
啓一は笑顔で手を振ると、待っているであろう恋人のもとへ向かった。
一人取り残されて、取り合えず僕は食堂に向かう。
食堂はいつも混んでいる。今日も例外ではない。多くの人たちが、がやがや騒ぎながら食べている。
いつもは啓一と来るから感じないが、一人で来ると妙な孤独感があった。入学当初を思い出す。
今日の昼食――カレーを持ち、空いている席を探す。なるべく人がいなくて、欲を言えば隅っこの席がいい。
席を探していると、隅の方に空いている席を見つけた。朝は運がなかったが、昼から運が向いているのかもしれない。
僕は素早く座って早速食べ始めた。
ほぼ毎日食べているので何の感想も持たないが今日は違った。カレーの味は変わらないが、僕の心境は重くて、多少ながらカレーを不味くさせていた、スプーンがあまり進まない。
やはり空き巣なのだろうか。空き巣が寝室を荒らすだけ荒らして、鍵まで閉めて帰って行った。何も盗る事なく。
自分で考えてみてアホらしく思えてきた。
「す、すいません......隣いいですか?」
意識の外からの声にスプーンを落としそうになった。
声の方を見ると、そこには女の子が立っていた。茶髪掛かったショートの髪に、赤渕の眼鏡が似合う女の子だ。
僕は一瞬目を見開いた。
「と......隣?」
「え、えっと、じゃあ......前の席いいですか?」
彼女はおどおどしていた。まるで何かに焦っているようだ。僕も人の事を言えたものではないが。
「どうぞ」
顔は澄ましていると思うが、内心は正反対だ。
隅っこで一人昼食を食べる男など誰も気にも留めない。ましてや話し掛けるなど、時間の無駄もいいところなのに。
「あ、ありがとうございます」
震えているようなその声に僕は緊張していた。何なのだろう、この空気は。
彼女は僕の真正面の席に腰を下ろし、両手の昼食を置く。僕と同じカレーだ。僕より量は少ないが。
しばらく無言のままお互い食べていた。
「あ、あのどこの学部なんですか?」
スプーンに取ったカレーが僕の口に入る前に彼女は言った。
改めて正面から見ると、顔立ちは幼さを感じさせる。眼鏡で強調された丸い目が僕を真っ直ぐに見ていた
「経済学部ですよ」
僕はスプーンのカレーを皿に置く。
「ほんとですか!? じゃあ私と同じですね」
言った途端、彼女は笑顔を見せる。まさに全力の笑顔だ。
少し見惚れてしまったが、彼女はさっきの講義の時にいただろうか? 入学して約半年経っているが僕は彼女を初めて見る。
「そ、そうなんですか」
「はい」と大きく頷く。
「入ったはいいんですけど、難しくて」