夜のビデオカメラ
6
リモコンを通して伝わった信号は、テレビ画面にビデオカメラに収めた映像を映した。
薄暗い部屋で僕が寝ている。小さく呼吸をしながら気持ちよさように寝ている。
ビデオカメラに表示されている時間は午前二時だ。さすがにまだ現れないだろう。
僕はビデオカメラを操作して早送りする。テレビ画面は急速に動いているように見えるのに、ほとんど動かない僕のおかげで止まっているようにも見える。
午前二時四十五分をビデオカメラの時計が示したとき、僕は早送りを止めた。
……誰かが映っている。しかし、薄暗い部屋の中でははっきりとは見えない。ただ、人間である事は確かだ。
咄嗟に違和感を覚えて巻き戻す。止めた。
その何者かが出現する前だ。
数秒経ってその何者かが現れる。
現れた位置は、カメラの位置の右下からぬっと現れるのだ。
その間、寝室の扉は閉まったままで、開いた様子はない。
その事を知った瞬間鳥肌が立った。
寝室の扉を開かずにカメラの右下から現れたということは、最初からその場所に居たということだ。さらに付け加えるなら、ビデオカメラの位置はクローゼットの上。僕が寝るときはもちろん人など居るはずがない。
という事は?
今もクローゼットの中にいる事になる。
真後ろのクローゼットを目で確認しようとするが、見れなかった。見れるはずがなかった。
さらに僕の思考は止まらない。
僕は荒らされた服を朝クローゼットに片付けていた。まだ録画映像の先は見ていないが、この何者かがクローゼットに戻る様子が映っていたら、僕はすでにその何者かを発見している。
しかしそれは実態のある者に限って言える事だ。
未だに発見していないという事は――
僕は思考を止めた。
そして自分でも驚くほどの速さでビデオカメラとテレビの接続を切り、携帯と財布、家の鍵とそのビデオカメラを持って振り返る事なく家を出た。
ドアを閉めて震える手で鍵を掛ける。
アパートから離れ、すっかり暗くなってしまった細い一本道を歩く。
とりあえずバイト先のコンビニの方へひたすらに歩く。
一本道の脇にある家を何件か通り過ぎて行くと、頭も少しは落ち着いてきた。
僕は立ち止まる。
コンビニまで後数百メートルもない。
僕は携帯をジーンズのポケットから出して啓一に電話をかける。
「もしもし? どうした?」
相変わらずの軽い口調だった。
「今どこ?」
「部屋だけど?」
「一人?」
「そうだ」
僕の問いに戸惑いながらも答える啓一。
「僕のバイト先のコンビニ、どこか分かる?」
「ああ、からかいに行ったことあるからな」
「悪いんだけど、そこまで来てくれないかな?」
「……見たのか?」
啓一の口調が変わった。普段聞かない鋭い口調だった。
「うん」
「……分かった。数十分掛かるけど待っててくれ、なるべく車跳ばすから」
「ありがとう」
「じゃあな」
僕は「うん」と一言返して通話を切った。
コンビニに向かって歩き出す。
大きな通りに出ると人がそこそこいて妙な安心感を感じた。
でも道を歩く人たちにとっては、片手に小型のビデオカメラを持った僕は不思議な人に見えるかもしれない。
コンビニに着いて中に入る。
聴きなれた入店の音が軽快に鳴って僕を迎えてくれた。
レジには店長と僕の存在など気にも留めず髪を弄っている加奈さんがいた。
店内にはそれなりにお客もいるようで、暇というわけでもなさそうだが。
「いらっしゃいませ〜」
小太り店長が言った。続けて加奈さんも髪に視線を向けつつ言う。
「あれ? 凌さん? 大学の用事って聞いたけどどうしたの?」
小太り店長が僕に気づいて言った。特に驚いた様子はない。
「いや〜、ちょっと喉が渇いちゃって。ここでジュースでも買おうかなと」
このコンビニで買う気はさらさらなかったのだが、喉が渇いていたのは事実だ。
「そうなんですか。休むのもたまにはいいですけど、突然言われても困るんだよね」
「あ、はい。すいません」
コンビニの店長なんて所詮こんなものだ。今の僕にはそのぼやきにも反応する元気がなかったようで、気にも留めなかった。
「ところで、そのビデオカメラはなんだい?」
「いや、別に気にしないでください」
僕は愛想良く笑って誤魔化す。
適当に店内をぶらついて数分。
啓一がコンビニに入ってきた。僕を見つけて手招きする。
コンビニを出て啓一の車の助手席に乗った。啓一も運転席に座る。
「ありがとう」
僕は静かに言う。
「いいんだよ。で?」
僕は啓一にビデオカメラを渡した。
受け取った彼は、小さな液晶を見る。
「……なるどね。全部見たか?」
彼は呟いた。
「まだ」
「じゃあ見た方がいい」
険しい顔でビデオカメラを突き出す啓一。僕はそれを受け取り、再生ボタンを押した。
右下から突然現れた何者かは、まず寝ている僕を見下ろしていた。
数分見ていても動く様子がないので、次の行動まで早送りをする。
ビデオカメラの時計で三十分後、ようやく動きを見せた。
何者かはビデオカメラの方に振り向く。
「……っ!」
その時僕は声にならない声を短く発した。
短い髪にシャープな輪郭。
眼鏡こそ掛けていないが、何者かの正体は紗英さんだったのだ。
紗英さんはクローゼットを開いて、次々と服を放り出していく。
小声で「ホシイ......ホシイ......」と言いながら。
一通り服を出すと、満足したのかカメラの右下へと消えていった。
「紗英さんか?」
丁度見終わって頭の整理がつかない僕に啓一は訊いた。
静かに「うん」と答える。
「そんじゃ、行くか」
啓一は言って車のエンジンをかけた。
「どこに?」
「お前の家に決まってんだろ」
――――――――――――――――
「鍵は?」
僕の部屋のドアの前に僕と啓一はいた。
恐らく啓一はクローゼットの中身を確かめるつもりなのだろう。僕は到底賛成できなかったが。
無言で鍵を出す。しかし啓一は手で出さなくていい、と指示した。
鍵が開いていたのだ。確かに閉めたはずなのに。
僕は生唾を呑み込む。
啓一がゆっくりドアノブを回してゆっくりと開いた。
電気が付いている。
さらに玄関には女の子が履くような靴が一足。
啓一はすぐに状況を判断したようで、その靴を見た途端部屋に入り込んだ。
僕も慌てて彼の後を追う。
「啓一!」
居間に入った僕は目の前の光景に動きが止まった。
そこには目を丸くして怯えた様子で立ち尽くす紗英さんと、握り拳を作って今にも殴り掛かりそうな啓一がいた。
「てめえ、ここに何しに来た」
啓一が発した言葉は相手を威圧する声としては十分で、紗英さんは一瞬僕を見る。
「わ、私は......ただ......鍵が開いていて......心配だったから」
彼女の声は喉の奥から絞り出したような声だ。
「鍵が開いていた? ふざけた事言ってんじゃねえ!」
怒鳴りつける声と同時に啓一の手が動く。
「啓一! 待て!」
彼の背中に向かって僕が言うと動きが止まり、彼は振り返った。
その形相はまるで鬼のようだ。
「彼女じゃない」