「お話(仮)」
直後、思い出したようにコウミはその場から立ち上がった。
「坊ちゃんは!? た、大変、早く助けに行かないと!」
血相を変えて、廊下へ通じる扉に駆け寄るコウミ。
しかし、その刹那、飛来した刀が彼女のすぐ脇をかすめ、かんぬき代わりに扉を塞いだ。
「聞こえなかったか? この先は危険だ」
「でも……、それでも! 行かせてください!」
扉にしがみつき、コウミは懇願した。
そんな彼女とは対照的に、フウマの声色は丸窓から覗く海のように静かで冷たい。
「命さえ投げ出す覚悟で行くのか。一体何故、お前は奴等の為にそこまでする?」
フウマが問う。
「奴等って、お屋敷の皆さんのことですか? だって、ご恩がありますから。大旦那様は、身寄りのないわたしの面倒を見て下さいましたし、奥様も坊ちゃんも、とっても良くして下さって……」
「違う!」
無意識に体が反応し、コウミの手が止まる。
「それは違う。本当のことを教えてやろうか。あの男は、ゴルゴンゾーラという男はな……」
怒りにその身を震わせながら、フウマは木箱から飛び降り、一歩ずつコウミとの距離を詰める。
「お前から家族を奪ったのも、家に火を放ったのも、全てあの男が仕組んだこと」
コウミの顔から表情が消えた。
「お前を引き取ったのも、記憶が戻って復讐を企てぬよう監視する為だ! コウミ!!」
「……どうしてですか」
至近距離で見詰め合う、同じ色の瞳。コウミは繰り返した。
「どうしてですか?」
「信じ難くとも、それが真実だ」
「そうじゃなくて」
ぽつりと、こぼれた涙が少女の頬を伝って床に落ちた。
「どうして、あなたは知っているんですか? わたしの名前、家族のことも……」
「……」
静まり返った部屋の中、真っ直ぐフウマを見据えてコウミは訊いた。
「あなたは、誰ですか?」
○
「セト?」
走りながらクリスが首を傾げる。
「そうだ。人の生き血をすすり、その者の精神を支配する能力を持った男が、ケモノの内部にいた気がする。会ったことはないが、恐ろしく危険な相手だと噂に聞いた」
「それは厄介ねぇ」
話はそこで中断した。
二人の眼前に現れた、船底へ通じる非常階段。
「この下か……間違いない。存在を感じる」
シヴァが呟き、そのまま二人は急な階段を足早に下っていった。
軋んだ音を鳴らして開く、重い鉄製の扉。
「お待ちしてましたョ……オヒメサマ」
伸びきった前髪の間から、狂気を帯びた眼差しがのぞく。
「お前がセトか」
「いかにも。ヒヒヒ、以後、お見知りおきヲ……」
暗闇から浮き上がるように、男はゆらりと立ち上がる。
部屋の奥ではボイラーが唸り、臭く黒ずんだ煙を吐いている。
「?」
その近くで、シヴァは何かを見つけた。
血だまりの中に横たわる黒い塊。よく見ると、それは――。
「ク、クロウ!? まさか、お前ですら……」
思わず目を伏せた。そんな彼女の肩を抱き寄せ、クリスが『ローズ・マリー』を構える。
「そこ、通してもらうわよ」
獣の殺気に反応したのだろう。みる間に刃先は蒼く燃え上がり、派生した稲妻が、まるで鬼の手の如く伸びてセトに迫る。
「おっと、怖いねェ。ナルホド、それが、紅い獣を捕食する蒼炎の力、ねェ……。さてさて、どうしたものかなァ……?」
刹那、ボイラーが一気に燃え上がり、灼熱の蒸気がクリス達の方へと噴き出した。
「!」
咄嗟にシヴァを後方へ庇い、自ら盾となるクリス。
だが、彼が顔を上げると、今まで手前にいたはずのセトの姿がない。
「しまっ……!」
隙をつかれた。
背後に気配が現れたと思った時には既に、セトの鋭い牙は深くシヴァの首筋を捕らえていた。
「シヴァちゃん!?」
答えの代わりに、シヴァは混沌とした瞳をクリスに向けた。