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「お話(仮)」

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 非常灯の下、ロビーに続く廊下の先からこちらを睨む女。
 その姿を見るなり、コウミは落ち着き払った声色で相手の名を呼んだ。
「何をそんなに怒ってるんですか? シヴァさん」
「とぼけるな。その気配、“ケモノ”の手先だな」
「やめてくださいよぉ、獣だなんて……」
 コウミはしばらく笑っていたが、ふいに唇に添えていた手を離すと、その指先をシヴァに向けた。
「それはあなたじゃないですか…………オヒメサマ」
 一瞬、声のトーンが変わった。
「黙れ!」
 ノイズ交じりの波長がシヴァの思考を惑わす。
 それを断ち切るかの如く、彼女はドレス姿のままナイフを両手に跳んだ。
 ひるむことなく、静かにその場で微笑むコウミ。
「魔物め!!」
 ナイフが数本、風をきった。
 そして、牽制の一本がコウミに迫った、次の瞬間――。
「!!」
 甲高い衝撃音。
 と、同時に床に飛び散る真っ赤な鮮血。
「無事で良かったわ…………コウミちゃん」
 シヴァの表情が凍りついた。
 散乱したナイフを踏みつけて立つ大鎌『ローズ・マリー』。
 それを持つ腕には、防ぎきれなかった一本のナイフが刺さっていた。
「クリス?」
 その言葉に、クリスはゆっくりとシヴァの方を向いた。



 鋭い牙をむき出しにして、男が手元の果実にかぶりつく。
「チェックメイト……だョ」
 調理場から拝借してきたフルーツ――柘榴(ざくろ)だろうか。
 滴り落ちた真っ赤な果汁が、ボイラー室の床を不気味に濡らす。
「さぁ、もっと! もっと苦悩しろ、醜く殺し合え! キミ達をいたぶるのが俺の快楽。傷つき悶絶するほどに、俺の心は満たされる!!」
 そう言って、男は興奮気味に肩を震わせた。
 その時。彼は周囲に小さな視線を感じた。
「……おやおや。これはオヒサシブリ。わざわざ足を運んでもらえるとは、光栄ですョ」
 闇の中、ドアから漏れる赤い光に照らされたカラス。
 鳥はそのまま室内を低く舞い、男と距離を保った低いパイプの上にとまった。
「あの方の命令ですか?」
 鳥が口を利いた。
「ヒヒヒ、それ以外に何があると?」
 男は嘲笑を浮かべたまま、舐めるように相手を見下ろして続けた。
「それにしても、随分弱っちゃったねェ、クロウ。それじゃ、そこらの動物と変わらないねェ」
 直後、男は口から何かを吐き出し、クロウの足元へ飛ばしてよこした。
 唾液にまみれた柘榴の種。
「残飯でも食うかい? ヒヒヒ、よく御似合いだョ」
「……」
 挑発なのは分かっていた。クロウは沈黙を貫いていたが、男の侮蔑は止まらない。
「哀れ、哀れだねェ! それならいっそ、キレイに死んだ方がマシ……なんじゃないの?」
 かすれた笑いが木霊する。
 そこに波の揺れから起こる船底の軋みが加わり、辺りはにわかに緊迫した空気に包まれた。
「ひとつ、答えてもらおうかなァ?」
 セトが動く。
 それと同時に生臭い血のにおいが風に乗って移動し、攻撃的にクロウの翼を撫でた。
「好きな方をチョイスしてくれて構わないョ。俺の狩りに協力するか、それとも、俺に狩られるか。実に容易い選択だねェ」
 すぐそばに現れた男の手元で拳銃が光る。クロウは黙ってその銃口を見詰めた。
 五秒、十秒。長い沈黙。そして――。
「……愚問ですね」
 可笑しさに羽を震わせながら、クロウは冷ややかに答えた。
「いつからこの私にそんな口が利けるようになったのです? セト」
「!?」
 瞬間、見えない衝撃波が走り、それに打たれるや否や、その男、セトの体は脆くも煙と化した。
「よく御似合いですよ」
 煙幕の中から現れた一匹の蚊。
「ヒ、ヒヒッ、驚いた。さすが、坊やのお気に入り……。だけど今のはほんの油断、油断だョ。俺だって、あの“計画”を知る精鋭なんだから、ナメてもらっちゃ困るんだよねェ」
 赤黒い床に、再び男のシルエットが映った。
作品名:「お話(仮)」 作家名:樹樹