「お話(仮)」
「そろそろ、お城に戻るとしましょうかねェ」
「……」
シヴァは俯いたまま、黙ってセトに向き直った。そして。
「!?」
鈍い衝撃と共に、セトの表情が歪んだ。
脇腹に深く食い込んだナイフ。その場でセトがよろける。
「正気に戻った……だと? まさか、そんなハズはない!」
「……アタシの血よ」
倒れていたクリスが頭を上げた。
「さっき、アタシは解毒剤を飲んだの。思った通り。アタシの血を吸ったことで、シヴァちゃんにも薬が効いたのね」
クリスはゆっくり立ち上がった。少し足元がふらつく。
「立ちくらみ。貧血みたいね」
「ヒ……ヒヒッ」
直後、セトは素早く懐から何かを取り出した。
闇から浮かび上がる銀の拳銃。
「やめろ!」
シヴァが止めに入るも、一足遅かった。
セトは狂気の形相で、至近距離からクリスの心臓めがけて引き金を引いた。
「クリス!!」
――が。
次の瞬間、シヴァが目にしたものは、セトの手元で暴発し、燃え上がる拳銃の様だった。
思わぬ異変に銃口を覗き込むセト。
「っっ」
途端にその顔から血の気が引いた
銃口の奥深くに詰まった、小さな小さな柘榴の種粒。
「クロウ……! まさか貴様、あの時……!?」
血だまりの中で物言わぬクロウを睨むセトの眼差しは、激しい怒りに震えていた。
「ナルホド、ナルホドねェ。どいつもこいつも、これじゃ、あの坊やも手を焼くワケだ」
それから呼吸を整え、自身の長い前髪を掻き上げながら、セトは長い溜息をついた。
「どうやら、今日のゲームは俺の負けみたいだねェ。勝利の報酬は……」
ゆっくりと、その人差し指がクリス達二人に向いた。
「そうだ。キミ達の勇気を讃えて、少しだけ未来を教えてあげよう」
そう言って、拳銃に見立てた指先を突き上げるセト。
同時に彼の右手の印から紅い煙が噴き出し、一瞬のうちに辺りは煙幕に包まれた。
“明日の晩、計画が実り、世界は紅い闇の深淵に沈む……。
我々を止めたければ、二人揃って『お城』へ来てみるとイイ。歓迎するョ……ヒヒヒヒヒヒ“
「世界が沈む? 待って、どういう事なの!?」
しかし、クリスの言葉も空しく、煙が晴れた時には既に、セトの姿は跡形もなく消えていた。
「ノア……。お前は何を企んでいる?」
後には、燃え盛る炎と、血の臭いだけが残された。
○
「ホント、使えないなあーー」
チェス盤の上で行き場をなくした黒のBishopを眺めながら、ノアは細く息を吐いた。
「臭いし汚いし、もういらない」
軽く指ではじくと、駒は小さな弧を描いて絨毯に落ちた。
ノアはその後しばらくボードを見詰めていたが、ふいに立ち上がり、無邪気に笑って言った。
「いらない。もう、みんないらないや…………ゲームオーバー」
――夜の海に花が咲いた。
火柱という名の、真っ赤な花が――
バラバラに壊れたチェス盤には目もくれず、ノアはひとり自室を後にした。
○
「奥様、早くお逃げ下さいませ」
ルビアが不自然なくらい丁寧に言った。
「この船はじきに沈みます」
「あら。あなたはてっきり“ケモノ”を追っているのかと思っていたわ」
何かの書状に目を通しているのだろうか。
ルビアに背を向けたまま、彼女は落ち着いた声のトーンでそう返した。
「いえ、そちらには私より適役の者が対処にあたっておりますので」
「あなたも大変ね」