「お話(仮)」
「奥様こそ、何か異変はございませんでしたか? 下の階で少々騒ぎが起こったものですから」
微かに、テーブルのティーカップが揺れた。
それを見透かすような眼差しで、ビアンカは答えた。
「いいえ、私は何も。さっき、あなたが飲み物に混ぜてくれたお薬のおかげかしら?」
「ご存知でしたか」
「紅茶の味くらい分かるわ」
残っていたダージリンティーを飲み切り、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「ところで、港に戻ったら、ひとつ調べて欲しいことがあるの」
空いたカップの脇に置かれた木筒。
ビアンカは読み終えた書状をその中へ戻すと、それをルビアに手渡して指令を下した。
社長として。古い友人として。そして――。
「北へ……。『牙』のメンバーを連れて、エンデュミオンへ行って頂戴」
○
クリス達の遥か後方で船は炎上し、ゆっくりと暗い海に呑まれていった。
オリバーは港に立ち尽くしたまま、しっかりと母の腕に抱きついていた。コウミは半ば放心状態で、沈みゆく船を眺めている。
ルビアとヨウ、フウマは救命ボートが陸に着く直前、誰にも気付かれずに姿を消した。
その他の客達はグレーシャに連れられ、虚ろな表情でジュノーの町へ散ったようだ。
「……」
船が完全に沈んだ後も、クリスは食い入るように海面を見詰めていた。
シヴァは逆に、海を見ようとはしなかった。
「明日の、晩……」
二人の呟きが重なった。
明日、果たして何が起きろうとしているのか、二人には見当もつかない。
だが、意見は即座に一致した。
泣いても笑っても、これが最後になるだろう。
用意された決戦の舞台。『紅い獣』の居城へ――。
「行くしかないみたいね」
〜To be continued〜