「お話(仮)」
暗い部屋の壁についた無線機器を操りながら、セトはその鋭い歯を覗かせて笑う。
監視カメラなどなくとも、彼には“しもべ達”を介した船内の様子が手に取るように見えていた。
「さァ〜て、オヒメサマ。大人しく俺と一緒にお城へ帰りましょうかねェ。ヒヒヒ、逆らってくれても構わない、構わないョ……彼みたいに」
ゆっくりと、セトは後方へ視線をずらす。
非常灯に赤く照らされたボイラー室の床。そこには、身動きひとつしない鳥が一羽、血の海の中に転がっていた。
「何の事だ? いくら脅しを並べたところで、もう二度と戻るつもりはない」
天井のスピーカーを睨みつけてシヴァが言った。
すると、向こうの笑いはいよいよ最高潮に達し、耳触りな残響の中でセトは続けた。
(哀れ、実に哀れで愚かだねェ。でも、その方が遊び甲斐がある)
同時に、シヴァ達は会場へ続く扉の奥に不穏な気配を感じた。
(崇高なるヴァンパイア諸君、宴の始まりだョ。晩餐会の支度は整った! 見給え、彼女の胸元を!その薔薇を深紅に染めた者が今宵の主役だ!!)
そう言い終わるや否や、勢いよく正面扉が開き、たちまち辺りは狂気の雄叫びに包まれた。
「こりゃ、俺もお叱り決定だねェ」
あまりの熱に火を吹くボイラーを横目に、セトは闇へと姿を消した。
○
「危ないっ!」
クリスがシヴァを後方へ突き飛ばす。
おかげで彼女は間一髪で牙を逃れたが、クリスは脇腹にかすり傷を負った。
「大丈夫か?」
「えぇ、アタシはさっき薬を飲んだから、少しは平気なはずよ」
辺りを取り囲む青白い顔の群衆。
どうやら、パーティー会場にいた者達は残らず敵の手に落ちたようだ。
「いずれにせよ、この人達とは戦えないわね」
相手の人数を数えるのを途中で諦め、クリスは困り顔で肩をすくめた。
「どこかにいる『頭』を叩くのが一番でしょうけれど、この広い船内を探して回る時間はないし」
「いや、奴の居場所の目星はついている。スピーカーの奥から聞こえた、モーターが回るような音。あれはおそらく……」
短い沈黙の後、二人は揃って頷いた。
「ボイラー室ね! さすがシヴァちゃん! って、そう簡単に行かせてくれそうにないわねぇ」
数匹のヴァンパイアが二人に襲い掛かった。
「?」
次の瞬間、目の前の敵が相次いで倒れ、その後方から覗く、見覚えのある赤い羽扇子。
「心配ないよ。今のは単なる痺れ粉……」
「グレーシャちゃん! 無事だったのね!?」
細工が施された扇子を翻しながら、現れたグレーシャが華麗にガッツポーズを決めてみせる。
「だが、何故お前一人だけ無事だった?」
「まぁまぁ、詮索はよしなよ。ワケなら後でゆっくり話すからさ」
「グレーシャちゃん……?」
「だから、ここはあたいに任して、あんた達はさっさと親玉やっつけてきな!」
クリス達に背を向けたまま、ドレスの裾をまくり上げ、並みいる敵を見回すグレーシャ。
一瞬、その胸元で何かが銀色に光った気がした。
「ふふ、持つべきものは信頼できる仲間ね。行くわよシヴァちゃん!」
そのまま二人はロビーを抜け、船の基底部に位置するボイラー室を目指した。
○
「!!」
迫り来る炎の恐怖から逃れるように、コウミは目を見開いた。
汗で湿った毛布。またいつもの夢だ。
ゆっくりと呼吸を整えた後、彼女はぐるりと首を左右に動かした。
「あれ? ここは……一体?」
薄暗い空間。倉庫だろうか。
目が慣れてくるにつれて、それほど広くない部屋全体に積まれた木箱らしき物の形が分かった。
――すると。
「目が覚めたか」
ふいに背後から声をかけられ、見ると、少し離れた積み荷の上に男が腰を下ろしていた。
「あ、あなたは確か、さっきお会いした……警備の……」
「フウマだ」
短く一言そう返し、窓辺から目線だけを動かしてフウマは続けた。
「正気に戻ったようだな。外は吸血鬼で溢れている。しばらくの間、この部屋から出ない方がいい」
「吸血鬼……?」