夜のビデオカメラ
7
朝起きて僕はすぐに大学へ向かおうとした。
「今日は日曜日だぞ」
啓一に言われて足を止める事になったが。
二人で話した挙句、メールで紗英さんを呼んで話す事にした。
何度か彼女とメールのやり取りをして、お互い知っている喫茶店で昼に待ち合わせすることになった。
啓一に送ってもらい、三十分前にその喫茶店に到着したのは誤算だったが。
「三十分間、台詞でも考えておくんだな」
彼は笑顔で言って愛しの誰かの元へと車を走らせて行った。
一人で待っている間、僕は慣れないコーヒーを頼んで時間を潰す。
喫茶店の中は落ち着いた雰囲気で昼だと言うのに人はあまりいなかった。
ゆったりとした店内のBGMが僕を落ち着かせる。
台詞など考えないようにしていたが、逆にそう意識することで緊張が高まってしまった。
十分後。まだ二十分の時間を残して、店員の「いらっしゃいませ」という声が聞こえた。
僕は入り口を見る。
紗英さんがいた。
彼女は僕にすぐ気づいて僕の向かいに座る。
「こんにちは」
紗英さんの言葉に僕も返す。
「こんにちは」
「昨日は大丈夫だったんですか?」
心配そうな彼女の顔が僕を焦らす。
「それなんだけど――」
「ご注文は?」
本題を言いかけたとき店員が来て紗英さんに訊いた。空気を読んでくれ。
「えっと、彼と同じものを」
「かしこまりました」
彼女の返事を聞いて店員は奥へと戻る。
僕はそれを見、彼女と目が合って再び口を開いた。
「生霊って知ってる?」
自分が嫌いになるくらいの直球だが、この他にどう切り出していいか分からなかった。
「……生霊ですか?」
紗英さんは突然何を言い出すのか、というような困った顔をしている。
「うん。知ってる?」
「……」
彼女はしらばらく考え込む。その間に運ばれて来たコーヒーにも無反応で、店員はばつの悪そうな顔をして去って行った。
「知っています」
しばらくの沈黙を破り彼女が申し訳なさそうに言った。「えっ」と僕は思わず洩らす。
「……やっぱり飛ばしていたんですね。無意識とは言え、ごめんなさい」
彼女は顔を伏せながら言う。
「あのビデオカメラを見たときから、何となくそんな気はしていたんです。あれは間違いなく私でしたから……」
「紗英さんは霊感が強いの?」
「はい。でも私にとってそれは要らない物でしたし、意識しなければいづれなくなるんじゃないかな、って思っていたんです」
紗英さんが自覚していた事に僕は驚いた。啓一も僕も、彼女は自分自身に霊感があることを知らないでいたと思っていたからだ。
「実は、私の家系は皆霊感が強くて、だからそういった話にはわりと詳しいつもりでいたんですが......」
彼女は、再び申し訳なさそうにうつ向く。
それは彼女が意図的に事を起こしたのではない、という事を十分に表していた。
それを見た僕は、ようやく肝心な事を話す決心ができた。
「……昨日、生霊について調べたんだ。強い気持ちを持っていると、意識をしなくても飛ばしちゃうんだね」
「そう……みたいです」
「今日はね、別に暗い話しをしに来たわけじゃないんだ」
そう、今日はそんな話をしに来たんじゃないのだ。
「今日は僕の気持ちを伝えに来たんだ」
僕の心臓は破裂寸前で、彼女の顔を直視できなかった。
「その前に私もいいですか?」
僕が口ごもっていると、見かねたように彼女が言う。
「あのコップを私に貸してくださいませんか?」
僕は目を丸くする。
コップ? コップって言ったのか? いや、何かの間違えなのかもしれない。
「......コップ?」
僕は聞き直す。
「はい。コップです」
ああ、間違いない。彼女はコップと言っている。
彼女に関連するコップについての情報は、僕の中では一つしかない。しかし、その情報も彼女には直接関係のない話だと思う。
「えっと......消えたコップの事?」
「消えたんですか!?」
彼女は身を乗り出す。まるでその顔は、世界の終わりを見たような顔だ。
店の中にいた客の何人かが興味深そうに見ている。
「なんでなくしたんですか! おじいちゃんの大切な陶器なのに! どこに消えたんですか?!」
彼女のこんな大声は初めて聞いた。泣きそうな顔をしている。
「お、落ち着いて、紗英さん。ちゃんとありますから」
「......あるんですか? 本当にあるんですか?」
僕が頷くと安心したのか、安堵の表情を見せながら座った。
「よかった......」
息を吐くように言う。
余程大切な物らしい。とてもそうには見えなかったが。
「どういう事か、説明してもらえる?」
彼女が落ち着いたのを見て切り出す。
「はい。私の母方のおじいちゃんは陶器を造るのが趣味で、私が幼い頃もいろいろな陶器を見せてもらいました」
ゆっくりとした口調で話す紗英さんに僕は一つ頷いた。
「......長い間会っていなかったのですが、ついこの間他界しました」
衝撃的だったのだろう。さらりと言った彼女の目が物語っていた。
「その陶器って言うのが......」
「はい。凌さんの部屋に勝手に上がってしまった時に台所にあったコップの陶器を見て確信しました。あれはおじいちゃんの言っていた陶器です」
「言っていた?」
「あ、まだ言ってなかったですね。おじいちゃんが他界した次の日に、夢におじいちゃんが会いに来てくれたんです」
僕の近しい身内はまだ死んだことがないので分からないが、死んだ人間が夢に出てくるというのは実際にあるらしい。僕もその手の話は聞いた事があった。
「夢の中でおじいちゃんは言いました。私の大学にいる合田という苗字の男の子が、大切にしたコップを持っていると」
「それが......僕?」
「はい」
力強く彼女は言った。
まさか雨漏りの受け皿代わりにしたあのコップがこんな形で繋がっていたなんて......
「という事はつまり、紗英さんは大学の名簿から僕を探して――」
「その必要はありませんでした。陶器がどこにあるのかも、誰が持っているのかも、全部生霊を通して私に伝わって来ましたから。それが生霊だとは知りませんでした」
......そうだったのか。
開いた口が塞がらないとは正にのことだ。
訊きたい事は山ほどあったが、一つ確実に言える事がある。
「紗英さんの生霊はおじいさんの陶器に引き寄せられたんだね」
紗英さんは小さく頷く。
早とちりしなくて良かったと心から思う。
「貸してくれますか?」
「貸すだけでいいの?」
「......夢の中でおじいちゃんは、今の持ち主に大切に持っていてほしい、と言っていたので、あの陶器はあなたの物です。でも、おじいちゃんに報告しないといけません。陶器は大切にされていると」
彼女はにっこり笑う。
台所に置きっぱなしで大切にしているとは言い難いが、これから大事に保管しよう、と僕は決心する。
「私からはそれだけです。いろいろ迷惑をかけてすみませんでした」
「いやいや、そんな大切な陶器を持てるなんて光栄だよ」
「ところで、凌さんの伝えたい事というのは?」